珍しく、


は!


とすることがありました。


日々読んでいるブログに、自分の中でずっと疑問に思っていた言葉がよりわかりやすく書かれていたのでした。


私は私を満たし、それが世界へ溢れ出します


これだけ見れば、


はー、そうですか


というだけのものですが、私は自分が悲しみや辛さや、一見幸せ感のない状況のに苛まれ息も詰まるようなとき、この言葉とともによく祈り、神様がいるとするならばその様々を預けてしまうようにしてました。


ただ、特に私の中を何で満たし世界へ溢れ出た何かとは何なのか?の何がわからないままで、なんでこんな祈りか?!と思っていたのですが、今日見たブログには言葉になってなかった何かに行き当たることができ、


私はそんなことを思っていたのか


と、しばし、呆然としました。


その『何』は恥ずかしいので割愛して自分の中だけにしまいたいと思いますが、そこに気づいて、今朝方は自分で自分の頑張りを労り、厳しく見つめていた眼差しを謝りました。


『何』と私が私に向ける眼差しは正反対のもので、まぢ、本気で自分に謝り、よく頑張ってる!と本気で伝わるといいと思いました。


その後、なんだか、父にも優しくなれたような気がして、穏やかに接することができてるようにいような(笑)


某界隈では、頑張ることや必死とかは褒められたことではないけど(笑)、頑張るしかできなかった自分に寄り添えるのは自分しかなく、なぜ頑張ろうとしたのかの本当の理由を知るものも自分しかいない。


そこを誰かに求めても何にもならないわけで。


厳しく見つめていた眼差しや基準は世間やなんやら、様々な枠組みではあるけれど、それを採用したのは私で、不採用にできたのも私なのに、私は私をそれで追い詰めていたのではないかと。


同じそうするにしても、もっと自分に優しい眼差しを向けたいと心から思いました。


私の敵は私でしたガーン