母が天に召された去年の今頃、亡くなる日の前日の7日、確か、雪が降っていて、途中からみぞれになった。
父と私、滑りそうになりながら母のところに向かった。
不思議なもので、そろそろ、天に召されるのかな、という目の前の母の体の様子ともっと気配のような予感みたいなものがあった。
目の前に横になってる母の存在よりも、病室の中に広がる母の気配のほうが存在を強く感じた
と言ったら伝わるだろうか。
コロナのときなので、毎日、10分しか面会できなかった中で後悔はあるけれど、連れて帰るわけにも行かなかった現実。
昨日たまたま見ていたWEB記事でシスターの鈴木秀子さんが『介護の最後に見送った介護者が、自分を責めるのは傲慢だ』と書いてあり、まだ、それ自体は腑に落ちて噛み砕いて咀嚼できてはいないのだけど、『やれることがあれば、やっていたはず』とあり、自分の中の緊張が少し解けた気がして、厳しい中にもとてもやさしい慰めでもあると思った。
https://www.minnanokaigo.com/news/kuratama/no32/
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みんなの介護から下記引用![]()
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それから、自分を大切にすることです。特に、介護に携わっている人は、誰かが亡くなると、「もっと早くお医者さんに連れて行ってあげれば良かった」「もっと早く入院させれば良かった」「もっとあれを食べさせれば良かった」と、自分を責めるんです。
でも、その時は精一杯しているんですよ。ですので、そんな済んだことは言わない。過去に立ち戻らない。そうして自分を責めないでほしいと思います。自分を責めるのは傲慢です。なぜなら、できていたらやっているんです。あれだけ頑張った自分を認めようと思えると、エネルギーが湧いてきます。
引用おわり![]()
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できるのならやってる、やるべきことはやっていても、できなかった自分を知っているというのが自分を責める種になっているのだと思うけど、確かに、もういくら悔やんだって取り返すことはできないことだけはわかっているのだから、それを受け入れて自分の中に抱えて生きていくことしかないんだろうなと最近は少し思います。
天気予報では明日は一時、関東南部でも雨か雪が降るかもしれないとのこと。
母の晩年の様々な思い出には春の雪がつきまとうなあ。