さださんではないけども。


追記:

さて、これを思い出したのは1月2日。

30日、まだお母さんが反応はできなくとも、声は聞こえるよ届くよとお医者様に言われて、家族皆約15分のお別れをしました。

その後、付き添うこともできず、そして、何かやらなくちゃ、でも何もできないとしてる中、私の口をついて出たのはこの歌でした。

初めてこの歌を聞いたときから、さださんの歌の中でも私にとってずっと好きな歌なのです。

さださんの歌詞の中では多分、ご夫婦か恋人か、その相手を失った、そこから旅立っていく、そんなシチュエーションなんでしょう。

でも、歌詞が染みてくるのは、私が母を思い、感じていたその時そのものです。

今は何を見ても、何をしてても、

母が好きだったな、これ

とか、

母といえば、これよ

とか、

母はこの大きさの野菜で食べられるかな?

とか、今は何をやってても、母と一緒に生きてる感じで、全部、母と繋がります。

母を思い出すのは母自身ではなく、母と関わりのあった出来事やシチュエーションで、私がそれらに触れるたび、母を思い出させてくれる、その歌詞の深さに改めて触れています。

この曲調も好きなんですが、さださんの声の優しさや柔らかさに慰められます。

介護してる間は本当に母の繰り返し話には辟易としてて、あそこに戻りたいとは思わないけど(笑)、あれはほんの一部で、その他の時間で如何に母に何がしてあげられるか、いかに喜ばせられるか、どうやったら楽しませられるか、(自分を喜ばせたり楽しませたりするのが下手で出来ずにもいる不器用人間がですよ!)そういうのが不得意な私が一生懸命考えていたのを見つけ出すたびに、母への私の悲しみは思った以上に深いのだなと改めて感じます。

私が母の年齢88歳を超えるまで生きられるとは到底思えないですが、深い孤独を感じるほど誰かを愛おしく思える経験をもらうことができたのは、しんどいけども、良かったかもしれません。

他人にここまでは感じないかもしれない、と思う反面、今、私のことを支えている数少ない精鋭の人に対しては、同じ気持ちになることは間違いないと、そう思う。

そういうものを持てていると言うことにも気づいたのかもしれない。