ありとあらゆることは

その人にとってのオリジナルだなあ

と思います。



この人の喜び

この人の悲しみ

この人の苦しみ

この人の不安

色々あるけど、

基本的に

私は

自分以外のその人自身の本当の感情を

知らない

と思っているところがあります。

いや、

それでいいんだと思います。


だから

時として

自分が持っている経験のデータに

照らして

近いものを感じようとすることは

あるかもしれなくて

時として

ちょっとそれでいいのかしらん?

って思うときもあって

すぐ忘れます。(爆)



その感覚って

私は小学生の頃からあって

それは

お友達に

「私が辛い気持ちなんて

 あなたには本当にはわからないよ!」

って言われた時でした。

多分、

心の心底から

なぐさめようとした

純粋な気持ちはあったけれども

人の気持ちをささくれだたせる

知ったかぶりみたいなこと

言ったんでしょうね。



そういうところ

自分にあるって知ってるから

こうやって書けますけど

結構

痛い自分だったりします。(笑)



その時のことって

思い出したときの感覚って

 のどの奥のほうから

 にがーい何かが

 こみ上げてくる感覚

なのですが

苦いっていう衝撃もありながら

かすかに

 お粥の上澄みみたいな甘い納得感

(お粥嫌いな人には伝わんないな。笑)

もありました。

不思議だったのは

その苦さより甘さのほうが

弱いのに

存在感が感じられたんだな。



そうそう、

本当にはわからない。

そうそう、

私が体験していることぢゃないから

わからない。



でも、その納得感が

大きすぎちゃったのと

同時に

「ああ、

 私には彼女の本当の気持ちはわからない

 から

 私は彼女と一緒に辛いなあ

 悲しいなあって思っちゃいけない」

って思ったんだなあ

その上

相手の気持ちを

さらに

ささくれ立たせたことが

 自分、やらかした

という気持ちが大きくて

さらに

わからないんだの気持ちを

強めた気がします。



少し大人になったときに

「本当の気持ちがわからなくても

 わからないことがわかっていて

 そこに一番近い気持ちを想像して

 寄り添うことはできるかもしれない」

と思って

それを勇気を持って

人に伝えた時に

ちょっと

子供の時の強い衝撃が

ゆるんだことも思い出しました。



そうそう、

そんな風に

どっかで思ったことを

思い出しました。

こういう時って

どうして

最初に感じた

ピュアなほうの気持ち

忘れちゃうんだろうなあ。

そこが

あるのに

怖さや不安が

怒涛のように押し寄せる。

本当に

光が明滅するみたいな瞬間に

それが起こる。



自分の経験に

照らし合わせている

余裕や時間なんてなくて

ただ

 ああ、一緒に

 寄り添ってあげたいなあ

っていう気持ち。



なんで

小さい私は

律儀にそんなふうに

そんなこと思ったんだろう。

って

まだ今も思います。

あんまり

自分を守ってなかったから

感じたことが

大きな衝撃をともなっていた

って

ことは思い出せるけど。



たまたま

記憶を振り返ったときに

それでも

あの時

お友達の気持ちに寄り添って

一緒に

 その喜び

 その悲しみ

 その苦しみ

 その不安

を感じて

涙を流した自分と

最近あったある状況でのこと。



心の中の

バターみたいな塊が

うるうると溶け出して

両の目から

糸みたいに細くて

さらさら絹糸みたいな涙が

とどまることを知らずに流れた時に

「あれ?これ何かに似てる!」

って思いました。

その時には

1つしか気づきませんでしたが。



涙を流すきっかけは

お友達とのことぢゃなくて

 母のことが

 大好きで

 甘えたい自分っていうのを

 表現することが

 とっても困ることで

 とっても迷惑をかけると思っていて

 我慢して我慢して我慢して

 居た時の自分を

 思い出した時

だったんですが

それはそれとして

実際にそうなのかを

乗り越えてみて

 大丈夫だ

ってわかったのですが

「何かに似てる!?」

がわからなかったのです。

で、

つらつらその後考えたら

全くかかわりが不明だったけれど

小学生の時に流した涙と

最近流れた涙の質を

感じ比べたとき

 同じところに

 端を発したものかもしれない?

という考えがよぎりました。



誰かの本当の感覚や感情は

その人だけのもので

きちんと

わかってあげられないのかもしれない。

だけど

私から流れた涙や感情は

きちんと

「その本質をとらえてはいる」

と伝えてくれるものなのだと

染み込んできました。




経験は

それぞれのオリジナルの形でしか

存在していないのかもしれないけど

本質は

空気のようなひろがりで

そこここに

きらきらの粒子になって

大きく広く

とどまることを知らず

結晶しているの

かもしれませんね。