もう大分、前のことです。
母が尊敬する大恩人のおばあ様がいました。
その方が言ったことで、小さい私の心に残った言葉があります。
母が、その方に本当に色々とお世話になり、真珠のネックレスをプレゼントしたのですが、粒の大きさは大体そろってはいるものの、その真珠たちはいわゆる丸い姿をした粒ではなく、あこや貝の中で成長するときに近くにあったゴミや何かを少し巻き込んで丸よりは若干ゆがんだり、でこぼこしたりと個性あふれる粒が集まったネックレスでした。
ものは確かなのですが、もし、真珠の価値がどうのと言われた場合、それはもしかしたら価値的には低いかもしれません。
真珠の価値を測るものの実際を私は知りませんが、もし、それが丸であること、均一な光を放つこと、ネックレスという形に整えるために粒はそろっていないといけない、のであれば、その基準からははずれていたのかもしれません。
ネックレスを受け取ったおばあ様は、いいました。
「この子達は、みんなそれぞれに自分が丸いと思っているんだろうね。
いとおしいねえ」
いかにも、いとおしいというまなざしで真珠の粒を見つめていたのを思い出します。
私の表現が足りないので、もしかしたら、まるで「丸になろうとして、なりそこなっている」なんて
読み取れるかもしれませんが、ニュアンス的には「皆、丸になりたがっているけれど、それぞれの丸でいいんだよ」というなんとも全面的な肯定というかんじがしました。
それを聞いて、私は小さかったですが、なんとなく哀しくて、なんとなくじんわり暖かいような、甘やかな複雑な気持ちになりました。
今もあんまり上手に言葉にできないのですが、今になって自分を振り返ってみると、自分もこの真珠と同じように、そろった丸でもなければ、均一な光も放たず、ある集合に沿った粒のそろったものでもなく、でもなんとなく「それでいいんだよ」って言われた気がしたからなんだと、そう思います。
また1つ歳をとったそんな夜に。