まずは犠牲になった方の御冥福をお祈りいたします。
あれから4年ですね。私は幸い、内陸の方に住んでいるので、津波被害はありませんでした。今はすっかり元通りの生活をしています。
長いのですが、今回は震災の体験談として、ぜひ皆様にこの記事をお読みいただければと思い書きました。
その日は当時勤めていた会社のビル内にいました。揺れだした時、最初はゆっくりした横揺れから始まりました。でもすぐに激しい揺れになり、座っていた椅子から落ちてしまいました。
すぐ停電し、机の上からパソコンなどが全て落ちました。蛍光灯と窓ガラスが全部割れ、破片が飛び散り、室内の太いコンクリートの柱が折れてしまいました。
私の席の近くには、書庫やキャビネットが私を囲むように配置されていました。大人が2人でも動かせないような、重い金属製の書庫です。それがゆっくりと倒れてきたんです。このままだと下敷きになる、と思ったけど、揺れがひどくて全く動けませんでした。
でも、ちょうど倒れてきた別なキャビネットにその書庫がぶつかり、私は下敷きにならずにすみました。本当にぎりぎりでした。
よく映画などで、爆弾が爆発して建物なんかが破壊されるシーンがありますね。あんな感じで室内が一瞬で滅茶苦茶になっていきました。あまりにも非現実的すぎて、目の前で起きていることがどこか他人事のように感じていました。
揺れがおさまった後、ビルから避難しました。すぐに家族に電話したら、奇跡的に携帯が通じ、無事が確認できたんです!この後、携帯はずっとつながらなくなったため、本当に良かったと思います。
断続的に揺れるため、その合間をぬってコートや貴重品を取りにいき、各自家に帰ることに。私はバスで通勤していましたが、バスが来るはずないと思ったので、ちょうど社員が使っていた自転車を借りて帰りました。途中、雪が降ってきて、寒くて泣きそうでした。信号が消えているので道路は渋滞し、歩いている人がたくさんいました。
1時間かかって家に戻ると、室内が滅茶苦茶でまた泣きそうに。暗くて見えないし、とりあえず必要と思われるものを取り出し、同じマンションの方と協力して安全な場所で一夜を明かしました。夜も絶え間なく地震が来るからほとんど眠れず、ラジオをずっとつけていても情報が錯そうしていて、どういう状況なのか全くわかりませんでした。
皆で持ち寄った食料を交換したりしましたが、私はショックで何も飲んだり食べたりできませんでした。
翌朝、晴れてお天気が良かったんです。青空を見て、こんな時にお天気がいいっていうのもなんだか不思議な気がするなあ、と思いました。
そして実家へ戻ることに。普段は電車などで帰っていましたが、もちろん不通なのでまた自転車で1時間かけて帰りました。途中、コンビニやスーパーで既に食料を買う行列を目にしたので、自分も少し買っていきました。
実家について家族の顔を見たらすごく安心しましたね。そして、それまで丸1日何も食べていなかったため、初めて空腹を感じました。家族の顔を見るまでは、さすがの私も食欲がまるでなかったです。
その後、ライフラインが復旧するまでの間も大変でした。食料や生活物資を買う為、毎日近くのスーパーに3時間並んだんですよ。冬の寒空の中、3時間並ぶっていうのは辛いものがありましたね。まさか、今の時代にこんなことになるとは思いもしませんでした。
並んでいる間は寒いけど、皆さん我慢してじっと待っていました。すごくたくさんの人が毎日並んでいるのを見て、きっと戦争中ってこういう状態だったのかなあと思いました。
私の実家は水道だけはでていてラッキーだったのですが、電気とガスはなかなか復旧しなかったです。電気がやっと復旧した時、本当に感動しましたよ。初めて電気を見た人って感動したと思うんですが、その気持ちが分かったと思います。
電気が復旧すると、それだけで気持ちがだいぶ違いました。やはり普段、電化製品にどれだけ頼っているかということを実感させられました。ガスは1か月ぐらいたってからやっと復旧しました。
こうして振り返ってみると、地震が起きた瞬間と同じくらい、その後の方が大変だったなあと思います。いくら備えをしていても、予測不可能ということはありますよね。結局は周囲と協力し、工夫して乗り越えていくしかないと思いました。
おかげさまで、現在はこうして毎日楽しくやっています。毎日、普通に朝起きて、ごはんを食べて、仕事に行ったりするという、ただそれだけのことを今でもとても有難く感じます。お菓子も作ることができますし。
皆様も、今日だけは、毎日当り前だと思っていることを、少しだけ見直していただければ嬉しいです。
長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。
あれから4年ですね。私は幸い、内陸の方に住んでいるので、津波被害はありませんでした。今はすっかり元通りの生活をしています。
長いのですが、今回は震災の体験談として、ぜひ皆様にこの記事をお読みいただければと思い書きました。
その日は当時勤めていた会社のビル内にいました。揺れだした時、最初はゆっくりした横揺れから始まりました。でもすぐに激しい揺れになり、座っていた椅子から落ちてしまいました。
すぐ停電し、机の上からパソコンなどが全て落ちました。蛍光灯と窓ガラスが全部割れ、破片が飛び散り、室内の太いコンクリートの柱が折れてしまいました。
私の席の近くには、書庫やキャビネットが私を囲むように配置されていました。大人が2人でも動かせないような、重い金属製の書庫です。それがゆっくりと倒れてきたんです。このままだと下敷きになる、と思ったけど、揺れがひどくて全く動けませんでした。
でも、ちょうど倒れてきた別なキャビネットにその書庫がぶつかり、私は下敷きにならずにすみました。本当にぎりぎりでした。
よく映画などで、爆弾が爆発して建物なんかが破壊されるシーンがありますね。あんな感じで室内が一瞬で滅茶苦茶になっていきました。あまりにも非現実的すぎて、目の前で起きていることがどこか他人事のように感じていました。
揺れがおさまった後、ビルから避難しました。すぐに家族に電話したら、奇跡的に携帯が通じ、無事が確認できたんです!この後、携帯はずっとつながらなくなったため、本当に良かったと思います。
断続的に揺れるため、その合間をぬってコートや貴重品を取りにいき、各自家に帰ることに。私はバスで通勤していましたが、バスが来るはずないと思ったので、ちょうど社員が使っていた自転車を借りて帰りました。途中、雪が降ってきて、寒くて泣きそうでした。信号が消えているので道路は渋滞し、歩いている人がたくさんいました。
1時間かかって家に戻ると、室内が滅茶苦茶でまた泣きそうに。暗くて見えないし、とりあえず必要と思われるものを取り出し、同じマンションの方と協力して安全な場所で一夜を明かしました。夜も絶え間なく地震が来るからほとんど眠れず、ラジオをずっとつけていても情報が錯そうしていて、どういう状況なのか全くわかりませんでした。
皆で持ち寄った食料を交換したりしましたが、私はショックで何も飲んだり食べたりできませんでした。
翌朝、晴れてお天気が良かったんです。青空を見て、こんな時にお天気がいいっていうのもなんだか不思議な気がするなあ、と思いました。
そして実家へ戻ることに。普段は電車などで帰っていましたが、もちろん不通なのでまた自転車で1時間かけて帰りました。途中、コンビニやスーパーで既に食料を買う行列を目にしたので、自分も少し買っていきました。
実家について家族の顔を見たらすごく安心しましたね。そして、それまで丸1日何も食べていなかったため、初めて空腹を感じました。家族の顔を見るまでは、さすがの私も食欲がまるでなかったです。
その後、ライフラインが復旧するまでの間も大変でした。食料や生活物資を買う為、毎日近くのスーパーに3時間並んだんですよ。冬の寒空の中、3時間並ぶっていうのは辛いものがありましたね。まさか、今の時代にこんなことになるとは思いもしませんでした。
並んでいる間は寒いけど、皆さん我慢してじっと待っていました。すごくたくさんの人が毎日並んでいるのを見て、きっと戦争中ってこういう状態だったのかなあと思いました。
私の実家は水道だけはでていてラッキーだったのですが、電気とガスはなかなか復旧しなかったです。電気がやっと復旧した時、本当に感動しましたよ。初めて電気を見た人って感動したと思うんですが、その気持ちが分かったと思います。
電気が復旧すると、それだけで気持ちがだいぶ違いました。やはり普段、電化製品にどれだけ頼っているかということを実感させられました。ガスは1か月ぐらいたってからやっと復旧しました。
こうして振り返ってみると、地震が起きた瞬間と同じくらい、その後の方が大変だったなあと思います。いくら備えをしていても、予測不可能ということはありますよね。結局は周囲と協力し、工夫して乗り越えていくしかないと思いました。
おかげさまで、現在はこうして毎日楽しくやっています。毎日、普通に朝起きて、ごはんを食べて、仕事に行ったりするという、ただそれだけのことを今でもとても有難く感じます。お菓子も作ることができますし。
皆様も、今日だけは、毎日当り前だと思っていることを、少しだけ見直していただければ嬉しいです。
長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。