今回の内容は真面目な話。
というか、このブログでは真面目な話がほとんどかもな(^^;;
時間があったのでタイトルの通り内容を見ると
「中学生の子の遺書みたいなのが出ててなぁ。感謝の内容にいじめに対して見ないフリせず味方した人にありがとうと言うてたんだが、やはりこの情報社会で誰もがスマホを持ってネットを扱える今となっては、いじめは激化する一方なのかね。」
という内容だ。
いじめは深刻な問題だ。ちょっとやそっとでは解決する問題ではない。
私はこの連鎖は止まることがないと思っている。
ただ…そこから抜け出すことはできる。
ヒーローのようになっていじめというものを止めるということではない。
これは私なりの考え。親友に出した私なりの意見はこれだ。
「大人の方から受け継いでる分が大きいのもあるしな。中途半端に育った大人が子供をまともな教育をしなかったことが原因かなと思う。いくらその親が立派な功績、学力があったとしても、教育力がなければ、中途半端と変わらずどうしようもない。」
「学校で学ぶべきことは、いかに勉強ができるできないや友達をたくさん作るではなく、自分の価値観の合う人間を見つけることができる能力を未来に向けて考えていけるか、だと思う。漫画のGTOでもいいセリフがある。「学校は一生のダチを作るところ」ってな。」
「問題は個人の部分にもある。親から教育されたとしても、自分自身が変わらなければ何も変わらないという極論。親でもどうすることもできない触れられない部分だ。なら、いかに自分がこの世に生まれて何をして死んでいくか。人に迷惑をかけずに。そういう目標、夢を抱けばおのずと1日前の自分には克つという意識が生まれる。」
「その気持ちが生まれた時、初めて人は年代関係なく自分のやる気スイッチが生まれる。人には個人差があり、パターンもある。それを子どもの時にいかに早く見つけられるかだ。すれば大人になった時辛いこともあったとしても、過去を思い出し辛い運命も抗う力になる。そして、昨日の自分に勝つことにより人は初めて自信を持つ。」
「自信を持った時、次に生まれるのは人と争うのが間違いだったと気付けるかどうか。自分と勝負を賭けるなら周りには迷惑はかけない。負の感情も抑えられる。そうなれた時自分は素直に人に優しくものが言える、行動に移せる。そういう素晴らしい人間になり、常に前向きに育っていくだろう。」
「そして最終的に子どもが生まれた時、子どもは親を見て育つ。子どもが大人になった姿は、自分とは違う部分を持つがよく見ると自分の生き様が素直に現れているだろう。それを見た時自分に対して、あぁよかったなと思えるか、それとも真逆か。この連鎖は止まることはない。だとしたら、いかに早く自分が変われるか…だろうな。」
だからこそ、普通の人間が自分ができないできないと思っている人がいるかもしれない。
違う。
自分がやろうとしていないだけだ。
そこに気づければ自分は自分に甘えていたという気持ちに気づくだろう。
そこで二択に分かれる
やるか、やらないか。
やらなければ今までの過去を再び繰り返す運命になる。
嫌だったら…動くだろう?
だったら普通ならやるだろう。
ここで、変われる人間の要素の1つとして
言い訳をしない
ということがある。これは大成功を収めた人間の特徴でもある。
「心の病が」
とあるがはたして本当かどうか。
正直な話私もうつ病は経験している。
だからこそ、私にはできない、人生なんてどうでもいいと思っていた時期がある。
…自分を見失っていたからな。
ただその真逆の部分で自分に甘え嘘をついている…
言葉にするとそんな感じの罪悪感が襲ってくる。
なぜか…?
自分が動けない代わりに他の人が動いているからだ。
人に迷惑をかけていた。
心の奥底では全員が分かっているはずだ。
分かっていても止められない自分、流されてしまう自分がいるとな。
いじめをなくしたいと思っているならば動くべきだ。一人一人な。
形だけの動きじゃない。
心のそこから素直に行動に移すべきだ。
未来のためにみんな笑って生きれるように。
一人ができることなんてたかが知れている。
今日本に足りていない部分はそこだ。
本当の人に対する思いやりの精神
高速化社会になるにつれて、時の経過で自分の人生が瞬くまの間に変わり続ける。
時代は止められないし、歴史も真実は変わることがない。
あと変えられるとすれば…?
それは-
…自分自身だ。