今日は、前回のブログの内容で示した通り、熊本被災地に支援物資の輸送と、メンバーの士気向上を目的として向かっている。
新たにニュースや、掲載される動画、画像を見ると胸が痛む。
話は変わるが、Twitterでふと考えさせられるツイートがあった。
折り鶴を折って現地に送り祈りを捧げるよりも、募金活動をしたほうが貢献になるのではないかと手を挙げて発言したら、怒られた…とな。
怒った人は、薄情者と言ったらしい。
はたして、それはそうなのか?
賛否両論、難しい内容だと思うが、
私の場合は、募金を推奨する。
まず、祈るだけなら誰でもできる。
折り鶴を折ったら終わりか?
折る時は被災地のためにと思うだろう。
折って、送ってしまって、この願い届けばいいな。
ではその後は?何もしないのか?
私はそこを突っ込みたくなるな。
普通の生活をするためでもお金は必要だ。
だから、働くのだろう?
仕事も奪われ、生活を奪われた人達が
今を生きるために、必死なのだ。
願いが届けばいいな。
それは、後でもできる。
願うだけで、
もし、人が亡くなったら…?
それはそれで仕方なかった…か?
もし、仮に折り紙折る時間を変換し物資が届くように調整を行うことで救えた命があったとしたら?
どちらが現実的か。
そう考えたら、どちらが薄情者だと捉える?
祈りでは何も変わらない。
動かなければ現実は見えない。
だから、募金をしたほうがいいと手を挙げ、発言をした人は自分を誇りに思っていい。
そういう人達が集うことで日本は大きく動く。
恥じることではない。
大事なのは自分を信じて他人に流されず貫き通して行動することだ。
そして、世の中が見えていなくて、ただただ文句を言う大人達。
文句を言ってる間にも、復興支援、人命救助を黙々と行っている人がいることを自覚したほうがいい。
その人達は、目の前で文句を言う人にもこう告げるだろう。
「一人のために」「国のために」とな。
人種も、職も、履歴も関係ない。
心で感じたならば…動け、それからだ…。