一段上を目指せ。「本物」を目指せ。 -2087ページ目

最高レベルの「読書」人生への渇望



7/18の記事に書いた、「読書」のもう1つの意味。


読→書


0から創る喜び。


自分の中に今まで全く無かった考え方を、本を通じてでも人伝えでも得て、自分はこれまで新しい分野に挑戦してきた。


中学時代は器械体操に挑戦した。


小学校時代、「ガリのくせに文句言ってんじゃねーよ」とナメられ、それが悔しくて、絶対見返してやると決意し、楽そうな卓球部を蹴り、厳しそうだがカッコいい体操部に入部を決意した。


その後5月地獄と言われる柔軟体操地獄、補強地獄、等数々の地獄を生き抜いてきた。

その甲斐あって中2末の修学旅行では風呂で「すげぇ良い体してんじゃん」て皆に驚かれる位になった。


'97年4月、入部当初は筋肉無さ過ぎて壁倒立ができなかった自分が、鉄棒で車輪ができるようになった。

今体育会を続けられる素地を築けたのもこの中学時代耐え抜いたからだ。


高校では、中学時代苦手だった数学を克服しようと試みた。

自分に1番合ってそうな予備校探し出し、親を説得して入った。

そこで苦手意識を克服し、指数・対数ではクラストップレベルの成績だった。




昔話になったが、自分はこれまで0から苦手を克服、得意にする挑戦を数々してきた。



それまでの自分では考えられなかったレベルの事を考えられるようになった。

自分の潜在意識の奥底にも無いようなことを0から学び、豊かさを享受してきた。



そんな人生を歩んできて、これからも歩みたいからこそ、最高レベルの「読→書」をしたい。


自分が見る側で憧れていた世界の、最高レベルの作品を、outputする側になりたい。


未知の高度な世界に自分が入って活躍できる。


生きている間に認識できる領域を掛け算式に広められる。




読むものの密度が濃くなきゃ、書くものの密度だって上がんない。


そう思った時にこちら4/4の記事。


最高レベルのインプットを今したい。


書き手の熱さを伝染させられたい。「読」む事で、時間・空間を超えて熱くなりたい。

PS. ボストン・コンサルティンググループのHP にある言葉は刺激になりました。クリックしてご覧下さい。