川の流れに逆らう勇気を。
「餌の豊かな上流で、大きく育って欲しい。」
昨日NHKで見た『にっぽん夏紀行』、和歌山・古座川。
川の上流で、鮎釣りを生き甲斐とする80歳のおじいちゃんがそう言った。
「餌の豊かな上流」・・・
何か、比喩的な気がしてならない。
人生は、一種の川上りだ。
下流は生活廃水で汚いし、他のあやしい魚もうようよ。
だが、自分で今いる場所に安住せず、行動を起こす魚が中にはいる。
腹を据え上りを開始。
それは苦難の連続だ。
下流から中流は比較的楽。
だが、上流にさしかかると、いきなり岩あり、沢あり、滝あり。
時にはクマに襲われるかもしれない。
難所の滝の前では、多くの同志が最大の試練を前にギュウギュウ詰め状態。
そこを1つでなく、いくつも越えた者だけが、最上流の冷たく透き通る水を心いっぱい享受できる。
最初に登場したおじいちゃん曰く、上流は餌も豊富なのだ。
下流にいる時は、周りのぬるま湯から自分の意志で抜け出した。
上った。
中流から上流にかけては、上れば上るほどキツくなる所を不撓不屈で、とにかく前に進んだ。
上った。
まだまだ満足せず。
まだ上った。
それでも上った。
そして、上る事しかもう知らなくなった時、いつの間にか最上流に着いていた。
いつの時代でも、自分の周りの環境に引っ張られるのでは川は上れない。
自分でぬるま湯を出る決意できるか。
それとも、他者過剰依存で、周りに引っ張られて終わるか。
自分で川を上る決意できる主体性。
自分で怠惰の流れに逆らい上る志の強さ。
必ず一生失うまい。