考えてみれば
自分の人生、ずっと安全志向な親の意見の反対を進んできた。
中学では厳しい体操部に入り、高校受ける時は「2番手でいいよ」と言われ、むしろトップ校を狙い成功した。
大学では強い体を求めて、敢えて体育会に入った。
よく親は「分相応でいきなさい」と自分に言ってくる。
しかし!!
分相応の選択じゃ、後悔が膨張するばかり。
自分はこれまで「分」と戦ってきたのだ!!
運命と戦ってきた!!
「このままで終わんねぇぞ」
「クソ忙しいのにナメんな」
「まだ。」(もうの対義語として)
といった言葉で自分のキャパと戦ってきた。
しかし、今まで私立大学に自分を出せるほどの収入・貯蓄を稼ぎ出してきた父や親類達は「分相応」なんて言って小さくなっていたとは思えない。
親達の20代は挑戦、挑戦、日々挑戦の連続だったに違いない。
少なくとも20代でモーレツに働いて稼ぎまくった、過去あっての今の生活だ。
20代に大きく考える習慣無くして、充実した30代・40代があろうか?
20代にモーレツな人間は、もっと充実した30代が過ごせるハズ。
30代にモーレツだった人間は、もっと明るい40代が待ってる。
40代に「待って」いないで自分でアクション起こす人は、50代に幸せが「待って」いる、と我思う。
さぁ、人生これから忙しくなっぞ!