頑張ることの最高の意味
「頑張って何になるのか?」
そんな本質的な疑問を持つ人は多いし、そんな疑問に悩んだ時期が自分には長かった。
それでも、1つの答えを高校時代見出した。
それは、高い意識・志・成長意欲を持つ人と一緒になれることだ。
自分自身、地元トップの高校に進学して気付いた。
自慢じゃない、人間社会の真実だ。
我が校で生まれた男子シンクロ、それを題材にした「ウォーターボーイズ」、文化祭では3万人を動員した。
球技大会、陸上競技大会、マラソン・・・何やっても盛り上がった。
自分の高3のクラス出身者は就職先が丸紅、リクルート等、どんどん持ち前の意欲で己の道を切り開いている。
どんどんテンションが上がっているのだ。
逆に、「小・中学時代があいつのピークだったよな」と噂されるような小学校の同期もいる。
一口に同期と言っても、高校の同期は自分が努力して勝ち取ったもの。
小中学は与えられたもの。
自分の意志で勝ち取ったものはその分価値も大きい。
自分のベクトルを上げ、人生を切り開く大きな原動力に一生なってくれる、もの。
それが同期という存在だ。
それを得る為なら、どんな努力もしていい。努力の過程で負った傷よりも、計り知れないプラスが人生にもたらされる。