私も今日、岡谷市内のお蔵の中から、プチ発掘とでも言うべき、発見をしたのが、「ヤシカ坊や」であります。こちらは、どれぐらいの数作られたものかはわかりませんが、当然、大量生産であろうし、縄文の女神と、比較しようはないのでしょうが、私は、感動しているわけです。地元にいながら、無論、ヤシカというカメラの会社があることも知っていながら、こんなマスコットキャラクターが存在したなどとは、全く知りませんでした。この会社、バブル期に京セラという大きな会社に合併吸収されています。その頃、機械の納入の仕事で、その会社に行ったことがありまして、当時流行りだしていたオートズームのコンパクトカメラを、そこでは作っていたようです。作業をしている社員の方が、「これは、Yブランド、こっちは、Kブランドね。」などと指示しているのを耳にして、ヤシカと京セラの名前を使い分けているのだな、などと思っていました。が、内心、ヤシカは、京セラというクジラに飲み込まれた魚、そんなイメージしかありませんでした。
今日、このヤシカ坊やを発見してから、あわてて、ネットでヤシカという会社の歴史を調べてみて、結構、当時の最先端の技術開発をしていた会社だと知り、無知に恥じ入っております。カメラのことはわかりませんが、この「ヤシカ坊や」の造形力を見ただけで、その当時のヤシカの底力が、ヒシヒシと、私には感じられます。立体として、とても良くできている。いろんな、昔の企業マスコットを、私も見てきましたが、ちょっと、これは、ベスト.ワンクラスの出来ではないかとさえ思えまして、そこに、それを作り出した企業の潜在エネルギーをも、感じてしまう。
こういうことなのかな、ふと、私は思いました。はるか5千年も前の縄文遺跡から、縄文の女神を発掘した考古学者の興奮、レベルは遥かに違うでしょうが、それは、こういう感慨をともなうものなのかと、そして、それを作り出した人とその世界を、何だか直感的に理解できるような、あるいは、理解しようとする心情に傾いていく、というような。
ともあれ、作られたモノの背後には、作った人や、その時代が持っているパトス、のようなものが、確かにまといついている、何だかそんな気がしているのでした。
