山本太郎氏の離婚に思う事 強すぎる正義感の境界線 | ちゅらさんのブログ

ちゅらさんのブログ

20数年ぶりの福井に感じた新鮮さとと戸惑いを、県外と県内の二つの視点から福井の政治を中心に綴ってみようかと。辛口気味なのはご容赦。

夏の参院選で当選したばかりの山本太郎氏が、昨年の8月に離婚していたという事実が発覚しました。


なんでも昨年の5月に結婚して8月に離婚するという、わずか3か月のスピード離婚だったということです。


離婚の理由は、山本氏の反原発活動のため「1ヶ月に2,3回しか家に帰れない」状態が続き、新婚生活の中ですれ違いが生じていったことのようです。


昨年12月の衆院選時には、取材に対して「母親と妻の3人暮らし」と回答していたようですが、その理由については山本氏のブログで次のように述べられていました。


「彼女の身の安全のために、離婚したことを発表できませんでした。理由は、彼女の複雑な家庭環境にあります。」


さらに次のようにマスコミに自粛を呼びかけておられます。


「この離婚問題の掲載を受け、今後のマスコミの盛り上がり次第では、顔が晒され、彼女の身の安全と自由は以前とは比べ物にならないくらい厳しいものとなります。」

「どうかマスコミの皆さん、僕への誹謗中傷は仕方ありませんが、ただ普通に暮らしたいと人生を歩み始めた一人の女性をそっとしておいて頂けませんか?」



ただの離婚報道であれば取り上げるつもりはなかったのですが、離婚の事実を公にしないまま選挙に出馬し、当選したということに対して、やはり疑問を感じてしまいます。


いずれ発覚することであり、離婚の事実を知っていれば投票しなかった人もいることを考えると、不誠実だったという印象は拭えません。


プライベートのことなので問題ないという意見も散見しますが、一番の理解者であるべき配偶者からの理解が得られていなかったという事実は小さくないように思います。


一般論になりますが、自分の身近な人をも幸せにできなかった人に他の人を幸せにできるのか、という疑問は政治家には常に付きまとうものです。


報道を見る限り、反原発運動に前のめりになりすぎたことが離婚の原因のようなので、山本氏の活動に対する姿勢を疑問視する人はそれなりにいたように思います。


仮に選挙前にその事実が公になっていれば投票行動に影響したことが予想されるため、そのあたりの道義的責任は免れないように思います。



個人的には山本氏の反原発運動にかける思いは分からなくもないのですが、家庭を壊してまでのり込んでいる姿には、やはり共感できません。


さらに、元配偶者の方を守るためとはいえ、をついてまで選挙に臨んだ姿勢は咎められてしかるべきかと思います。


ただごとではない事情があったのでしょうが、本当に元配偶者の方を守るということであれば、出馬しないという選択肢もあったのではないかと単純に思ってしまいます。


さらに言えば、家庭を壊す前に活動への取り組み方を見直すことも出来たように思います。


政治家山本太郎」の代わりは他の人でも勤まりますが、山本太郎」の代わりは誰にもできなかったはずで、そこに思い至らなかったところが山本氏の限界のような気がします。


自分でなければ原発は止められない」という考え自体が思い上がりのように感じられ、政治活動が家庭を守ることより価値あることだと思わない人間にとってはマイナス評価にならざるをえないのでした。



政治家にはより広い視野と他の人の意見に耳を傾ける姿勢が求められると思うのですが、山本氏の場合、強すぎる正義感がそれを阻害しているように見受けます。


強すぎる正義感は、人を視野狭窄に陥らせ、他罰的にならせ、目的のために手段を正当化させかねない危険をはらんでいるものです。


山本氏の、反原発活動のために家庭を恐し、発覚の危険を冒し、嘘をついてまで出馬するという姿勢からは、そうした心理的落とし穴に陥っている印象を受けてしまいます。


歴史を紐解くと、そのような傾向のある人が指導者になるとろくな結果にならないのですが、時として共感をよび、強いカリスマ性を生み出すことがあるのもまた事実です。


そう考えると、現在の日本において、山本氏とその支持者たちが今後どのような方向に向かっていくのかは、一つの興味深いテーマではあろうと思うのでした。



ともあれ、正義感義憤に駆られて政治家を志したような方は、定期的に自分を客観的に見つめなおす作業が必要ではないかと感じたニュースでした。



※ 一応、政治家は離婚すべきでないと言っているのではないので、念のため。