昨日は、
週末前の私の柔らかな様子を感じ取り、やけに娘たちが私の元で ころころ、Hug Hug…♡と甘えん坊を楽しんでいました。
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私は、賑やか、騒ぐこと、その状態を恥ずかしいことだと見ている。
例えばゲームをする事。その音。
例えば駐車場で盛り上がる人。
例えば追いかけっこを始める子ども。
例えば大音量の音楽を楽しむ様子。
例えばいつも大きな声で会話をする同僚。
シーンはいくらでもある。
テレビ、レストラン、職場、動画、機械、街、
そして泣き声……
不快感の1つの側面に自身の中で恥を感じているのだ。
不快だと片付けるのは実に容易で、自身から距離を置こうと排除することを選ぶのです。
排除することにより、自身の内に隠してきた欲求に見てみぬふりをしてきたのです。
さわぎたい
賑やかにしたい
大きな声でわたしも伝えたい
お母さん、だいすき と
もう!だいきらい!とかね。
目を背けた自身の欲求に対し、まっすぐ表現せず、自分が屈辱的な目に合っていると片付けたのでした。自分は悲惨な状況にある、と棚に上げる事で、子どもや、周囲の人、情報のすべてにいつも嫌悪を抱いてきたのです。
不快、と決めつけて遮断し排他した。
本当は私のなかにある欲求なのです。
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どうして?
耳障りな事、自分勝手な事と思い。
自分勝手はいかんの?
自分を勝手に表現出来るのは自分だけやな。
自分はそん時どうしたかったん?
•さわぎたかった
•お母さんにわめきたかたかった
•お母さんに言いたかった
•駄々をこねたかった
•甘えたかった
•言い放ちたかった
•大声で、大きな口を開けて、目の前で泣きじゃ くりたかった
•抱きつきたかった
•もっと言いつけてみたかった
•ぎゅっとしてみたかった
•堂々と寂しさや困りごとを出したかった
•おねだりしたかった
•感情のままに出したかった、出してみたかった
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私は、感情のまま表現することは恥ずかしい事だと思い込んでいました。
なぜなら、私は妹の姿を見て私自身がそう判断をしたからです。
幼い頃にそう判断し、欲求を抑え込んだ。
けれども、
私はこれから視点を変えたいのです。
これまでの自身の見方と潜んだ欲求に気が付いたのです。
どう活かすのでしょうか。
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恥≠そのままの自分の感情を隠すことなく
すっかり現すこと
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どう恥ずかしいことになるん?
身勝手と判断される
→判断したのは自分だった。
思い出せる?自分から母に抱きついた記憶。
…思い出せない。
そこに戻ればいい。
スタートに戻ればいい。
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わたしは Hugをしよう。
彼女らが惜しみなく表現するなら、
わたしは Hugをしたい。
わたしの存在を どうぞ
使ってください。
わたしのHugが愛ならば
どうぞ使ってください。
だいすき、愛してると
もらってください。
そうして、愛を渡します。
−−−−−−−−−♡
そして、頬笑ましい。
今年の私のひとときを一番多く共にした
曲の名は
うれしくって抱き合うよ
でした♡
このタイミング答え合わせじゃん!!(笑)