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雑学シリーズ

10月の雑学

紅葉狩りの意味

「紅葉狩りの紅葉は動物や鳥を捕まえる意味が

果物を取る事や草花を鑑賞するに広がり

紅葉狩りと呼ぶ様になった

ともと平安貴族が紅葉を見ながら宴を開き和歌を

詠む事が流行し江戸時代に庶民まで広がって定着した」

 

紅葉は鬼女!?伝説(長野県)

「戸隠山に紅葉と言う鬼女が住んでいた山を下りては

村人を餌食にする為 時の帝が「平維重」に鬼退治を命じる

平維重が山に向かうと美しい女達が紅葉の下で宴をしていた

 

平維重は誘われるままに主演に加わり深い眠りに落ちると

正体を現した女達は鬼女の高揚と其の手下達だった

すると平維重の夢の中に神が現れ神剣を与え

危機一髪のところで目を覚まし神剣で鬼女を退治し

戸隠山に平和な日々が戻った。」

柿の歴史

「原産地は東南アジア一帯でその歴史は古く縄文時代の

移籍かから柿の種が出土している

奈良時代には日本各地で栽培され干し柿にして食べていた

 

鎌倉時代に渋柿の突然変異で甘柿が誕生し

日本原産の果物になった

欲し柿の殆どが渋柿が使われている

 

最初から甘がきを使った方がいい気がするが

実はあの渋さのによって甘さがかき消されているだけで

普通の柿よりも糖分を多く含んでいる

実際に甘柿で作っても渋柿程甘い干し柿は作れない。」

 

ノーベル賞に

数学賞がない理由

毎年10月に発表されるノーベル賞に

数学賞がないのはアレフレドノーベルは同じ

スーエデン人の数学者と恋敵で非常に仲が悪かった

もし数学賞があれば彼が受賞するかも知れないと考え

 

ノーベル賞をゆるす遺言書に数学賞の記述をしなかった

後に数学のノーベル賞と言われる「フイールド賞」が

カナダの数学者チャールズフイ―ルドよって設けられた。」

 

最後の陸軍将校

『終戦から29年日本が高度成長期の只中

昨日まで戦闘を続けていた「小野田寛郎」少尉が帰国した

其の2年前グアムから救出された旧陸軍兵士

 

「横井正一」氏とは違っていた横井氏はやせ細り

憔悴しきり「恥ずかしながら帰ってまいりました」と

語った横井氏とはまるで違っていたしていた

背筋を伸ばし鋭い眼光でまるで現役軍人の様であった

大正11年3月19日に和歌山で生まれ中学校後は

貿易商に就職し中国支店で勤務していた

 

中国語と英語が堪能だった為スパイ養成機関

中野学校に送られた卒業後はルソン島に上陸する

米軍を阻止する為フイリピンのバング島に派遣される

受けた命令はルパン飛行場と桟橋を破壊し

敵が上陸してきたら敵機の焼破を図る事

玉砕は一切まかりならん!

3年でも5年でも頑張れ必ず迎え行く」

と言うものだった

 

昭和20年2月約5万5千人の米軍が上陸し圧倒的な戦力で

日本軍を破った小野田少尉は数名の部下を連れて

ジャングルに逃げ込みゲリラ戦意入った

 

然しほどなく日本は

ポツダム宣言を受け入れ終戦

然し小野田達にその知らせは

届かなかった為に作戦を遂行し続けた。』

 

日本兵の大捜索

『昭和20年遅れ米軍の爆撃機が

戦争は終わった命は

補償する山を下りてこい」と言う

ビラを大量に撒いた

しかし小野田達はこれを米軍の策謀と判断した

 

当時日本兵は集団でいると発見される危険があるので

少グループに分かれて密林委潜伏していた

昭和21年2月1日

日本兵はいないか!

戦争は終わったんだ出てこい!」

日本語の呼びかけが密林内に響いた

早川隊の生き残りの2人の兵士が

日本人による捜索である事を確認して

密林から出て来た

この2人雄協力でその後

41名の日本兵が次々と密林から出て来た

 

それから3年後小野田グループの

赤塚一等兵が耐えられず他の3人に黙って密林を出た

赤塚の証言でフイリピン軍は3名の生存を知り早速

赤津が書いた投降を

呼びかけるビラを島内にバラ空いたが

赤塚の願いもむなしく

小野田達は出こなかった

小野田達は任務遂行の為に自分達のテリトリーに

入って来る者は女、子供以外は撃つしかなかった

 

たった3人で米軍基地の破壊を何度も試みた

そしてフイリピン軍は30名の討伐隊を派遣し

小野田達と銃撃戦になったこの戦闘で射撃の名手だった

小島伍長が眉間を撃ち抜かれ即死

それでも2人は任務を遂行したが

昭和47年警察軍に襲われ小塚一等兵が銃撃でやられ

遂に小野田少尉一人になってしまった

 

小塚一等兵の衝撃的な

ニュースは日本でも取り上げれらた。』

日本青年との出会い

『日本政府はフイリピンに居る

日本兵を帰国を帰国させるために

一億円をかけ延べ1万2千人を動員する

大捜索を行ったが小野田少尉は出てこなかった

 

世界放浪する冒険家の鈴木紀夫青年は思った

今までの捜索で

欠ていたのは小野田さんの

気持ちを全く察し様として

こなかったからではないか

東南アジア人と溶け込むことできる

俺なら小野田さんと会うことが出来る」

 

だが武器を持った現役軍人と会う事は下手をすれば

射殺されるリスクもある

 

出発前鈴木青年は元上官に会い橋を聞き

地元の民間人からも情報を得て

小野田少尉のいる場所に近づいた

小野田少尉はその行動を何日も前から見ていた

丸腰だ日本人らしいな。。。」

野営するからには

狙撃兵を連れているに違いない」

 

昭和49年2が2日の事だった

炊事をする為に火を起こしていた

鈴木青年の背後から

突然「おい!」

と言う声に

びっくりして振り返ると

夕日を背に銃を構えた音が近づいてくる

既に安全装置は外され引き金に指がかかっている

 

顔を正面に向け眼球だけ左右に動かし

人の気配があれば射殺して逃げるつもりだ

鈴木青年は両手を上げ上ずった声で

僕は日本人!

日本人です!撃たないで!」

そして急に軍隊調になり

あ!小野田少尉殿でありますか!」

「長いご苦労様です戦争は終わりました

僕と一緒に日本に帰っていただけませんか」

小野田少尉は

俺には戦争は終わっていない!」

と怒鳴りつけた

青木青年

小野田さんはここで

骨を埋めるつもりですか」

小野田少尉

「任務解除の命令が無い限り

此処を動く訳にはいかんのだ」

戦争を知らない青年24歳と

平和を知らない51歳の兵士はなぜか馬が合い

心を許して明け方まで語り合る

上官の命令があれば山を下りると約束した

 

それから2週間後青木青年は

元上官の「谷口義美将佐」を伴って戻って来た

小野田少尉は立ち上がり

小野田少尉!

命令受領に参りました!」

直立不動で敬礼

谷口元上官は命令賞を読み上げる

「大命により尚武集団は

全て野作戦行動を停止セリ」以上!

小野田少尉は処刑覚悟でマニラに出向いた

ラングーン司令官は小野田少尉が差し出す軍刀を

この軍刀は受け取れません

何故ならあなたは軍隊に

おける忠誠の見本だからです」

翌日マニラ宮殿でマルコス大統領が待っていた

マルコス大東s量は小野田少尉の肩を抱き

あなたは立派な軍人だ

私もゲリラ隊長として4年間

戦ったあなたの30年間ジャングルで

生き抜いた強い意志は尊敬に値する」

「私はこの国の大統領として

あなたの過去の行為を全て許します」

小野田署少尉の30年間の戦闘で

フイリピン軍30名以上を倒している

 

フイリピンにしてみれば

これは戦後の殺人以外の何物でもない

かくして昭和49年3月12に日に羽田空港に降り立った

直ちに記者会見となり色んな質問が飛んだ

青春時代の全てをジャングルで過ごして

如何いう思いですか」に答えて

若い熱気盛んな時に大事な仕事を

全身でやった事を幸福に思います」

その姿勢は2年前に救出された横井氏とはまるで違っていた

横井氏は救出されることをひたすら願い密林に潜伏していた

横井氏はこう語っている

私自身一人で生きるにも

肉体的にも限界を感じ

現地人につかまった時は非常に

疲れていました3か月入院しました」

 

一方小野田氏は帰国後に短期間入院させられたことを

昨日まで密林で戦っていた

男を入院させるとはない事か!」

と死ぬまで怒っていた横井氏との違いは

目的遂行のために戦っていたのである

小野田氏は戦時中

 

自分が体験して潜在能力についてこう語っている

夕闇が迫っているのにまるで

真昼の様に明るくなりましたそして遠くに見える

木の葉の宮区の一つ一つまでハッキリ認識出来ました

 

そうなると遥か先に居る

敵兵の動きが手に取るように分かり

相手が射撃する間に身をかわして

 

銃弾を避ける事さえできると思いました

命を懸ける場面で命を懸けなくても

大丈夫だと確信に変わった瞬間でした」

小野田氏の帰国で日本中が沸騰したしかし帰国時に

「天皇陛下バンザイ!」と言った事が物議をかもし

マスコミは軍国主義を美化していると徹底的に批判した

 

日本人としての誇りを失い経済成長を謳歌していた

日本に息苦しさを感じ農業をする為にブラジルへ行ってしまった

しかしこのままではいけないと若者教育の為に帰国し

小野田塾を創設した

 

 

その教育は精神と体を鍛え

困難に直面した時

どうすればいいか自分の頭で

最善策を考え皆で乗り込て行く

まさに日本の未来を担う

人材育成に尽力し

2014年11月16日に91歳のその生涯を閉じた

然し今もその遺志を受け継ぎ

小野田塾は「小野田自然記念財団」として存在し続けている。』

 

小野田さんは日本はアメリカの

傀儡政権に見えるとよく言っていたという

それはGHQ洗脳工作の

「日本は侵略戦犯国家」を信じてしまい

日本人としてのアイデンテイテイを失い

自国を守る意識も希薄になり安全保障は

全てアメリカ頼みで主体性がなく

 

ただアメリカに追随する

日本の姿を見てそう思ったのだろう

 

その結果日本人は極端な軍事アレルギーになってしまった

 

最近「日本政府はウクライナ戦争で危機感を煽り

憲法改正して戦争する国にし様としている」などと言う

平和ボケの投稿記事を目にする事がある

二度にわたる蒙古襲来や欧米列強による

経済封鎖に端を発した日米開戦などを見ても

戦争する気はなくても一方的に戦争を仕掛けられれば

避けられないものである事を歴史は証明している

 

大航海時代の幕開けと共に

アジア諸国が次々と欧米の

植民地になったのは

白人に対抗する軍事力がなかったからだ

 

平和は軍事バランスが均衡した

戦争と戦争の間ある状態にすぎない其の平和を

維持するために何が必要かを現実的に考えるべきである

此れだけ台湾と近ければ台湾有事の際には

シナとの戦争は避けられない

非核三原則を持ち出し核武装も核シアリングもしない

と言う岸田総理の理想論では

軍事力を外交の最終手とし

勝つことを正義と考える国際社会では

通用しないどころか

格好の餌食にされてしまう

 

小野田さんがジャングルで30年間も戦い続けた

ものは祖国日本を守る

強い目的意識だったのではないだろうか

国家は人であるその国民の国を愛する

意識が薄くなれば国家消滅する

小野田さんはそう考えて

若者教育の為に帰国したのだと思う

 

ウクライナは

核武装を止めたばっかりに軍事力が弱体化して

ロシアの侵略を受けてしまったしかし負ければ

ロシアの奴隷にされることを良く

知っているから一般市民でも武器を持って戦っている

これはウクライナに取って自存自衛を掛けた

大東亜戦争と同じ独立戦争なのだ

 

小野田さんは次のような言葉を残している

過去を捨てる事は出来ない

現在は止める事が出来ない

然し未来は決める事が出来る」

小野田さんの国家は人なり

の意識と強い

目的意識を受け継ぐ事が

日本の未来の

繁栄と平和を

もたらすものと信じる!!