ユダヤ寓話・格言シリーズ | umebociのブログ

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ユダヤ寓話

格言シリーズ

希望と言う名の墓地

 

ユダヤ人生き残りの秘密は希望を捨てなかった事である

全ての終わりを意味する墓地は

ユダヤ人に取って明るい未来を象徴している

ある父と子が砂漠を旅していた砂漠は暑く旅は長かった

子が言った「

お父さんさんのどが渇いて死にそうだ」

すると父は

頑張るんだもうすぐ町が見える筈だ」

と励ました親子はまた歩き続けた

 

やがて墓地が見えて来た父は「墓地の近くに町が

あるだから元気を出すのだ」と言ったと言った

人々は町の外に墓地を作った砂漠を旅する者に取って

墓地は町が近い事を約束する印

ユダヤ人に取って墓地は終わりの

象徴ではなく生命の象徴になった。』

 

絶望的であっても希望を失わないで困難に立ち向かい

乗り超えていく力となるのは真理ではないだろか

幕末期その事を身をもって示した人物がいた

 

日本を動かした漁師

1841年土佐清水の貧しい漁師の次男として生まれた

万次郎は【14歳】仲間の少年達4人と漁に出たが

突然の強風に流され阿呆鳥が住む無人島に漂着した

阿呆鳥は警戒心が薄く人間が近づいても逃げないので

捕まえて食糧として少年達は命をつないだ

然し阿呆鳥は渡り鳥で4月に子育てが終わると

一斉に島を飛び去ってしまった

それを見て絶望する

少年達を万次郎は励まし海藻を取ったり

島を走り回り木の実を探して来た

無人島生活143日目アメリカの捕鯨船がウミガメの卵を

食糧とする為この島に立ち寄った

ホイットフイールド船長は日記にこう書いている

5人のみすぼらしき疲れた人間を発見

彼らが空腹である以外

何も理解する事がかなわず」

ホイットフイールド船長

彼らを救ったのはマサチューセッツ州に拠点を置く

アメリカの捕鯨船ジョンハウランド号だった

万次郎は他の少年達と違い積極的に身振り手振りで

話しかけ掃除や雑用を熱心にやった

 

船員達も気に入りあだ名をつけた船から名前を取り

「ジョン。マン」と呼んだこの少年こそ

日本の運命変える事になる中浜万次郎である

 

万次郎は人に好かれやすく積極的で何でもやり

直に見張り台からクジラを探す見張り番をやる様になり

皿も森の打ち方を習いクジラを仕留めるまでになった

 

捕鯨船は途中ハワイに立ち寄り

少年達の身柄を現地政府に預けた

数年前に妻を亡くしたホイットフイールド船長は

万次郎を非常に気に入り用紙にして連れて帰りたいと

何度もその思いを万次郎に聞いて同意を得た

かくして1843年に捕鯨船はマサチューセッツ州の

港に戻り隣町のフエアヘブンに住んだ

そこで万次郎は血さな学校に通い始めた

日本人を見たことがない人々は万次郎を未開人と思った

 

然し万次郎のずば抜けた記憶力と

学習能力の高さに

未開人どころか文明人である事に驚いた。』

 

アメリカでの人種差別

やがてホイットフイールド船長は再婚した

そして日曜日学校の家族席を買いたいと万次郎を連れて

教会に願い出ると教会は

「ご夫妻とは今後も

お付き合いしたいと望んでいいますが

二グロと見間違う様な

少年をアメリカの少年少女と

同席させて教育するわけにはまいりません

 

ついては黒人用の教室が

用意されていますのでそちらに

お入れになられてはいかがでしょうか。」

万次郎が通った教会

 

それは明らかに人種差別だった万次郎は日本人として

初めてアメリカで人種差別経験する事になった

 

それを聞いたホイットフイールド船長は

万次郎を受け入れてくれる別の宗派に変え

3人一緒に日曜日に教会に行くようになった

1844年

ホイットフイールド船長の勧めでハートレットアカデミー

の入学試験に挑戦する此の学校は航海に必要な

操縦技術、高等数学、測量を教えていた

此処を卒業すれば船長になるのも夢ではない

万次郎の心に常に有ったのは母の事だった

父は8歳の時に亡くなっていた

万次郎は難関を突破して合格する

 

自分が居なくなって母は悲しんでいるに違いない

いつか自力で日本に帰って母に会いたい

 

万次郎は武士でもなく学問をした事もない

英語もろくに話せないただの日本の漁師が

高等数学を使いこなせるわけがない

すぐに脱落すると思われていたが

何と首席で卒業した

万次郎は卒業後航海士として雇われニューヘッド港を出航

数年間捕鯨船の暮らしを送り

船の中でも尊敬を集め副船長にまでなった。』

 

祖国への帰国

『1850年ついに日本へ帰国することを決意した

万次郎はゴールドラッシュに沸くカルフォルニア州で

帰国の資金を作ってハワイ経由で日本に向かった

 

ハワイで当時分かれた仲間と再会し

仲間と共に薩摩藩の領である琉球に上陸

それは実に10年ぶりの帰国だった

当時は外海に出る事は

国禁で死罪である

万次郎たちの命を救ったのは世界を見据えていた

薩摩藩主の「島津斉彬」だった島津斉彬は

万次郎を直接取り調べた

これは面白いとなって藩士や大工を集め

西洋様式の造船や航海術を教えてくれと頼んだ

それから約2年ようやく故郷の土佐に帰り母と再会したが

土佐でも取り調べを受ける事になった

 

取り調べに当たった「河田小龍」ら

役人は統治者の大統領が

世襲ではなく選挙でえらばれることに酷く驚いた

河田小龍は万次郎が語るアメリカや世界の情勢を

4冊の本にまとめ出版すると

諸大名の愛で読まれ評判となった

 

坂本龍馬は河田の説く

外国船を買って荷物を

積み海洋に進出して

貿易によって外国に追いつく事が

日本の取るべき道だ」

共感して過激な攘夷思想から開国に目覚めた

その考えは万次郎から聞いた智識であった

日本の新体制の元となった

龍馬の「船中八策」の献上も

万次郎からもたらされた知識が無かったら

書き得なかったその後の歴史を見れば

明治維新を成し遂げ日本を動かすために

万次郎の情報、知識がいかに

 

ペリー艦隊の来航

1853年6月3日ペリーの艦隊が浦賀に姿を現すと

幕府の警備船が艦隊を取り囲んだ

日本側は

外交は一切長崎で取り扱う事に

なっているので長崎に行ってくれ」

これに対しアメリカ側は

この様に我が艦隊を警備船で

取り巻くとはけしからん

即刻退散させよ退散しなければ

砲撃を加える!

開国を拒否するならば武力を持って上陸し

直接大統領からの

国書を直接 国王に手渡すだろう」

 

要求を受け入れなければ

武力で解決すると恫喝して来た

この恫喝で幕府の警備船は米艦隊を離れた

この時幕府は無策だったわけではない

通商を行っていたオランダから軍艦4隻で

開国を要求して来る事を既に1年前に知っており

中浜万次郎

 

アメリカを良く知るジョン万次郎から

アメリカは侵略する気はない

日本は遠すぎて侵略の旨味がなく

それよりも捕鯨の際の食糧供給

屋交易が第一の目的だ」

と言う情報を得ていた

 

幕府は開国がどうしても避けられないなら

イギリスよりも侵略する気がない

アメリカが良いと考えていた

 

情勢を冷静に分析した幕府は戦争を避けて

江戸を戦火から守り国内の混乱を避けることが出来たのは

幕末の激動期に最も必要な時期に最も必要な情報が

アメリカを熟知する万次郎によって持たされ

 

黒船来航の2年前に帰国していた事は

歴史の見えざる

手が働いたとしか言いようがない

日本の歴史でこの様に不思議な

見えざる救いの働きが何度かあった

 

蒙古襲来の時に若きリーダ北条時宗が現れ神風が吹き

幕末期には欧米列強に飲み込まれそうになると

西郷、龍馬、勝海舟、福沢諭吉などの英傑が日本を救った

その彼らに大きな影響を与えた

 

万次郎がもし命をつなぐ

阿呆鳥のいる無人島に流されなかったら

日本の運命は全く違っていただろう

そう考えるとその時代その時代の国難の時に天は必ず

必要な人材を用意していると思えて来る

 

無人島で万次郎は希望を決して失う事はなかった

阿呆鳥が島を飛び去った時に仲間は絶望したが

万次郎は仲間励まし必死に島を駆け巡り木の実を探し出し

水が尽きても危険な崖をよじ登り

溜まり水を見つけ捕鯨船が島を離れようとした時

万次郎は必死に追いかけ

島の裏で船を見つけ救助された

 

どんな絶望的な状況であっても希望を失わず

前向きに行動すれば天の見えざる手が働き

明るい未来につながるとユダヤ寓話は教えている

 

今我々はシナ共産党の全体主義に

飲み込まれようとしている習近平に屈すれば

言語も日本文明も失ってしまうかもしれない

然し忘れてはならないのは

国を作るのは人であり

人を支えるのは精神である

明治の英傑たちは圧倒的な西洋列強に

怯むことなく立ち向かい肩を並べた

そして日本は人種平等を世界で最初に宣言し

人種平等とアジア開放を掲げ強大な軍事力を持つ

欧米と戦いアジア開放を実現させ

白人の植民地主義を終わらせ人類進化に貢献した

グレートリセットの

全体主義の波が吹き荒れる今こそ

日本が必要とされている

 

その日本がいつまでも

弱いままであっはならない

 

我々一人一人が日本を守ると

覚悟を決め意識を変える事で

時代が必要とする

人材が目覚め政治は変わる

 

どんな絶望的な状況であっても

希望を失わず諦めず立ち向かった

先人達の武士道精神が

 

我々の中にある限り

日本は絶対に滅びないのである!!