裸の王様 | umebociのブログ

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ブログ更新に時間がかかりそうなので

例によってつなぎ記事です

 

裸の王様

 

「非常に親切な金持ちがいた彼は召使だった

男を喜ばそうと思い船にたくさんの品物を船ごと与え

何処でも好きなところへ行ってこの品物を売り払い

暮らしなさいと言って送り出した

ところが嵐が起こり座礁して沈んでしまった男はようやく島に

泳ぎ着いたしかし全てを失い非常に悲しみに沈んでいた

島の中を歩いていくと大きな町があった

 

男は服さえ着ていなかったしかし街の人達は歓呼して迎え

「王様バンザイ!」といって彼を王様にした

彼は豪華な宮殿の住民になり自分は夢でも

見ているのでないかと如何しても信じられず側の者に聞いた

「自分は無一文で泳ぎ着いたのに突然この島の「王」に

祭り上げられたが一体何事が起ったのか?」と聞いた

するとその者は

 

「我々は生きている人間ではない霊魂だ一年に一回

生きている人間がこの島にやって来て

我々の「王」に成ってくれる事を望んでいる

しかし気を付けてください一年たった時に

生き物も食べ物も何もない島に追放されて終うでしょう」

 

王になった男は「それは良い事を聞いたそれではこれから

一年後の為に色々準備する事にしよう」と言って感謝した

そして砂漠の様な島に行って花を植え果物を植えた

一年たつと男は楽しい島から追い出された

「王」であったのに

来た時と同じように裸で死の島に送られた

 

島につくと果物が実り野菜が育っていた

先に追放された人々もあたたかく迎え

そして男は人々と幸福に暮らす事が出来た

 

この話はいろいろなシンボルを意味している

親切な金持ちは有難い「神様」で召使は人の「魂」である

男が行った最初の島は「現世」そこの住民は「人類」

一年後に行った島は「來世」そこにあった「花」や「果物」

「野菜」は「善行」である

人は生まれて来る時は手を握っているが

死ぬ時は手を広げている何故だろう?

それは生まれてくる時は

世の中の全て物を掴もうとしているからであり

死ぬ時には後に残った人に与えて行くという事である』

 

自分の為にだけ生き他人を顧みず

いくら巨万の富を手にしてもそれは虚しい

何故なら死ぬ時は全てを手放さねばならないからだ

 

人は誰かを愛し守る事で

自分の存在が尊いものになる

やはり人間は

自分の事だけでなく人に幸せを

与えようとすることで

自分の幸せもあるのではないだろうか

 

そして郷土を愛し祖国日本を愛す事で我々は

それぞれの与えられた環境の中で自分がなすべき事と

何を次の世代に残していけるかを自然に出来る様になる

 

だからこそ我らの先人は
その使命を感じ取り欧米の圧政に苦しんでいるアジアを

解放した結果 世界は大戦以前より繁栄する事が出来た

 

 

宗教戦争、有色人種奴隷制度

二度の世界大戦、原爆投下は一神教による

 

 

白人の「選民」優越意識によって

引き起こされた結果である
 

世界史は一神教による

戦争歴史と言っても過言ではない!

 

 

日本民族によって人種平等が実現し

人類は進歩を進める事が出来たが

 

依然として戦争と

自然破壊は止む気配すらない

もし神がこの一神教の誤りを正し

世界の進歩を再び進めようと

考えておられるとするならば

 

全てに神宿り自然と調和し

お互いの中の神を見る事で

 

1万年以上平和な時代を築き上げた

縄文の知恵を持つ日本民族に

その任を託し「一神」にして「多神」に改めさせ

 

他を認め自然と調和させ自然破壊を

食い止め世界を平和に導く天命をお与えに

 

なるのでないかと思えてならない。。。