雑学シリーズ
「身近な物の色」
郵便ポストはなぜ赤い
初めて郵便ポストが設置されたのは1871年
木製の資格の箱で角に鉄板を張り強度を上げ
塗装され黒いペンキで塗装され
使用法、あて先別料金、所要時間が書かれた紙が
張られていたこの黒いポストはその後30年間使われた
ポストの普及とともに公衆便所も増加する
当時は街灯がまばらで暗く郵便箱が見づらく
酔った人が郵便という文字を
便タレ箱と思い込み小便をしてしまう事が起き
イギリスのポストを参考に赤い色に塗り
火に強い丸形のポストへと変わった
タイヤが黒い理由
タイヤの内側は機密性の高いゴムが使われ
外側は滑りにくく強度の高いゴムが使われ摩擦に
対抗する強度にするには炭素を粉にした
「カーボンブラック」を合成することで耐久性
消耗性が飛躍的に伸びる
カラータイヤもあるが耐久性に問題があり
完全に実用化になっていない
「パトカー」のツートンカラー
日本に初めて登場したのは戦後の1949年
米軍からオープンカーを譲り受け
アメリカのパトカーと同じ白黒に塗り分けた
その理由は当時の一般車のほとんどが白で
区別するためもあった1955年に全国の警察署で
白黒のツートンカラーに統一された
何故?魚には
白身と赤身があるのか
魚の身は人間でいう筋肉に当たり
速筋は瞬発力を発するときに必要
遅筋は大きな力を出す代わりに
自給力を発揮する時に必要となる
タイやヒラメは浅瀬や入り組んだ地形に潜み
素早く外敵の攻撃をかすため瞬発力の速筋が発達
マグロやアジは群なす回遊魚でひたすら泳ぐ
耐久力の遅筋が発達し酸素を運ぶミオグロビンの
酵素の赤色が筋肉に現れる為に赤くなる
「通勤」ラッシュ
を退治せよ!
昭和38年の新宿駅は毎日160万人が乗降し
ラッシュ時に乗客一人一人のキップにハサミを入れる
改札口は必ず長い行列となった
ホームは人であふれ転落事故や乗客同士のトラブルが絶えず
その混雑ぶりは現在の比ではなかった
そんな中、毎日ラッシュにモミクチャにされ
やっと会社にたどり着くと
「通勤 は嫌だ早く会社を辞めたい」と
暗い気持ちなる男がいた
のちに自動改札機の
キーマンとなる浅田武夫(24)だった
京都にある「石立電気」研究所に勤めていた
研究所とは名ばかりで「健康器具」「偽札鑑別機」「馬用体温機」
どれも商品にならない代物ばかり。。。
浅田は「こんなところに長居は無用」と失望
ヘアースタイルは当時流行のリーゼントで決め変わり者で
実直、仕事が出来るそれが。。。社内の評判だった
「石立電気」現在のオムロン創業者石立一真
昭和3年大阪都島区で継電器専門工場として
創業するが戦災で工場は全壊、
戦後、京都の「御室」に映り再出発する
オートメーション時代を感じ取り町工場から
総合メーカーへの脱皮を図っていた
創業者の決断
鉄道関係者の間ではラッシュで人が
改札で滞ることは共通認識であった
「この状況を何とか打開できないものか。。。」
すると改札業担当の部長が
「遊園地にあるコインを入れると開く
自動ゲートのように
切符を入れると開く機械が出来るんじゃないか」
この提案に皆大きく頷いた近鉄本社は
この可能性を探る為にSONY、松下電器、日本電気など
大手に開発を掛け合ったが
「技術的に無理だ採算が合わない」と門前払いを食らった
半年後「車両技術研究」の井上和夫は知人から
当時まだ無名の「石立電気」を紹介された
そんなメーカで良いのかという意見も多かったが
本社に打診した上で社長の石立と会った
「わが社には研究所もあります
是非!ウチにやらせてください」
会社の成長チャンスと
石立一真は自動改札機に賭けた
[自動改札機]
プロジェクト始動
昭和39年「自動改札機」開発チームが結成
警察から依頼された偽札鑑別機は犯人を捕らえらず
新札の移行と共に無用の長物となった
看板商品を作る技術者からは
「アイデア倒れのあいつらは給料泥棒だ」
と大いに失笑された「田中寿雄」が
リーダに指名され
自動改札機メカニズム設計は
あのリーゼント頭の
「浅田武夫」が指名された
田中と浅田は梅田駅で改札を通る人数を数えた
なんと1分間に80人!
あまりの多さに愕然とする
「こんなに人を捌ける
機械が本当に出来るのか。。。」
不安に駆られる田中をよそに
毎日ラッシュに揉まれる浅田は
「毎日苦しめられているこのラッシュを
俺が必ず退治してやる!」と
激しい闘志をみなぎらせた
試作機造りがスタート
乗降客の時間変化、乗車券の割合、改札を通り抜ける動き
など考えらる限りのデータ収集から
ラッシュ時の乗降客の8割が定期であることが分かった
定期券改札機を作れば相当
緩和できるはずと
浅田は横長通路状の
ケースを作り定期券の挿入口と
出口を付け入場をコントロールする
ゲートを取り付け試作機を作った
田中は定期券にパンチホールという
穴をあけ情報を読み取らせた
浅田はこの定期券を搬送させる
ベルトコンベヤー技術に
自信を持っていた
ところが秒速2メートルの
高速回転に耐えきれず
ベルトは5分で切れた!
切れたベルトは優に千本は超え
強気で鳴らす男が始めて焦りを感じた
疲れて帰宅したある日、妻が「赤ちゃんができたの」
「そうか俺もオヤジになるんだな」翌日、同僚が
皆驚いたトレードマークのリーゼントが短く刈られていた
「生まれてくる子供の為にもこの仕事はやり遂げて見せる」
その日を境に気持ちを新たにした浅田はいくつかの
メーカに強靭で薄いベルト作ってくれるよう辛抱強く交渉
ようやくベルトが完成し問題は解決された
一方、田中は近所の主婦や社員の家族ら
30人に集まってもらい試作機の実験を開始すると
予期せぬ箏が起きた大きな段ボールを抱えた人を
センサーが二人と判別しゲートが閉じてしまった
「これではダメだ」とショックを受けた更に
追い打ちをかける様に近鉄が進める
自動改札機導入に国鉄(当時)が
「我々は改札機導入するつもりはない
穴だらけの定期では駅員が読みづらくなる」と
クレームをつけて来た
開発しても実際の導入先がなければ話にならない
社長の立石からチームに電話が入った
「打ち切りだな。。」皆覚悟した
ところが予想外の返事だった
「自動改札機は我社にとって
初めての本格的な製品だ
金のことは気にしないで開発を続けてくれ」
田中は期待に応えて見せると奮い立ちセンサー問題は
苦心の末改札を通る時に人の僅かなスキ間が生じる
パターン幾通りも機械に記憶させることで解消させた
こうして世界初のラッシュ時に対応する
自動改札機が形となった浅田達は全国の鉄道会社に
売り込みをかけたが何処も相手にされなかったが
1か月後、阪急電鉄が大阪万博を控え千里ニュータウンに
新しい駅を作るそこなら置いてもいいいと言う返事が来た
混乱する北千里駅
昭和42年日本発の自動改札機10台が設置され
午前7時、通勤客が定期券を投入し通っていく
順調と思われた1時間後、
突然アラームが鳴り
一台の改札機のゲートが閉じ
一人の乗客が立ち尽くし機械は
ギユーンと音を立て止まった!
近くにいた新入社員
「何をやられたんですか!?」
機械をあけると
ボロボロになった切符が出て来た
「ここは定期券専用なんです」と言っても
乗客には初めて見る機械
その後も切符を入れる乗客が
相次ぎ足止めを食らった
乗客の怒鳴り声が飛び交い混乱は続いた
トラブル対応の為に
技術者が駅に寝泊まりする事態となった
乗客の「アンタラ未来永劫
この機械につい取らないかんね」
と言われ悔しかった
「切符も使える機械を作るしかない」
田中は以前にもまして研究所に詰めるようになった
そんなある日若手技術者が
「ハッキリ言って僕らは駅の番をする為に
入社したんじゃありません!
責任者の田中さんに渡してください」と
本来の仕事に就けない不満と24時間体制に近い
早朝の勤務の苦痛が書かれた嘆願書を持ってきた
田中を追い詰めたくない浅田は
「しばらく僕に預からせてくれないか」と言った
切符の裏に情報を塗りこめることで改良試作機ができたが
切符が斜めに入ると突然アラームが鳴りゲートが閉まる
「なぜだ?読み取りは問題ない」「これは浅田の力が必要だ」
川を流れる笹の葉
「どうすれば切符を縦に揃える事が出来のか」
駅で若手技術者が酔っ払いに絡まれながら
トラブルに当たる姿が目に浮かぶ
深夜まで研究に没頭する浅田
ある日帰宅すると妻が
「陽一郎がパパと遊びたいと言ってるわよ」
プロジェクトが始まった頃に
生まれた息子は2歳になっていた浅田は
これまでろくに息子の顔見たことないことに気付いた
「この次の日曜に陽一郎を連れて釣りに行くか」と言った
京都「由良川」で10年ぶりにアマゴを釣り上げ
息子は邪気にはしゃいだ浅田は川の流れに目をやると
上流から流れてきた笹の葉が
岩にぶつかって
縦に流れていく「これだ!」
浅田の目は父親から
技術者のそれになっていた
その夜、急いで研究所に向かうと
改札機の入り口に
さっき見た岩に見立てた
円形の駒を置いて斜めに
切符を入れると
見事に縦になって出口まで送られた
昭和46年1月北千里駅に新しい自動改札機が設置された
固唾を飲んで見守る田中と浅田のを脇を午前7時
通勤客が次々と改札口を通り過ぎていく
あれ程トラブルで混乱していた
駅に何事もなく落ち着いた光景が広がった
現在、自動改札機は全国で
2万8千台あり
海外でも日本製が使われている」
現代経営学では仕事を通じ人との繫がりと
社会貢献する傾向が強まっているという
当時まだ名もなき小さな企業の技術者達が
幾度も開発の挫折危機に最後まであきらめず
立ち向かった思いとは何であったのだろうか
日本神話が語る神々が働き
「労働を喜びとする」
思いであったのかも知れない
労働を神の刑罰とするよりも喜びとする方が
技術を深く追求する元気が
沸き上がるのではないだろうか
そうした世界シェアと
技術がオンリーワンの企業が
日本に数千社以上もある
その存在は世界と日本の宝であり
目に見えない根っこでもあり
日本の底力であるように思えて来る。。。







