北海道胆振東部地震により、多くの死傷者が出ています。
家が崩れてしまったり、避難所生活をしている方々もいます。
私達家族が住む札幌市も、被災地となりました。
札幌市の中でも、私が住む地区は、地震による被害は大きくありませんでした。
停電やマンション等の断水は続きましたが、全力で復旧に取り組んで下さっている方々のおかげで、ライフラインは全て復旧しました。
ただ、まだスーパーやコンビニに食料があまりなく、食材やベビー用品やガソリン等の確保が不安定です。
でも、もっと被害が大きく、今でも停電や断水が続いている地区もあります。1分でも早く、みんなが元の生活へ近付けることを願っています。
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「その日」のこと。
その日も、いつものように子供達と一緒に2階の寝室で寝ていました。
9/6朝方3時過ぎ、息子のジョージ(生後10ヶ月)が泣いて起きたので、ミルクを作って、哺乳瓶を自分で持たせて飲ませました。
その間に、1階のトイレに行こうと階段を降りたら、ちょうど主人が帰ってきたところでした。
「おかえり~」とだけ言って、私はトイレに入りました。
午前3時8分、地震発生。
突然ガタガタと大きく揺れ、便座に座っていても、壁に手を付けないと体勢が崩れるほどの揺れでした。
一足遅く、ポケットに入れていたスマホの緊急地震速報が鳴り響きました。
慌ててトイレを済ませ、大きな揺れと地震速報の音が鳴り続く中、走って子供達が眠る2階へかけ上がりました。
娘のエマニエル(2才)の「こわいこわい!」と泣く声が聞こえていましたが、主人が先に子供達の元へ行ってくれていたので、私が駆け付けた時には、エマニエルは既に主人にしがみついていました。
私はすぐにジョージを抱きしめました。
なかなか揺れがおさまらない中、4人で固まって時が過ぎるのを待ちました。
ようやく揺れがおさまり、みんなで1階へ移動。
ここからは、時系列を正直よく覚えていません。
たぶん、家が突然真っ暗になったのは、地震発生の直後ではなかったと思います。
少し経ってから、停電が発生。
すぐに、玄関に用意してある災害用リュックを取りに行き、中から懐中電灯を取り出しました。
「暗い!電気つけて!」と、怖がって固まるエマニエル。
眠いのに寝付けず、私の腕の中で泣き叫ぶジョージ。
余震も続く中、エマニエルに「怖くないよ~」と思わせるために、懐中電灯を頼りに、物置にあるキャンプ用のランタンを取ってきて、出来るだけ部屋を明るくしました。
そして懐中電灯で遊んでみたり、こんな時に夜食を用意して「キャンプみたいだね~」とはしゃいでみたり。
だんだん笑顔が戻り、口数も増えるエマニエル。
そんなこんなをしていたら、ようやくジョージが寝てくれたので、私達も少し寝ようと、1階の和室に布団を出して、 みんなで固まって眠りました。
この時は、停電も一時的なものだろうと安易に考えていたと思います。
朝には復旧してるだろう、と。
朝、電気はつきませんでした。
余震が続いていることもあり、あまり眠れずに迎えた朝でした。
電気が使えないので、炊飯器や電子レンジ、冷蔵庫などの家電製品も機能しません。
お米は炊飯器が使えないし、パンは冷凍庫にしかなかったので、とりあえず朝ご飯を買いに行こうと、子供達を主人に見ててもらい、一人で車で外に出てみたのですが、その時の光景は異様なものでした。
まず、信号がついていない。
そして、まだ朝6時なのに、外を歩いている人の数が異常に多い。
信号が消えているので、恐る恐る交差点に進入し、お互いに譲り合って前に進みます。
なんとかコンビニに到着しましたが、店内は真っ暗、そして外まで行列。
考えることはみんな同じでした。
もちろん、お握りやパンなどのすぐに食べられる物は全て売り切れており、残っている食べ物は、カップ麺とお菓子が少しだけ。
この光景を見て、これは異常事態なんだと理解しました。
友人の話によると、朝5時過ぎの時点で、もう既にコンビニのパンやお握りなどの商品棚は、からっぽだったそうです。
また恐る恐る車を運転して帰宅し、お鍋でご飯を炊きました。
小さい頃から、登山好きの父親に、お鍋でご飯を炊く方法を教わっていて良かったです。
ジョージのミルクは、ポットが使えないので、お鍋でお湯を沸かして、魔法瓶の水筒に入れておきました。
レトルト離乳食とミルク缶は買い置きがなく、今あるミルクでいつまでもつか、かなり不安でした。
我が家はまだガスと水道が使えていましたが、それもいつ止まるか分からない不安もありました。
テレビが見れないのでネットで情報を得ようとしても、ネットが繋がりません。
離れて暮らす家族が心配ですが、電話も繋がりません。
そんな時、LINEにはかなり助けられました。
時間はかかるけれど、LINEは送受信出来たので、家族や友人に連絡を取ったり、東京に住む友人にニュースを見てもらい、今の状況を教えてもらったり。
ただ、スマホの充電が30%しかなく、かなり焦ったのですが、車に充電器を付けていたので、ちょこちょこ車で充電しながら過ごしました。
家にいても落ち着かないし、エマニエルはテレビを見たいとグズりだすので、昼間は公園で遊んだり、家の前で遊んだりして過ごしました。
ただ、だんだん夜が近付くにつれ、電気がつかない事への焦りを感じていました。
今の時期は、17時頃から部屋の中が薄暗くなり始め、19時には真っ暗になります。
ランタンも懐中電灯も、電池が必要です。
電池はどこも売り切れなので、手持ちの電池で乗りきるしかありません。
あと何日続くか分からない状態だったので、極力電池の消耗を避けようと考え、夕方から真っ暗になるまで、外で過ごしました。
家の中よりも、外の方が少しは明るいからです。
庭でご飯を食べて、暗くなってきたら花火をしたり。
こんな状況だからこそ、明るく笑っていよう、と。
そして、無駄な電池を使わぬよう、19時~20時にはみんなで就寝することにしました。
真っ暗な中、布団の中で、冷蔵庫や冷凍庫の中のものを思い返し、明日からのご飯はどうしようかと考えていました。
どんどん痛んでいく食材。
復旧のめどが立たないので、計画を立てることができません。
このまま全て常温になって捨てるくらいなら、火を通してしまった方が日持ちはします。
でも、あと少しで復旧するかもしれない。
それなら、食糧難に陥ることは目に見えているので、出来るだけ冷凍保存しておきたい。
私達夫婦だけなら我慢も出来ます。
でも子供達のことを考えると、、、
明るくポジティブな言動を心がけていましたが、正直やっぱり不安が尽きません。
夜中も何度か余震があり、答えの出ない問題をぐるぐる考えていたら、なかなか寝付けませんでした。
気がついたら、外が明るくなっていました。
ようやく、長い長い「その日」が終わりました。
そして、地震発生2日目が始まりました。
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地震発生の日から今日まで、ご近所の方や同じ北海道に住む友人達と話をするたびに、最後はみんな同じ言葉を言うのです。
「がんばろうね!」
もちろん、示し合わせたわけではなく、自然と出る言葉なのでしょう。
「コンビニもスーパーも、全然ないよね」
「そうだよね。冷蔵庫・冷凍庫の物、いつまで持つかな…」
「ミルクもオムツもギリギリで、どうしよう」
こんな会話のあとに、「がんばろうね!」と言って別れるのです。
コンビニの前で初めて会った人と話した時も。
強面の方々が無料で配ってくれているお握りを貰う時も。
庭で花火をしている時に話しかけてきた人も。
みんな、いつまで続くか分からない状況に、不安やイライラもあって。
そんな中で出てくる「がんばろうね!」の言葉。
たぶん、私も無意識に言っていたと思いますが、
「がんばってね!」
じゃなくて、
「がんばろうね!」
が、すごく心強く感じて、すごく力が湧いてくるのです。
こうなってみないと分からなかった気持ち。
少しずつ状況は改善されていますが。
明日も、がんばろう!!

