3/11 | ☺︎ echan Blog ☺︎

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ぼっち主婦
パート始めました
義実家で義両親と同居
旦那は単身赴任




3/11
忘れもしない日です。
東日本大震災が起きた日。



いつも思い出す
津波映像、人々の涙、
そして気持ち悪くなる余震
その余震にもだんだん慣れてきてしまう恐怖。
近くの湧水を汲みにいく毎日。





私はその当時大学生で。
ファミレスのバイトをしていた時期。
なぜかいつも17:00入りなのに、
初めて15:00入り。
そして初めて組むパートの人。


たまたまかもしれないけど
なんか不思議だなーと思いながらバイトへ向かう。


14:40ゴロ着いて、
いつものように店に入り、
店内1番奥の更衣室へ向かう。

着替えをしていた
14:46
地震。
ただの地震だと思った。



でもお客さんの様子が、、
ドアの覗き穴から
店の様子を見たら外に逃げていく。


え?


そう思ったのも束の間

体験したことのない地震が来た。


着替えの途中。

フラフラで立てない、
ドアもなかなか開かない


怖い



一瞬の隙をみてドアを開けた


でも、また地震が。


また歩けない
人が誰もいない



客席のテーブルの下にもぐる
テーブルの支柱を掴んだ


地震が長い。


非常口まで走る
ドア開かない

パニックで鍵を外すのを忘れた
(なぜか鍵がかかっている)


今度は急いで反対の入り口ドアまでダッシュ


その瞬間

ドリンクバーの中身がガシャンと飛び出る


何段にも積んであるグラスが
(タワーのような)
一気に床に落ちる


店の窓がバンバン割れていく


とりあえずダッシュ


(飛び散るガラスが怖い)


外に出たら、
店長や仲の良いパートさんが
「ごめん!〇〇ちゃん!忘れてた」
と謝ってくる


そりゃその筈だ。

私、着替えてたし誰にも会ってないし!


でも生きてて良かったという話をした気がする。



これはずっと忘れない出来事。



怖かった。


家にもなかなか帰れず。


橋が壊れてしまい、渡れない。


かなり遠回りして何時間かけて帰った。



この日から
生活がガラリと変わったのを
覚えてます。


まだ寒い3月、暖房も電気もなく
不安の毎日を過ごして
いつになったらまた元の生活に
戻れるのだろうと泣いていた毎日。



両親とも働いていたので
こんな日常になっても毎日出勤していたっけな。
普通休みにならないの?と思っていた。



私は
余震が怖くてジャンバー着て
布団被って過ごしていた。



まだ9年。
もう9年?


どちらか分からないけど、
もっともっと被害が大きかった東北の方、
亡くなった、
辛い思いをした人がたくさんいることを
忘れずに生きていきます。