"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -49ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

エデンの園を飛び出したら、隔たりの中に閉じ込められます。

実際、宗教の教え、神の教えではないということに、気が付かない

まま、不真実なことを人に教えている、実践しているのです。

人間が編み出した、神の教えではない、数々の面倒な教え、実践、

これは、キリスト教もユダヤ教も、人の教えが混じっている点では

同じなのです。宗教とは所詮、人間が編み出した教えだからです。

 

そして、人が編み出した教えを信じていると、神の教えから正しく

判断することが、出来なくなります。

そして、全ての人が、神の教え、性質を生きているのではないのです。これは、キリスト教もユダヤ教も同じです。

 

どの世界にも、利権があり、金儲けがあるのです。

ラビが様々なことを判定する、そのライセンスで金儲けをしている

そうです。

私を教えてくれている先生がこんなことを言っていました。

アメリカからイスラエルに行く飛行機の中で起きたことです。

クリスチャンは、神の教えが廃れたという不真実な仮説を教えられていますから、こんなこと、どうでも良いでしょうと思う事柄ですが、

イエシュアは、人に神の教えや言葉を捨てよなどという大冒涜は

教えていませんし、永遠に教えません。

そんなことを教える、イコールそれは父なる神から出た者、メシアではないのです。

 

父の意図、意思そのままを、地上で反映するのが子、メシアの役割であり、そのメシアが、神ご自身である言葉を、否定する、変える

これこそ、偽メシアの印と聖書には書いてあるのです。

イエシュアが、「わたしを、見たものは、父を見た。父とわたしは

一体です。」と言われました。

本体と影。目にみえる形で神が来られた、これが影であり、本体そのもの、実態そのものなのです。

目に見えない実態を、地上で映し出す。

 

人の教えは、フェーク情報満載で、人を騙すことを、エデンの園の

最初から神が教えていることに、注意を払わない場合には、

どれ程多くの嘘に騙されても、気がつけないままになります。

イエシュアは、異教徒のように、けがれた動物は食しませんし、

人に、きよくない動物を食せと、神の教えを破るようにも、教えません。未来も同じです。

それら、きよくない動物は、未来、神の祭壇の上にも永遠に捧げられない動物なのです。

 

機内食がありますね。これ、航空会社は、今病気や宗教による、

食べられない食品を出さないため、事前に選択できるようになっているのが、一般的です。特別食を頼むと、箱に入って来ます。

 

ユダヤ教の人は、コシェル食〜食べるのに適している/正しい」と

されるものを指します。

これは、神の教えにより食するのを許可された食材(例:ひづめが分かれていて反芻する動物、ヒレとウロコを持つ魚など)や、厳格な調理・準備の規則を含みます。

それは、調理とは、血を食べないということなどです。

 

普通には、人の食する動物としてレビ記11章に記されている動物ですが、このことに関しても、ラビの間で利権があるのです。

聞いてびっくりしましたが、何何ラビの認定した機内食とそのパッケージに書かれているのです。

これが、利権です。お金を払って、航空会社が、ラビの認可を受ける。そのようなことをしているのです。

あれと、同じです。一世紀の時代、神殿に捧げるコルバンを、高い

値段で庶民に買わせる。神殿が商売の巣になっていると、イエシュアが言われたことと、同じです。

これは、自分たちの属する派のラビか、そうではないかで、

コシェル食なのに、議論が生じたそうです。

 

そして、その2つのグループが、同じ飛行機に乗っていたラビに質問したそうです。「これは食べても良いのですか?」と。

そうしたら、ラビがこう答えたそうです。

「あなたはこれを食べて良いと考えますか?」という質問を提示したのです。一つのグループは、イエスと答えたので、「その通りの食べれば良いでしょう。」と。

そしてもう一つのグループはノーと答えたので、

「では食べなければ良いでしょう。」と答えたそうです。

これ、ラビ シャウール、パウロの答えたことと同じです。

もちろん、異邦人のように、きよくない動物など、食するなどと

誰も考えません。日本人が、ゴキブリ、ネズミが人間の食べ物と考えないのと同じです。それら、神が禁じた食べ物は、人間の食べ物ではないからです。

 

その人の良心にかげりをもたらすなら、偶像に捧げた肉を食べたら

汚れると考える人ならば、食べなければ良いでしょうということ。

異邦人の市場で売っている、きよい肉でも異邦人が取り扱うから

汚れていると本気で信じている弱い人は、野菜しか食べない、

そう考えるなら、そうすれば良いでしょうと。

ある時、神が神の教えから、人の手が触ったから汚れる、存在しない

神、偶像の神に捧げた肉は汚れないと分かり、偽の迷信から解放されたら、食べれば良いのだから、そのように、迷信に囚われる意識で

いて、きよい肉でも食べて罪悪感で満たされるなら、食べない方が

良いでしょうという、アドバイスを、ローマ14章でしたのと同じ

ことなのです。

 

アメリカ、ニューヨークから、テルアビブまでは、十時間半はあるから、そんな長い時間、食事もしないなんて、お気の毒と思いましたが、人は馬鹿馬鹿しい教え、神の教えではないこと、人間が編み出した教えに、縛られているということに、気がついたら、解放されます。

人の教えは、生きる必要がないのです。

しかも、人には害毒な束縛がたくさんあるからです。

 

でも、神の教えは、人が生きると神が言われました。命のパン、

神の言葉、人を守り、養うものだからです。

神の教えは人を縛りません。それは、神が創造された本来の人、

神の似姿に造られた人は、何を生きて、何を生きないかを

はっきり教えている、真理だからです。真理は人を自由に解放し、

人間の教え=偽物は、人を縛ります。

だから、宗教の教え、さようなら!なのです。

 

宗教の教えを、イエシュアがどれほど忌み嫌われるのか、

聖書の最初からずっと記されています。

特に、人が神の教えと、人間の教えの見分けがつかなくされているもの、混ぜ物の教え、人間が神の言葉、聖書を利用して、人間の教えを

付け足し、神の教えを差し引きしているものを、神は断固として

禁じています。

混ぜ物の教え〜偽物の教えが混じるものに、交わってはダメ!これは、ハヌカの祭りの裏にあるイスラエルがギリシャ帝国、異教の神、ゼウス神を拝むことを強要され、神の教えを捨て、神のシャバット、祭りを捨て、汚し、豚、汚れた動物を無理やり食べさせられたこと、そんなことを聖別された人がやってはならないことであることを、

神ご自身が教えているのです。

異教徒と何も変わらない生き方をする、イコール、境界線、区別がなくなり、何が神の創造された人の性質、生き方なのか、地上で

反映できなくなるからです。

 

その神の教えを、馬鹿馬鹿しいと無視する人、神の言葉を永遠の真実であると、神が言われる通りに信じて、生きる人、これが別れ道なのです。

人の声に聞く?神の声=言葉=聖霊に聞いて生きるのか?人は今も

選択する、選択権が与えられているのです。

偽物の教えに聞き入る、それは神を拒否する行為です。

 

宗教をやると、家族との時間を犠牲にし、破壊します。

どれほどの子供が、神のためと言われて、学校行事、運動会、その他

家族で過ごす日を、宗教行事のため、人間が作った教えのために

犠牲にさせられているのでしょう。

もちろん、元々会社、仕事で、日本人は特に家族を犠牲にさせられる

そんな環境にいるのですが、その中で、なんとかなることなら、

宗教行事や活動、神の教えではないことは、断固として二の次にして、家族との、取り返しのつかない、出来ない時間を、犠牲にする

ことなど、してはならないことなのです。

何を、ガード、守るのか?最初の最初から神は人に教えています。

神は、人に犠牲を払うことなど、要求しないのです。

それは、異教の神々の教えであり、人間の教えなのです。

 

昨日はシャバットでしたが、アテネの街には多くの人、観光客が

いました。クリスマスの飾りはそのまま。

 

 

 

 

パンテオンが見えるレストラン。

 

 

ギリシャ正教。