神の教えが廃れた!と言う思想の出どころは、神由来ではない。
神はそんなこと言ってもいないし、神の性質からそんなこと言う
わけなどないし、言えないのです。
神が神の言葉に反する、神の性質に反することを神がする?
神が人に嘘を教えるのですか?
そんな神は、聖書とは違う、偽物の神になるでしょう。
神は偽証できない!と言っている通り、
それがイスラエルの神の性質だからです。
人がイスラエルの神の性質、神の言葉の性質を、時代ごとに変化するなどと、自由自在に言い換えているのです。
全て、聖書には記されていない、聖書とは異なる思想、教え、記念日の全ては、人間が編み出した思想、宗教、神学のせいなのです。
「10の言葉」は聖書の題目です。
モーセの五書全体で、この「10の言葉」を解説しているのです。
そして、ヨシュア〜マラキ全体で、モーセの五書、トラー、神の教えの解説をしているのが聖書なのです。
マタイ〜黙示録は、モーセ〜マラキの短い解説、後書きです。
クリスチャンの世界で解説するように、神の言葉、神の業、神の性質
救い、購いの方法は、時代ごとに変化しません!
最初から同じ!永遠の中から同じ!誰もイエシュアを通して以外、
父の元に戻ることはできない!とクリアーに、イエシュアはトラーに記された永遠の事実を教えていること、読んだことがないのでしょうか?
誰一人、神の教え、クリスチャンが言う律法を生きて義とされ、
生贄捧げて許された人などいません!!!動物の血は罪を消さない!
しかも、イエシュア昇天以降もコルバンは捧げられ、今は神の神殿がないからコルバンは捧げられない。
でも、未来にイエシュアがエルサレムから統治する時代が来たら
再び、コルバンが捧げられ神殿が機能する!
これは、神の教えを正しく理解しない人には、混乱する内容でしょう。でも、最初からコルバンは、罪の許しのためではない!
神の家で教えられることは、五感を通して、イエシュアのされた業
新しくされている事実を、コルバンを通して教えているものであり、
修復の仕方、神への近づき方、聖別された状態、けがれた状態
神から切り離さる状態は何か?全てを教えている視覚的教育ツール
なのです。
聖書を読む前提が間違っている、聖書に書いてある意味、内容を
完全に読み違えているのです。
クリスチャンは、4番目の神の仰せを、提案、人が変えて良いと言い
カトリックは、2番目の偶像を作るなと言うのも抜かしているのです。どちらも神の言葉を塗りつぶて、蔑ろにする冒涜行為です。
偶像とは、銅像という意味だけではありません。
それは、人の思想から来るのです。偶像を作るとは、その人の中に
別の神々の思想が既にある、それを形で作って眼に見えるものとして
表しているだけなのです。思想、偽物の教え、宗教の教え、
神の教えとは違う全て、それが神が警告する「偶像」なのです。
ヘブライ語では、「神の顔の上に別の顔を置いてはならない!」
と書いてあるのです。顔=実態です。神の教え、実態の上に、人間が
編み出した人造宗教の教えを載せて、神の顔=実態を覆い隠すな!
と言っていることに気がついてください。
異邦人の世界に伝えられた教えは、翻訳聖書を利用し読みながら、
人の思想、宗教の教えを伝えている、別の顔なのです。
だから、イエシュアが教えた教えを知らない、イエシュアが祝った
シャバットや祭りを祝わない、気がつけば良いのです。
どうしてだろう?どうしてそういうことになったのか?
律法は廃れた、今の時代、それぞれが考えることをすれば良い!
とんでもない、嘘、偽情報を神の教えなどと、信じ込まされていると
聖書から気が付く人が、世界中で続出中なのです。
嘘、偽情報はいつか嘘だと暴かれるのです。
でも、神が伝える真実は永遠に廃らない!変わらないのです。
神の言葉、教えの土台は、モーセの五書、トラーであり、
神が与えた神の民、聖別された人が生きる神の家の家訓、婚姻契約なのです。
聖別の意味を理解しないのは、神の教えを捨てるように教えられ、それが神の教えという偽情報を信じ込んでいるからです。
この世、異教徒とは違う生き方、分たれた生き方を、最初から神は
神の民に教えているのです。
だから、シャバットを神と祝う人は、イスラエルの神を知らない
異教徒はしないでしょう。聖別されていることを、世界にクリアーに
分かる、婚姻指輪でもあるのです。
🌈はノアを通して与えられた契約の印ですが、LGBTQが乗っ取って
ハイジャックしていますが、意味ありません!
神が伝えている「虹」の印、意味は永遠に変わらないからです。
LGBTの印などではないのです。
シャバットも、神の婚姻契約に入れられている人に与えられた「印」と書かれているでしょう。神の言葉を捨てる人には、神の意図していること、考えていることは伝わらなくなります。
人がどう考えようと、思おうと、シャバットは神が神の民、
異邦人もイスラエルも両方、神に属する人に与えた印、婚姻指輪であり、神の永遠の愛が誓われているものであり、神が神の約束を破らず
神の契約に忠実である証拠でもあるのです。
人がそれを破っている、イエシュアを信じている人が、神の婚姻契約を破る生き方を、教えられてしまっている!その損失に気が付かず
ローマ帝国皇帝の勅令が土台の思想が神の教え!という、偽情報を
つかまされ、信じさせられている、これ気がつけば唖然!とすることなのです。
嘘なのに、本当!今はなんでもよい!聖別汚して良い!罪犯して良い!そんなこと神は誰にも教えていません。
クリスチャンは神の教えを、縛り、律法と考えるのはそういう思想を
刷り込まれて、聖書に書いてある麗しい神の民の生き方、神が聖別
された人の本当の生き方を正しく教えられてもいないのです。
神の教え、言葉の意味を理解もしていない、だから生きたこともないから、神が教えていることが分からないだけなのです。
ヨシュア記から、マラキまでは、モーセの五書を解説している書なのです。
マタイ〜黙示録は、聖書の後書きであり、聖書の75%の短い短い
短い注解書なのです。
タナック=モーセの五書、預言書、諸書に記されたことの短い抜粋
引用が記されているのです。
こう考えているでしょう。
西洋宗教、ダービー教、デイスペンセーション神学は聖書とは異なる
聖書に書いてもない思想を唱えています。
神の言葉は、時代ごとに変わり、その時代に適用される教え、ルール
基準は、その時代ごとに変化すると教えます。
神の業も時代ごとに変化する。
そして、イエシュアが来られる以前の人の中には、聖霊が与えられていなかったので、異邦人=教会と造語で記されていますが、
今は異邦人教会=クリスチャンが、本当の意味で聖書を深く解き明かす力を与えられているのだ!なぜなら、聖霊が内側に住む時代、
聖霊時代に初めてなったからだ!などと解説していますが、
それは聖書とは真逆の思想なのです。
神の教えを正しく理解する人は、ダービーが編み出したエラー、間違いだらけの偽物人造神学が嘘!と神の教えから簡単に見抜ける、
見分けられるのです。
神=言葉=イエシュア=聖霊、どの名で呼んでも、同じ実態である事に全く気が付かず、分断した神々を考えているのです。
イエシュアが言われた通り、「わたしを見たものは、父を見た。」と
言われた意味を理解しないとならないのです。
聖書を記した預言者たちが、神の言われたこと、神から直接見せられた幻の意味など理解しないまま、字面だけを、ずらずらと書き記したと勘違いしているのです。
どの時代も残りの民は神により保存され、存在しており、同じように聖霊を内側に受けていたのは、イエシュアを通して義とされた事実を体験的に持っていたからだということを、トラー、預言書、諸書から読み取れない、ダービーのような宗教思想家が、聖書とは違う教えを
唱えて、聖書とは異なる思想を人に浸透させてしまっているから、
彼の思想が聖書と勘違いしているだけなのです。
異邦人クリスチャンダービー思想は、1つであり一貫している神の
言葉を、時代ごとに分断し、それぞれの時代に、神の教えや基準が
変化すると教えています。
そんなまやかし、間違いだらけの思想は、聖書ではありません!
聖書には、偽教師、偽預言者の警告があるでしょう。
アメリカで18−20世紀、それ以前もそうですが、再臨がいついつ
あると偽預言をした人々、そして、自分は預言者と思い込む人、
ダービーもそうですが、共通点があると思います。
頭に大怪我をして、意識不明状態が数週間、数ヶ月続いて目覚めた時に、神から特別な啓示を受けたとそれぞれ発表していますが、
脳に損傷、異常があるのだと思います。
啓示が、神の言葉、トラーとピッタリであり、神の言葉に対する深い理解がその人に与えられたというなら、まだ分かりますが、聖書とは
違う思想を唱える、これは完全に神に反する別の思想、イスラエルの神に属さない偽物、マヤカシであると理解しないとならないのです。
他の様々な宗教にも教祖様がいて、神のごとくに勝手な主張をしていますが、これらは全て悪霊の啓示、又は精神異常だと思います。
自分を神とか預言者などと思い込める、あたおか?て感じでしょう。
神は聖書を記した預言者たち、神が選び出した預言者以外に、
直接神の言葉を託して人に伝えません。預言者の言葉は聖書となって
神から託された言葉として、文字で記されているのです。
聖書が閉じられた後、神の教えを塗り替えるようなローマ帝国教の
教えなど、神の教えなどではありません。
そして、神が伝えた言葉を、歴史の途中で変えるようなことを、
別の預言者にも、伝えてなどいません。
モルモン教の教祖もそうでしょう。ジョセフスミスは、神から特別な
啓示を受けて、金の板を受け取った。頭に怪我を負っていなくても、これって、悪霊と関わっているのでしょう。
これ本当に金の板を受け取ったら一体誰から受け取ったの?
イスラエルの神ではないことは100%聖書から証明できます。
もしくは、空想の世界、妄想、幻想を信じ込んでいるから、悪霊に
幻を見せられてそれを信じ込むか、それしかないのです。
金の板に書かれた、神の教え=トラーとは違う教え、偽物!悪霊しか
ないでしょう。ある部分、聖書を利用しているだけで、その教えは
イスラエルの神のものなどではないのです。
そんなものを信じる、それが騙しであり、洗脳です。
聖霊か悪霊以外にないからです。しかも、こんな聖書ではないものを
イスラエルの神、創造主から受け取る?嘘、偽物、悪霊と理解しないとならないのです。
他の宗教も同じですが、神々とは人間が作ったものなのです。
悪霊がそれを利用しているだけで、神が言われる通り、イスラエルの神以外、神はありません。
パウロもトラーからそれを教えているでしょう。実際には偶像の神は
存在しないから、偶像に捧げた肉=きよい動物を汚れたと考えるのは
弱い人、信仰の浅い人だからと書いてあるでしょう。
使徒達が書いた書簡、何かを解説しているものは、教えは、全て
100%モーセの五書=神の教え、トラーを解説している!という
永遠の事実に気がついてください。しかもそれはある箇所の1節
2節ではないのです。
1ペテロ 1:16 聖書=トラーに、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
この箇所、クリスチャンがよく引用し、皆が暗記している聖句でも
あると思いますが、聖なるものと神が伝える定義を知っていますか?
それは、モーセの五書、特にレビ記11−27章に記された聖別された
人の生き方を、神が教えているのに、その部分の神の教えをごっそり抜かして、正しく神の教えを理解しないまま、字面だけを読めば、
自分よがりの聖別と書かれている通りのことになっているのです。
イザヤ 66:17 「みずからを聖別し、みずからを清めて園に行き、
その中にあるものに従い、豚の肉、憎むべき物およびねずみを食う者はみな共に絶えうせる」と主は言われる。
自分定義の聖別、神の前には全く無意味で的外れなことをして
聖別し、自分で考える生き方をすることが、警告されています。
イスラエルへの教えだから、異邦人には関係ない!と完全に神の言葉を勘違いしているのは、偽教師の偽の教えのせいであり、神は時代ごと、人種ごとに神の教え、罪の定義、聖別の定義、それぞれ別の人種による人の生き方など教えてなどいません!
そんなこと、聖書に1つも書かれていないのに、書いてあるという
空想、これは、聖書を人間の思想で読み解き、間違った翻訳と、
間違った聖書解説、特にパウロの書簡を間違った読み込みを
しているのです。