終わりの時代の警告 エデンの園から存在する反キリストの闇 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

タナックに記されたメシア、イエシュアが2000年前に、

初めて地上に来られるまで、完全な福音、完全な購い、完全な

救い、完全な許し、又恵は存在しなかったと、クリスチャンの間で教えられるのが一般的です。

 

でもその思想自体が、西洋人が作った宗教の教えであり、聖書に書いてある神の言葉、教え、真実ではありません。

 

神は永遠から同じ、この世の礎が造られる前から同じ。

神は永遠から永遠に変わらない。

神の性質、神の言葉は変化、進化しないからです。

恵豊か、赦しに富み、憐み深く、愛の神と神ご自身がそう人に

ご自分の性質を紹介しているのに、神の言葉を無視して、

怒りの神から、恵の神へ変身!怒りの時代は律法時代

こんな思想は、人間ダービー教の偽物の教えであり、聖書に

記されたイスラエルの神とは全く異なることを、クリスチャンの世界では教えられ続け、聖書ではない教えが根強く浸透しているのです。

どの時代のどの人も、同じ人間。自分で計画して、命を作り出し、生み出して、自力でこの世に生まれた人なんて誰一人としていません。

神の言葉により、土アダマから、一人の人、アダムが造られ、

その人から全世界の全歴史の人類がこの地上の面に生まれた事実は変わらないからです。人間は同じ。時代が変われど、人種が

違えど、同じ人間、神の言葉により創造されなかった人は一人もいないからです。

異邦人達により世界へ伝えられた聖書解説や、教えは、純粋な

神の言葉、純粋な福音、トラーではありません。

それでは、異邦人の世界には、誰が何の教えを伝えてきたのか?

という問いがあるのです。

 

聖書に記されたような、ヘブライのトラーを教えて生きている、神のシャバットや新月、祭りを祝うことを実践していた

使徒やパウロの様なトラーを教える人が、世界へ派遣されたのではないからです。それは、異邦人クリスチャンの実践で明らかに証明されているではないですか。

異邦人の世界に伝えられてしまったのは、ローマ帝国が作った

創作宗教、人造宗教の教えであり、純粋な神の言葉、教えでは

ありません。

これは、神の前に誰がどう説明しても、歴史の中でローマ帝国

がやり続けた違反、罪です。

そして、それが黙示録に書かれているのです。

 

イエシュアが来られて、初めて救い、購い、イエシュア

メシアが伝えられたと考えているのでしょうけれど、聖書には

最初の最初から同じイエシュアが記されています。

同じ福音、同じ救いの方法、同じ子羊の購いの代価が永遠の中から与えられていることが書かれています。

1世紀当時のユダヤ人達が、どうしてイエシュアをメシアと

認識できたのでしょう?

それは、聖霊により記された神の言葉、タナック=トラー、

預言書、諸書にイエシュア、メシアが記されているからです。

そこに記された通りのお方が、2000年前にイスラエルに

来られた方であると、神の言葉で記された通りのメシアが来られたと、聖霊により確信を持った人々が、1世紀当時肉体を取って

約束通り、来られたことを認識できたのです。

 

メシアは、イエシュアも弟子達に説明した通り、トラー、

預言書、諸書に記されていて、そこに記されているメシアを、代々ユダヤ人は待望して待っていたことが書いてあるのです。

タナック=トラー、預言書、諸書に記されてなどいないメシアなどユダヤ人達は待っていません。タナックに記された事実に基づいて、そこに記されているメシアをユダヤ人は待っていたのです。今も同じです。

 

その中には、弟子達もよく理解していなかった通り、苦難を背をうしもべとしてのメシアではなく、王の王として君臨しエルサレムから世界を治め、そしてローマ帝国の迫害、弾圧からイスラエルと、イスラエルの国を復興するメシアを考えていた人たちがいたのです。弟子達でさえ、同じ質問をしたでしょう。

 

使徒1:6さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、

この時なのですか」。

 

ローマ帝国の極刑で、木にかけられ処刑されたイエシュアが約束のメシアであると、理解できなかったユダヤ人がいたのです。

パウロもその一人だったのです。

しかも、それが分からない場合、単に人間がメシアと名乗るとは

偽メシア、偽預言者であり、その人は石打ちの刑に値するから

パウロも、偽メシアを信じていると考えた、そのイエシュア信者達を弾圧したいたのです。

 

イエシュアが処刑された後も、ローマ帝国と、そのトップに座る

皇帝達はトラーを生きるユダヤ人達を迫害し続けたのです。

神の教え、神の記念日を生きることで処刑、死刑、重税を課し、

果ては70年の神殿崩壊をローマ帝国がしたのです。

紀元前2世紀のギリシャ帝国も、全く同じことをして、ユダヤ人を迫害、処刑したのです。

この歴史の史実をどれ程のクリスチャンは正しく教えられているのでしょうか?

ユダヤ人は110万人処刑され、9000人がローマ帝国の奴隷

となったと同時に、異邦人イエシュア信者も、ユダヤ人と同じようにトラーを生きたら、処刑されたのです。

その後、ローマ帝国下に住む人達は、ローマ帝国がトラーを生きることを禁じ、迫害をし続けたのです。

その後ユダヤ人は世界へ散って行き、異邦人はローマ帝国の勅令を生きて、別の路線へ決裂して行ったのです。

それが今の結果、状態であり、聖書とは違う教えが異邦人の間に浸透した本当の理由です。だから、異邦人はヘブライ語のトラーを学ぶこともしなければ、イエシュアや弟子達、1世紀当時の

人々が古代の人と同じように生きていた、神の教えも、記念日も

祝わないの本当の理由は、聖書ではないことを、異邦人はローマ帝国、皇帝、教皇、司教達により教えられたからです。

神は神の教えも、神のシャバット、新月、祭りも変えていません。異邦人クリスチャンが神の教えを捨てる路線に引きずられ

その結果、神の教えを捨て、聖別、罪の定義も捨て、そして

ローマ帝国宗教の産物である教えと、人造記念日を祝っている

本当の理由は、全部ローマ帝国の勅令に従ったからなのです。

 

異邦人は、ローマ帝国が2世紀以降塗り替えた人間の教え、

ミトラ教、太陽神を信仰する皇帝の思想で、イスラエルの神の教えは異物だから、破棄!これは、神の宣言ではなくローマ帝国の

宣言であることを、はっきりと、聖書から歴史の史実から

真実を把握してください。

創造の最初の最初から、アダムとハヴァから、メシアは教えられ

同じ救い、購い、聖霊が内側に住う事実、信仰により新しくされた人の実態を、信仰により受け取った人は、同じ事実をずっと

生きて来たのです。2000年前に初めて実現、有効になったという、ローマ帝国教、カトリック、キリスト教=ダービー教が

語る思想は聖書に記された事実とは異なります。

最初から同じ福音が伝えられ信仰によりまだ見ぬイエシュアを

アヴラハム同様見て、義とされた人、それらを残りの民、聖徒と呼び、クリスチャンというあだ名で呼んでいないだけです。

どの時代も、同じ聖霊=神=イエシュアが内側に住まわれた。

これは、荒野のミシュカンでも体験的に五感を通してイエシュアの購い、救い、神への礼拝、神へどう近づくか教えているのです。

異邦人に伝えられた福音は、聖書とは異なる思想、神の教えを

差し引いて、ローマ教の教えが付け足された宗教が伝えられて

しまったのです。

イエシュアが教えた通りの神のトラー=教えを否定し、

神の記念日、シャバット、新月、過越、仮庵を祝うことを教える人は、異邦人教師の中には誰一人としていませんでした。

そして、きよくないもの、きよいもの区別ができない、教えない、教えられない、聖書=神の教えの事実を把握していない。

神のトラーを教える祭司も、聖別を教えないとあるように

神の教えを破棄する、イコール、罪の定義も、聖別の定義も

記念日を捨てて聖別を汚して良いと教えてきたのです。

 

日本に入って来た教え、西洋宗教、ローマ教であり、ヘブライ語のトラー、イエシュアや弟子や、パウロが教えたこととは異なる思想、宗教です。

スペイン人、イエズス会のフランシスコザビエルが来て伝えられたでしょう。

トラーを否定し、神の教えを無効とし、人間が神の教えの判断基準になる西洋思想の宗教が伝えられたのです。

そして、ローマ帝国皇帝が決めた、日曜礼拝クリスマス、イースターを祝い、イエシュアが教えた、シャバット、新月、春の過越や秋の仮庵の祭りなど、教えない祝うことなど知らないから、

教えられない。聖書とは違うことを教えられ続けていることに

対して、不思議に思った方が良いのです。

聖書に書いていない教えは、イコール全て、人造であり、

ローマ帝国が勝手に作った人造宗教だから、聖書には書いてない教え、慣し、儀式、記念日なのです。

ヘブライのトラー、イエシュアやパウロ達が教えた純粋な神の教えが教えられたのではありません。

 

パウロの手紙ローマ14章やコロサイ2章をクリスチャンは

勘違いし、人間が神の教えや神の記念日をどのようにも変えて良い!などとパウロはいうわけない、一言も言っていません。

ローマ14章など、パウロは、シャバットや祭りの話など

パウロは一言もしていないのに、この箇所を取り出してパウロが神の記念日はいつでも人が決めれば良い、変更可能になった証拠が書いてあるのだ!などととんでもない曲がった解釈をして

ずれた聖書解説を聖書教師、牧師がしているのです。

正しく聖書を学ばない、それは聖書とは違う教えを学んでいるからです。

そんな教えを聞かされている一般人、19世紀にわたり、異邦人の間では、そのような聖書とは異なる人間の解釈で曲がった、

間違った聖書解説だけを聞かされてきた代償は大きいのです。

真実が教えられないということは、嘘と真実の区別がつかない

状態になってしまっているのです。

神の教えの真実は、神の教えた通り、意図通りを知らないならば

分からないからです。だから、今の世界、異邦人の中に、人間が

主体基準、神の教えの方を退けて教師がそのように教えてしまっているでしょう。神の伝える真実に対しての盲目という代償。

神の前に罪を犯しているのに、罪だとも認識できない無感覚

状態。カエルが水から茹でられてそのまま無感覚状態になるのと同じ。気がつけないのです。危険に。

 

キリスト、救い主とだけ言っていれば良い、人にメシアを伝えて信じさせさえすれば、それで良いと考えているでしょう。

それが聖書に記された神が伝えている真理、事実、真実ではありません。

偽物、ローマばけ、人の教えで塗り替えられた教えは聖書では

ありません。

 

黙示録に書かれていることは、ローマ帝国がした多くの聖徒を

殺害したことが記されています。その理由は、神の教え=トラーを生きて、神の記念日を生きたから、処刑されたのです。

 

ローマ帝国のしたこと、聖書に記された反キリストの行いです。

666、獣の刻印、バビロン、龍、皆同じです。

反キリストとは、ギリシャ帝国も同じ様に行いそして、今もそれが継承され続けているのです。

黙示録を読んで、終わりの時代の反キリストが記されていると

考えているでしょう。

反キリスト、神に敵対するものは、歴史の間、エデンの園の中からずっと存在しているからです。

それが、帝国という大きな勢力で偽物の教え、神の教え、記念日

を捨てさせることをするという目だった反逆が、イエシュアが

到来される前のギリシャ帝国のやったことであり、

ダニエル書にそれが預言されたことが起きたのです。

反キリストとは何をすると書いてありますか?

神のトラーと、神の時、モアデイムを変える!とある。

その通りのことを、ギリシャ帝国も、ローマ帝国もしたのです。

この預言は、歴史の中で繰り返されるものなのです。

 紀元前2世紀のギリシャ帝国がやったこと、1世紀以降のローマ帝国で同じ事がされたのです。

 

神のトラーと神の時、記念日を変えようとする

事実変えたではないですか。西洋宗教という違う教えに。

神の教えを塗り替え、神の教えを生きることを禁じ、

神の記念日を祝うことを禁じ、聖別を汚す行為を勅令で人々にさせる!宗教の教えは、イエシュアが教えたことを否定し、

聖別を汚す忌まわしい行為を人にやらせているのです。

だから、ローマ帝国は神のトラーを生きること、神の記念日を

祝うことを勅令で禁じて、多くのユダヤ人を殺害したのです。

 

黙示録に書かれていることは、1世紀のローマ帝国の迫害下

トラーを生きることを禁じられ、処刑された、1世紀のユダヤ人達の時代のことが書かれているのです。

トラー、神の教え、神のシャバット、祭りを祝うことで処刑されたユダヤ人達のことが記されています。

 

ヨハンナが記している黙示録は、1世紀であり、イエシュアが

地上に居られた時のローマ帝国は、既に神の教え、トラー=

モーセの五書を忠実に生きる人々に対して、神の教えを生きることを妨害し続けました。

 

続く