眠ったままとは神の教えを理解しないまま生きること | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヨハナンは、トラー、預言書、諸書に書かれた神の永遠普遍の教え

警告から、神の婚姻契約を離れて生きる群れ=カハール、エクレシア
に対して啓示を記しています。
 
これら7つの群れは、当時のトルコ周辺、異文化、異教徒、多種の
人種が住まう環境、融合文化の中にいた「ユダヤ人の群れ」に対する警告が記されているのです。
そして、それらの群れに対しての警告は、全てのイエシュアに属する
聖なる民への同じ警告なのです。
 
教会という異邦人の造語=聖書に書かれている『神の1つの家族』
神の声に呼びだされた人の群れを表さない言葉、別物の群れ、異邦人
だけの群れが出現したという、誤解から黙示録を読めば、ヨハナンの語るタナックからの神の同じ警告は、その人たちには全く通じず、
違うメッセージを編み出し、神の警告は伝わりません。
 
イスラエルにされた警告〜高きところの混ぜ物=異教の神々のシンボル、教え、記念日、礼拝を通してイスラエルの神に近づき、礼拝した人たちへの警告は、今も今日も同様に、個人個人に対する同じイスラエルの神の同じ警告であると理解して読まないと、神の伝える真実は見えません。
 
黙示録2:1 エペソにあるカハール=エクレシアの御使に、こう書き
おくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。

 

 2:2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。

また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と

自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、

にせ者であると見抜いたことも、知っている。

2:3 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、

弱り果てることがなかった。

<偽物、異端、別物の宗教に対して、熱心に働きかけている。

様々なことを、忍耐して日々戦っている。>

 

2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。

あなたは初めの愛から離れてしまった。

2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。

<でも、はじめの愛〜神の純粋な教え=トラー=婚姻契約に記された

生き方から、離れてしまった!という警告があるのです。

異邦人は、はじめから、神の教え=トラー=婚姻契約に記された生き方など教えられていませんから、忘れたのではないのです。

離れた〜ローマ帝国により神の教えを捨てさせられて、強制的に

神の教えから、離れさせられたのです。これは、ユダヤ人も同じです。

ローマ帝国下に生きた人、全て、ユダヤ人異邦人は全て人間ローマが

作ったまがいものの宗教の教えを、神の教えを捨てて、生きるように

強制されたのです。勅令により、処刑により。

だから、婚姻契約=トラーを捨てよ!と、異邦人はローマ帝国の勅令に強制的に移行させられたのです。

 

今の日本を、世界を見ても分かる通り、上に立つ者は、又その上の

命令悪に染まらなくては職が保てないのです。

クリスチャン議員とて、LGBT賛成という神に反することを、公の

場所で堂々と発表する。

日本にも、LGBT賛成の牧師のグループが形成され、それは神の教えに反する!という人を、全て除外。

ここまで狂った世界になったのです。

このようなことをする場合、一体最後に神の前に立った時、どう

神に申し開きをするつもりなのでしょうか?

 

信じま〜す!と手を挙げて、その後、組織が提示する宗教行事に参加する、それが神を愛すること、安全!などと思い、実は中身は空洞、神との親しい関係がない、自分が誰かをよく理解していない、

神の教えを正しく教えられないままの大勢の人がいるのです。

 

神との親しい関係は、神の伝える生き方、神の教え、神が伝えることを理解し続けて、神が言われる通りに生きることで、育まれるものなのです。

それなのに、神の教えに逆らうこと、神の教え終了!つまり、神の教えを無視してよい!捨てよ!破棄せよ!という、蛇の教えを聞かされて、そう教えられ、それが今の時代の義、恵の生き方だ!と言われる。

人間の教えを生きることが、どれほど、神との関係に隔たりを作り、そして神の言われることを理解しない頭脳=悪い地を作り続けているのかも、一度も考えることもないのです。

 

神の前に立った時、人間が作った宗教の教え、宗教活動経歴、実践、記録など、そんな実績は何も関係などない。

最後に残るのは信仰、希望、愛とあるでしょう。

神に対する信仰とは、神の言われることを、神が言う通りに信じて

実際にその通りに生きること。神が与えてくださった神の約束を神の言葉を通して目に見えないものを、確信して生きること、そして愛〜聖書にある愛とは神が提示、定義する婚姻契約の生き方=トラー=

モーセの五書に記された生き方を愛と言っているのに、異邦人の世界では、ローマ帝国の勅令を、今も継続し、古い教え=神の教え=

婚姻契約の生き方を捨てよ!と言い続けて、危険状態に全く気がつけないのです。

 

神の時〜イエシュアが到来するのは、不意打ち!目覚めていない人には不意打ちの時に来るのです。

再臨は、逃避ではありません。どこかに逃れさせられるのではない。

神との対峙、神が言われたことを生きていたのか、そこを問われる時が訪れるのです。

そして、その時まで、神が人に伝えた生き方は、油=神の教え=

トラーに根付いて、神の教えていることに目覚めて、神が言われた通り、神の教えに根付いて生きている人のことがずっと書かれているのです。

7つのカハールで唯一、賞賛だけがされているのは、2の群れだけ

なのです。

その群れの特徴は、神のトラーに忠実に根付いて生きている人たちの

群れのことが記されているのです。

他の5つ〜モーセの五書=神の教えを、完全には理解しないまま、

自分たちの生き方、偽物、ズレた教えが混ざった、生ぬるい混ぜものを生きていることが、はっきりと警告されているのです。

 

ラオデキヤの群れ、ラオデキヤの宗教会議でも分かります。

327年にされた、異邦人だけの宗教会議!神の言葉を人間が勝手に塗り替える冒涜、こんなものが、宗教会議なのです。

人間の考えで、神の言葉、教えを曲げ続けて来た冒涜を、宗教会議で

やり続けて来たのです。

土曜日に労働せよ!日曜日が主の日だ!これは、ニカイヤ会議の時からずっと、何回も繰り返し聖書に根拠のない、人間の主張を、神に

成り代わり言い続け、それが宗教の教理となり、カトリック、

クリスチャンにより実践され続けているのですが、それらは単なる

人間の教えであり、しかもヤラべアムの罪と言及される、人がやってはならない罪をやり続けているのです。

 

何曜日に集まろうと、何をしようと、学びをしようと自由です。

私も日、月、定期的にシャバット以外での、トラー、預言書、その他の学びがあるのですが、シャバット以外は、安息日だからそれをしているのではないという、はっきりした認識をしているのです。

 

日曜日は、カトリックが神のシャバットを勝手に作り変え、今も主張している安息日です。神の安息日を、人間が変えた日の安息日にして、

聖書に根拠がない、神が日曜日を安息日などとも認めてない、その日に変更とも言ってもない、逆に、そういう改ざんをするな!と

言っているのに、その警告が響かないでしょう。

 

日曜日に集まる場合、それはローマ宗教の記念日であり、イスラエルの神の安息日、主日、聖別された日などではありません!と正しいことを人に伝える必要があるのです。

クリスマスも、イースターも聖書にない人造記念日です。誰も聖書では、そのようなことを神の記念日などとも考えてもない、知らない、神も言ってもない、命じてもない、ローマ帝国が、神の創造された

記念日、祭りの方を捨てて、別物の祭りを作った〜異教の神々、女神の祭りをパクって作り変えた偽物、偽造祭りなのです。

 

神の言われることに違反している、神の言葉に人間が一点一画も、

手を加えるな!差し引き、付け足しするなかれ!と言われていることをずっとクリスチャンの世界では、平気で行い続けているのに、

その罪、冒涜に全く気がついていないでしょう。

神の言葉、教えを破棄すること、それこそが昇天以降の時代の

新しい正義、恵の生き方、聖霊時代の生き方だ〜!?こんな教えは、聖書とは真逆の神に敵対する者の教えそのものなのです。

 

黙示録 3:14 ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。

3:15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、

熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、

あなたを口から吐き出そう。

3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由も

ないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。

 

ラオデキヤ〜混ぜ物、高きところの礼拝、偽物の教え、偶像や異教の神々との教えに混じることをしていることなのです。

熱い=神の教え通り、冷たい=異教の神々の教え、生ぬるい=神の教えに、異教の神々の教えを混ぜて作った宗教、教えのこと、姦淫の罪はこの生ぬるい混ぜ物だから、偽ものの教えが混じっているから、

イスラエルの神のものではない、だから吐き出そう!と書いてあるのです。書いてある意味を知ったら、目が醒めるはずです。

実際にイエシュアが再臨されたら、人造宗教、偽物の教え、神の教えを否定する全ては消えます!日曜礼拝も、クリスマスもイースターも消えます!

 

エレミヤ31:31全ての人が神の教え=トラーを理解して生きて

そして、神が創造されたシャバット、新月、祭りを言うようになる!と未来預言されている、それが本物のイスラエルの神の教え、記念日だからです。

 
イザヤ 29:13 主は言われた、「この民は口をもってわたしに近づき、くちびるをもってわたしを敬うけれども、その心はわたしから遠く離れ、彼らのわたしをかしこみ恐れるのは、そらで覚えた人の戒めに
よるのである。

 

<これはまさに、宗教の教えそのものずばりを言っているのでしょう。人間の教え〜神の教えではないものを信奉し、形だけイスラエルの神を礼拝、関わっているけど、中身がない。

神との本当には親しい関係の中にいない=油がない。人の戒め〜神の戒め、教えの方を捨てて、人の戒めを生きている、これほど虚しい

生き方はない、虚無です。

偽物と本物なら、どちらを選びますか?あなたは命を選びなさい!

と神に言われているのです。その声は今日も同じ!人間の教えではなく、神が言われることを選び生きる!これが本当に安全で祝福された生き方につながる秘訣だからです。神と顔と顔を合わせるエデン=喜びの関係に入る。人の教えは、神との親しい関係を遮ります!!!>

 

ヨエル1:13 祭司たちよ、荒布を腰にまとい、泣き悲しめ。

祭壇に仕える者たちよ、泣け。神に仕える者たちよ、来て、荒布を

まとい、夜を過ごせ。素祭も灌祭もあなたがたの神の家から退けられたからである。

 

イスラエルも、神への虚しい近づき方〜神の教えを捨てて、異教の神々の教えに混ざった高きところの礼拝〜異教徒のやり方を学んで

神が言われた通りではない生き方をしていたのです。

祭司とて、同じ罪に陥ったことが、エゼキエルでも記されているでしょう。

祭司は、神のトラーを理解し、神の教えに根付いて生きて、人々に

神の教えを教える役割があった人たちなのに、その人たちが、

神の教えを理解せず、きよいもの、きよくないものの区別もない。

これは、異邦人に対しても同じ警告です。イエシュアを信じて

聖書を教える人が、きよいもの、きよくないものの区別がない!

同じ罪、ズレに陥っているのです。

 

エゼキエル22:26その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

 

全くこの警告通りを、ローマ帝国が作った宗教がやっているのです。
神の教えが、変更、罪の定義が変わった言う嘘=まやかしを信じて
神の言葉を信じない人は、自分に都合の良いように、神の言葉を曲げて読んでいるから、自分に言われている神の言葉、教え、警告が
理解できないままでいるのです。
シャバットを汚し、神の言葉、教えを捨て、そしてけがれた動物を
食し聖霊の宮=神の宮である自分を汚す。
祭壇の上には、豚は捧げられない、けがれた動物だからです。
同様に、神の子ら聖別された人は、神が伝えるけがれた動物=清掃動物、人間の食べ物ではないものを、食べる罪=悪食などしてはならない、こんな教えは、基本中の基本であり、何も難しくないものです。
嘘!と思うなら、それは神の言葉を聞かないで、自分の都合、好み
異教徒と同じ今迄の生き方を引きずる行為なのです。
そのような人は、未来の神の家、エルサレムの神の祈りの家には招かれない!とはっきり書かれているのです。
そんなことをし続けられない、神の聖別を汚すことは続けられない。
未来には、ローマ帝国が冒涜的に作った教えや記念日は全部消えます。
 
続く
 
宗教神学教理で語る聖書解説は、白雲ではなく厚い黒雲。
神の伝える教え、義、愛を遮る邪魔。光が人に届かない邪魔をする。
神が意図する本来の通り、十分に真っ直ぐ光が届かない。