神の言葉の一点一画でも変えている教えは神の教え聖書ではない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

以下は、一般的にクリスチャンの間で教えられている、聖書とは何も関係のない異物〜、聖書に何も根拠のない人間の発想=思想です。

全て、聖書〜神の教えとは真逆、神の教えに反する人間の思想

です。その由来は、ローマ帝国の宗教、モーセの五書廃止!禁止!

ユダヤ的=イエシュア的教え全て廃止!という人間の思想をもとに

作られた宗教の教えから出て来たものです。

聖書とは違う教えを、偽物の教え=異端の教えというのです。

これを、神の教えだと、クリスチャンは信じ込まされているのです。

 

1)キリストが来られる前は、律法を生きて、一時的に義とされた。

太古の人は、律法により義とされた。

 

2)キリストが来る前の人には、許し、恵、祝福、購い、救いが

与えられていなかった。キリスト以前の人は、みんな地獄に落ちた。

 

3)キリストが来られる前の人は、メシアを知らず、内側に神が

住まわれなかった。キリストが処刑、復活されて、初めて、贖い、

救いが与えられ、聖霊が内側に住まうようになった。

 

4)キリストが来れる前の人は、エルサレムの神殿に行けた人だけが、神殿の祭壇に動物を捧げられた人だけが、免罪符〜仮に一時的に許された。

 

5)キリストが来られて、モーセの五書とは違う新しい教えが出た

神の教えは不完全だった。又は神は人が生きられない教えを与えて

人がどれほど罪人か教えるための教えだった。

 

6)キリストが来られてモーセの五書=トラーが破棄された。

それは、キリストにより、モーセの五書=律法=神の言葉、教えを

同時に十字架につけて葬られて破棄されたからだ。

神の言葉は、一時的な教え、暫定的、期限付きの不完全な仮の教えだったからだ。

 

7)キリストが来られて、教会という異邦人の群れが初めて出現した。

 

8)西洋宗教〜ローマ・カトリック教というキリスト教〜モーセの五書を否定する宗教、モーセの五書とは違う別の新しい教え、キリストが来られるまで聞いたことがない教えを、初めてキリストと使徒、パウロが人に教えた。

 

9)ローマ教皇や、人間が神の言葉を塗り替える権威を神から与えられている。

 

10)今の時代は、キリストにより律法を生きることから解放され、

神の教えではなく、聖霊により生きる恵の時代になった。

モーセにより厳しい呪い束縛の律法が与えられ、キリストにより自由の聖霊の教えが与えられた。

 

11)律法=神の教えに戻る生き方は、恵を捨てている悪い生き方

律法主義者だ。律法は、ユダヤ人だけ生きれば良い。

 

12)ペテロはローマ・カトリックの初代教皇である。

ペテロ=ローマ教皇の上に、キリストは今迄とは別の

新しい教会という神の群れを作った

 

13)パウロは、モーセの五書を否定した教え、破棄せよと教えている。

パウロが食規定が廃れた、いつでも今は神の聖別された日として良いと教えている。なぜなら、今は律法の下ではなく、恵の下にいるからだ。

14)イスラエルは神の律法を生きるだけで、異邦人には神の教えは当てはまらない

 

15)異邦人は、自分の考え、意見で神の言葉を自由に仕分けて良い

恵の時代になった。

 

16)神は怒りの神が恵の神の神に変身し、怒りの時代が恵の時代に変化した、怒りの時代=律法時代、律法を生きて義とされた時代

恵の時代〜聖霊により義とされる時代。

 

17)今はいつでも、安息日。神の創造された記念日は律法なので

廃れて、破棄されて悪いものだから、今はクリスチャンは祝わない。

ユダヤ人だけの祭りだから、ユダヤ人だけがやれば良い。

神が、神の創造された記念日を祝うように禁じた。終了と宣言した。

 

18)キリストが来られてから、安息日は日曜日になり、クリスマス、イースターを祝うように、キリストが教えた。

 

19)神の教えは、時代ごと、人種事に変化するものである

 

20)再臨は2度ある。最初の再臨は、誰にも知られないようにキリストが地上に戻られ、クリスチャンだけが天に上られて突如として

皆が地上から消える。

 

21)クリスチャンは永遠に天に住まい、ユダヤ人は永遠に地上に

住む。神の家族は、2つ分裂した、分断した家族だからだ。

 

22)ユダヤ人は、父なる神の花嫁で地上を治め、クリスチャン=

異邦人は、ジーザスの花嫁で永遠に天を治める。

 

細かく言及するともっと色々とありますが、これら全て、聖書の教えなどではありません!!!!聖書=神の言葉を曲げて、人間が編み出した思想にすぎない教えを、神の教えだと刷り込まれ続けているのです。こんなことを、神の教えだと嘘を信じ込んでいたこと、知らなかった無知を神の前に謝りました。それより真実がはっきり分かったら開いた口が塞がらないほど、ショック状態に陥ります。

どうして、こんな嘘、神の言葉の進化論に人が騙され続けて来たのか?

まさか、聖書ではないことを、当然のごとく、誰も疑わす普通に教えられて来たなどと、夢にもつゆにも、空想にも、微塵にも思い浮かばなかったからです。

単なる無知でした。聖書を知らない!ということ、ヘブライ聖書を

ヘブライ思索で教えられ、毎週トラーを学び、その他もろもろの聖書の他の書をヘブライ聖書で教えられる中で、宗教の教えでは、全然違うことを教えられて来たことに、驚愕であり、嘘を本当ということに、耐えられなくなりましたが、それも普通には発表する環境にないのです。言えば、誤解され、叩かれるからです。

律法、ユダヤ教になるの?恵を捨てるの?と言われる。

ボコボコに叩かれる、聖書を知らない人たちからは、異端だと勘違いされるのがオチだからです。聞きなれない教え、律法に戻るのか〜

程度にしか、考えられないからです。

世間に浸透している教えこそが、人造の教えで聖書ではないものであり、人間ローマ帝国が作った混ぜ物の宗教であるのに、そのことを

クリスチャンは知らないままだからです。

誰かに敵対していると思われる。誰かの批判をしたいの?と思われる。

そうではなくて、聖書に書いていないことは、神の教えではない!

人間が作った宗教の教えは、聖書=神の言葉ではない!それを証明

するには、聖書から1つ1つ誤解を、解かない限りできない。

でも、そんなこと知りたいなんて、普通は思わないからです。

考えもしない。

クリスチャンの教師が、ローマ帝国の教え、勅令を知らないまま継承していて、その教えがどこから来たのかも、考えていない。伝統の教えが、デイスペンセーション神学を神学校で教えられ、それらが聖書だと完全に思い違いしているのです。

偽物〜作り物の宗教の教えが、神の言葉をなし崩しにした、遠い歴史の事実を知らないまま、今、聖書に書いてないこと、根拠にないことを、パウロの書簡などを勘違いした読み込みをして、神の言葉が変えられた証拠!と主張しています。

おかしいでしょう。辻褄合わないことに気が付かないのですか?

神ご自身が、神も神の言葉が永遠に変わらない!と言っているのに、

黙示録の最後にも神の言葉=預言にてを加えるものの刈り取る結末が警告されているのに、神の言葉は、神の言葉を捨てる、廃れたと嘘を信じる人には通じないのです。

 

マタイ5:19 それだから、これらの最も小さいいましめ=トラー=モーセの五書の一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

 

<神の言葉を捨てよ!生きるな!廃れた、律法主義と、上記された

イエシュアの言葉通り、クリスチャンの教師が教えているのです。

イエシュアを愛しながら、イエシュアご自身に敵対する教えを人に

教え、罪=神の言葉、教えを捨てるように教えているのです。>

 

ルカ16:17しかし、トラー=モーセの五書の一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい

21:33 天地は滅びるであろう。

しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。

 

イザヤ40:8 草は枯れ、花はしぼむ。

しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。

 

申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、

主の命令を守ることのできるためである。

 
黙示録22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、

わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人にこの書に書かれている災害を加えられる。

22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神は

その人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

 

その他諸々、この教会から離れたら呪われるとか、救われたら、

奉仕活動しないとならないとか、献金しないと、神から盗んでいるとか、牧師は神から油注がれた存在だから、反対意見してはならないとか、逆らってはダメだとか、聖書は神の言葉ではない、時代に沿った教えに神の言葉を変えて良い。etc etc etc

LGBTは今はOk、受け入れることが寛容、愛であるなど、神の罪の

定義を人間が再定義し直し、神の言葉そのものを塗り変えて、罪を

生きるように人に導き、人を破壊の教えに導いている、聖書から逸脱した教えは、これ以上山ほどあり、人が神から預言されたと、人の人生の選択を左右するようなことを言い、人を支配、操作したり、その

ような教えで脅され、縛られる人もいるのです。

神の言葉を人間が1つでも定義し直す、捨てる、塗り替える、罪と

理解していない人が聖書を教えている終わりの時代なのです。

これはそれぞれの群れで、違うことが語られているので言及しません。

でも、クリスチャンが語る十1献金は、都合よくトラーを利用していますが、それは、トラーに記された教えとは異なるものなのです。

献金の意味、目的をトラーから正しく理解しないまま、都合よく

トラーを利用して、他の箇所は廃れたなどと教える大矛盾をしているのです。

偽の教え、偽教師とは、半分嘘、半分本当を教えることなのです。

本当〜熱い〜イスラエルの神の教え、トラーに完全にピッタリ忠実であるか、冷たい〜人間の哲学、偽物の教え、異教の神々の教えそのもの、生ぬるい〜神の教えに、別物の教え、人間の思想、異教の神々の教えを混ぜている混ぜ物〜姦淫の罪=見分けがつかない生ぬるい

とあるのです。

黙示録3:15 わたしはあなたのわざを知っている。

あなたは冷たくもなく、熱くもない。

むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、

あなたを口から吐き出そう。

 

 

 

続く