人間の編み出した教えか、それとも神の言葉の事実か、それを見分ける土台、根拠は、聖書です。
その根拠となる神の言葉、聖書の記述を人間が曲げる、否定する、
その時点で、それは聖書の教え神の言葉とは異なると言う事に、
はっきりと気がついて下さい。真実を証明している神の言葉、その
根拠を人間が曲げたら、その人には何が本当なのか、通じなくなるのは当然のことなのです。そのような、罪、ズレをずっと人間がやり続けているのに、それが違反行為、異常事態であると、神の言葉を曲げる主張をしている人には、気がつけないのです。
クリスチャンの世界で語られる教えは、聖書とは異なる人間の思想が
土台となってしまっています。
その土台とは、神の言葉が廃れた、破棄された、終了したと言う
真っ向から神の言葉を否定した思想を土台にしているのです。
昇天以降、神の教え〜律法は十字架につけられた。
ヘブライ語で、神の言葉を指して、律法などと言う言葉は、1つも
書かれていません。この時点で、聖書に書かれているオリジナルと
思想、理解がかけ離れている事に、気がついて下さい。これは
不適切な翻訳からくる問題なのです。
様々な空想ファンタジーで語られる、聖書ではない人間の思想の
オンパレードなのです。こう考えるでしょう。
キリストを通して救われますとだけ人に教えていれば、それだけで
十分で良いんじゃない?メシア発見すれば、それだけでもう良い。
それで終わり!でもそれは、信仰のスタートだけであり、その状態に留まる続けるのは、成長しないまま、赤ちゃんのままでいる事と同じです。そのような状態がはっきりと警告されているでしょう。
ヘブル 5:11 このことについては、言いたいことがたくさんあるが、
あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。
5:12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。
5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。
5:14 しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。
<神の教え、トラーを理解できる状態ではないところに留まる警告です。>
1テモテ 1:7 トラーの教師たることを志していながら、自分の言って
いることも主張していることも、わからないでいる。
2ペテロ3:16 彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。
その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、
無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
上記全て、神の教え、トラーを書いてある通りに正しく教育され
学び続ける事を、しない結果なのです。
その代わり、人間の思想〜神学を教えられてしまっているのです。
聖書ではなくて、人間の思想を教えられている。
なぜ、混ぜ物の教えはダメなのでしょうか?
1)神の教えと違う事を人に伝えるという事は、聖書に記された
イスラエルの神、イエシュアの本当の実態、性質を、正しく伝えて
いない、別物を人に伝えて、正しくイエシュアを地上で反映しない
生き方教えをしている。
異邦人が編み出した宗教、教理の教えのおかげで、ユダヤ人に対して
どれほど、つまづきの石になっているのか、考えた事がないと思い
ます。神の教え、ご自分の言葉を否定する、イスラエルのメシア?
トラー、預言書、諸書を知るユダヤ人には、そんなメシアは偽物!と認識するのは当然なのです。
偽物のイエシュア像を、ユニバーサル教、クリスチャンが語ってしまっているからです。だから、聖書だけに戻り、正しく神の教えと
メシアを伝えないとならないのです。
2)聖書ではない、人間が作った宗教の教え、人間が神の教えの方
捨て去り、否定、破棄し、人間が神の記念日を作り替えて、異教の神々、女神が土台、異教の神のシンボル、意味、異物、偽物、異教の神々が混入している祭りに作り替えたものを記念日としていること。
3)神が永遠に祝うと教えている記念日、教えの方をクリスチャンが捨てている事。神の聖日を汚している事。
神の記念日を捨てる事を、罪と神が人に教えているからです。
それが通じない理由、クリスチャンは神の教え〜罪の定義を捨てているから、何が神の前に罪であるのか、基本的な理解がごっそり抜けて
人の思想に聞き入り、人が定義した罪の基準を生きている。
神の教えを生きないで、人間の思想を生きている。
4)聖書に書いていない事実
神が聖別された日ではない日を聖日、主の日と呼んでいる。
偽情報を人に伝えている。
5)人間の作った宗教の記念日を祝うと言うのは、神の仰せではない
12月25日は聖書に根拠ない日、そんな事は聖書に記されていない。ロシア正教は1月7日がキリストの誕生日、それも聖書に記述がない。キリストが2日別の日に2回地上誕生したとは聖書には書かれていない。偽証するなかれに、反する偽情報。
6)神の記念日を祝わず、神の聖別された日、主の日を普通の日として取り扱い、神が伝える通りにその日を生きない、祝わない事〜
その行為は、神の記念日を汚すと神が教えている事なのです。
エゼキエル20:24これは彼らがわがおきてを行わず、わが定めを捨て、わが安息日を汚し、彼らの目にその先祖の偶像を慕ったからである。
そして、今はなんでもいつでも良い、福音のメッセージが伝わりさえすれば良いと考えています。それは聖書の教えではなく、
ローマ教、異教徒の思考回路そのものなのです。キリストが伝われば、混ぜ物OKという考え。混ぜ物の教えの中に本物のイエシュアは
いません!
ローマユニバーサル教は、大衆に馴染みやすくし、取り入れやすく
するために異教の神々、女神の日を記念日とし、シンボル、慣わし、
教えを取り入れる姦淫の罪を犯しているのです。
全て人間中心であり、神の言う事を退け、無視、無効として自分たちの考えを第一、絶対であるとしているのです。
世界の民族の頂点に立つのが、聖なる父と呼ばれる教皇です。
その人に、全ての教理を定義する権限が与えられていると、勝手に
主張していますが、神は人間に神の言葉を曲げる権限、権威など与えていません。
神は使徒達に、神が教えた通りのトラーを神の意図通りに教える、
伝える事を任命したのです。
神の教え、トラーを曲げる教えを人に伝えている事は、神の意図に
反する、罪である行為です。
聖書にある聖書を教える人とは、トラーを教える人です。トラー教師なのに、トラーに記されている教えも理解していないまま、人間が
編み出した宗教の教えを代わりに教え続けている事に全く気がついていないのです。
15世紀以降、宗教改革が行われた後も、なおも大元の問題、
カトリックが決めた勅令、モーセの五書を実践することを禁じる!という、この点が全く正されないまま、そのまま置き去りにされ、偽物の教えの根、神の言葉を人間が否定する罪が、悔い改めされないまま、結局、カトリックの思想を土台とした宗教の教えが継続され続けて行ったのです。
だから、プロテスタントも、日曜礼拝、クリスマス、イースターで
あり、モーセの五書の教えなど、教えられることもないまま、それ以降プロテスタントの中でも、同様に様々な思想=聖書とは異なる異端的な教えが次から次へ、カトリックの宗教会議と同じく、編み出され続けて今に至るのです。
カトリックの階級制度も、プロテスタントの中に根付いています。
教皇のように全世界の民族のトップに立つ権威とは言わないまでも
そのグループ、宗派のトップに立つ権威を持っていると、ある人々は
そう考えているでしょう。
教師、リーダー、牧師の言う事は絶対であると。
18世紀以降、偽預言者、再臨を預言する人たち、そして聖書とは
異なる思想や、ある宗派の預言者と名乗る物、その他明らかに聖書のメシアとは違うメシア、聖書とは違う経典、モルモン経典や、
ものみの塔など、普通の人でも聖書とは違うと分かる思想を持つ
教えが出現して行きました。
あのアジアのなんとか連合というカルトもそうですが、教祖様とか、自分がメシアと思い込む人は、脳に、精神に異常があるか、悪霊に
取り憑かれている状態なのでしょう。
そして、そこまで考えなくても、自分が神から選ばれた油注がれた
油注がれたと言う言葉が、「メシア」であるのに、そう考える人も
大勢いるのです。
だから、上の言うことに普通の平民は逆らうな、意見するななどと、他の人に対して言えるのだと思います。
不思議な思考回路というか、危険な思想なのです。
クリスチャンの中には、空中軽挙という思想があります。
古代ヘブライ人には異物な発想、思想なのです。
デイスペンセーション神学思想ですが、キリストが来て、クリスチャンは患難を逃れさせてもらえて、地上から消える〜これ現実逃避です。誰でも、患難、困難など通りたくありません。
患難は歴史の中でずっと繰り返されているのです。
でもその患難の中、あなたを守ろうと言われたのです。
ヨーロッパ、アメリカで、キリストが再臨すると言う偽預言をした人たちがたくさん出現しました。
全部偽預言者ですから、偽預言に終わりました。
聖書では偽預言を1度でもしたら、その人は本物の預言者ではない
と言う証明なのです。
そのような人の言うことを、信じてはならないのです。
偽預言者の偽預言に対する、言い訳もたくさんしています。
偽預言はどんな言い訳をしても、偽預言に過ぎません。
どんな偽預言者がいたのでしょうか。
キリスト教の伝統では、666 という数字は聖書の黙示録で「獣の刻印」として説明されています。したがって、1666 年が近づくにつれて、ヨーロッパ人が不安になったのも不思議ではないのです。
前年、疫病がロンドンの人口の 5 分の 1 にあたる約 10 万人を死に
至らしめ、多くの人が世界の終わりを予言していたことも、不安を
助長したのです。そして 1666 年 9 月 2 日、ロンドンのプディング レーンのパン屋で火災が発生した。火は燃え広がり、3 日間で 13,000 棟以上の建物が焼け、数万戸の家屋が破壊されました。
しかし、最終的にこの火災で亡くなったのは 10 人未満で、大惨事ではあったものの、世界の終わりではなかったのです。
ウィリアム・ミラーは、おそらく歴史上最も有名な偽預言者です。1840 年代に彼は世界の終末について説き始め、イエス・キリストが待望の再臨を果たし、1843 年 3 月 21 日から 1844 年 3 月 21 日の間に地球が火に包まれるだろうと語りました。彼は公の集会で、また当時の技術 (ポスター、印刷されたニュースレター、図表など) を使ってメッセージを広めました。これらのメッセージに心を動かされた
10 万人もの「ミラー派」が 1840 年から 1844 年の間に持ち物を売り払い、山に登って終末を待ちました。終末が来なかったため、ミラーは日付を 10 月 22 日に変更しました。10 月 23 日が近づくと、彼の忠実な信者たちはまたもやそれをごまかしました
偽預言者を信じるとは、損失です。人を信じてはダメです。
誰もその日、再臨の日は分からないからです。
第一次世界大戦の勃発は多くの人々を震え上がらせました。しかし、それは現在エホバの証人と呼ばれている団体、シオンのものみの塔
小冊子協会にとって特に衝撃的だったのです。同協会の創設者チャールズ・テイズ・ラッセルは、1874年にキリストの目に見えない再臨を予言し、続いて1914年にキリストの再臨を予言していました。
その年に第一次世界大戦が勃発すると、ラッセルはそれをハルマゲドンの兆候と、迫りくる世界の終末、または彼が言うところの「異邦人の時代」の終わりと解釈した。歴史はそうではないことを証明したのです。全部偽預言者。
今もネット界隈で、2025年預言でバズっていますが、踊らされる必要はありません。大事な事は、全ては神の手の中にあり、日々、
神の言葉に根付いて落ち着いて生きる事、それに徹する事、今日を
しっかり生きる事です。
続く