プリムの意味 神が神の民を守られる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2025年、3月13日日没からプリムの記念日が始まります。

この日は、エステル記に記された歴史の史実、ハマンのユダヤ人殲滅計画から、神が救い出された事を記念して祝われている日です。

 

プリムは、くじ〜プルという言葉から来ています。サイコロみたいな

くじでしょう。

この日は、レビ記23章にある、神の子ら全員を呼び出している聖別された記念日とは異なる性質の記念日です。

レビ記23章に記された神の記念日以外のイスラエルの記念日は、

戦争、このような命を救い出された事、敵との戦いの勝利を祝うもの

です。

冬のハヌカの祭りも、ギリシャ帝国に対しての勝利、神殿を取り戻す

為に戦ったユダヤ人に与えられた勝利を記念する祝い日なのです。

 

この事件は、丁度ネヘミヤ記にあるように、バビロン捕囚からイスラエルへ戻った人々がいた一方、未だ諸外国に留まっていたイスラエルの残りの民が居た時代に起きた事です。

ペルシャの首都、シュシャン(スサ)にイスラエルに帰還しない人々が住んでいました。バビロンに捕囚されてから、100年後です。

この事件が起きたのは、紀元前5世紀後半から、4世紀にかけての頃です。

エステル記には、一度も「神」という言葉が出て来ません。

読者がこの書を読んで、この背後にいるのはイスラエルの神であると

はっきり分かるように書かれています。

 

モルデガイはユダヤ人であり、エステル、ヘブライ語の名前は、

ハダッサ、両親を亡くしたエステルはモルデガイに養女として引き取られたと書いてありますが、モルデガイのいとこに当たります。

 

エステル2:5 さて首都スサにひとりのユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシのひこ、シメイの孫、ヤイルの子で、ベニヤミンびとであった。

 2:6 彼はバビロンの王ネブカデネザルが捕えていったユダの王エコニヤと共に捕えられていった捕虜のひとりで、エルサレムから捕え移された者である。

 

登場人物は、アハシュエロス王、王の妻であったワシテが王の命令で

女性たちの為に酒宴を設けて、その場でワシテに冠を被せその美しさを皆に披露したかったとあります。

この、王の命令を王妃が無視したので、王は怒り、この王妃を退けて、他の王妃を選んだ、それがエステルだったのです。

エステル記は、短いのでぜひ読んでみてください。

そして、この書での他の重要人物は、ハマンです。

ハマンは、王に気に入られ、大臣のトップに昇格します。

ハマンのモルデガイに対する、怒りの前にこのような事件がありました。

2:21 そのころ、モルデカイが王の門にすわっていた時、王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタンとテレシのふたりが怒りの

あまりアハシュエロス王を殺そうとねらっていたが、

2:22 その事がモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに

告げ、エステルはこれをモルデカイの名をもって王に告げた。

2:23 その事が調べられて、それに相違ないことがあらわれたので、

彼らふたりは木にかけられた。この事は王の前で日誌の書にかきしるされた。

そして、ハマンが、モルデガイだけではなく、ユダヤ人を殲滅しようと策略した事件が起きます。

 

3:2 王の門の内にいる王の侍臣たちはひざまずいてハマンに敬礼した。これは王が彼についてこうすることを命じたからである。

しかしモルデカイはひざまずかず、また敬礼しなかった。

 3:3 そこで王の門にいる王の侍臣たちはモルデカイにむかって、

「あなたはどうして王の命令にそむくのか」と言った。

3:4 彼らは毎日モルデカイにこう言うけれども聞きいれなかったので、その事がゆるされるかどうかを見ようと、これをハマンに告げた。なぜならモルデカイはすでに自分のユダヤ人であることを彼らに語ったからである。

 

この箇所、なぜモルデガイがハマンにひざまづき、敬礼しないのか?

挨拶しないとは、なんと失礼、無礼な態度だろうと思いませんか?

挨拶くらいしておけば?と思うでしょう。減るものでもないし。

ある国の王族の中には、王に頭も下げない無礼な態度をする人もいるようですが、ここに書かれている意味は、大分違います。

これが、翻訳だけ読んでも、何が書いてあるのか読み取れないという

良い例だと思います。

 

יִכְרַע וְיִשְׁתַּחֲוֶהヘブライ語では、イカラ ヴイシュシュタウエ

書いてあるのです。これは、ヘブライ語聖書の中で、神に対する

敬意、ひれ伏し拝むという意味の言葉、表現なのです。

神に対して、礼拝、服従、忠誠を誓い行う動作を、表している表現なのです。だから、モルデガイは、決してこの人間であるハマンに対して、神に対する崇拝を意味するジェスチャー、行動を断固として行わなかったのです。

しかも、ハマンは体に異教の神々のシンボルをまとうような事を

していただろうと、推測されます。人を拝む〜裏にあるその国の神々を拝む行為は、断固として拒否するのが、残りの民の取るべき行動です。

分からないまま読むと、モルデガイは相当頑固で突っ張っている?

もしくは、そこまでハマンが嫌い?程度に読んでしまっていましたが

そうです。いくら国の命令であれ、神ではない人間を神として拝めない、偶像を拝めない、ユダヤ人の残りの民としての信仰を、行動で表す主張、表現なのです。

神の言葉はありませんが、この後どうなった読んで行くと、全ての

出来事に対して、神が介入されていることが分かります。

 

3:6 ただモルデカイだけを殺すことを潔しとしなかった。

彼らがモルデカイの属する民をハマンに知らせたので、ハマンは

アハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの属する民をことごとく滅ぼそうと図った。

これが、ハマンのモルデガイとその民族全員、殲滅作戦を企てた記録です。これ、創造の初めから同じです。神の民と、神の言葉を潰す

殲滅する作戦、サタンの作戦です。ハマンは、王に告げ口します。

 

3:8 そしてハマンはアハシュエロス王に言った、「お国の各州にいる諸民のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その法律は他のすべての民のものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それゆえ彼らを許しておくことは王のためになりません。

3:12 そこで正月の十三日に王の書記官が召し集められ、王の総督、

各州の知事および諸民のつかさたちにハマンが命じたことをことごとく書きしるした。すなわち各州に送るものにはその文字を用い、諸民に送るものにはその言語を用い、おのおのアハシュエロス王の名をもってそれを書き、王の指輪をもってそれに印を押した

3:13 そして急使をもってその書を王の諸州に送り、十二月すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちにすべてのユダヤ人を、若い者、

老いた者、子供、女の別なく、ことごとく滅ぼし、殺し、絶やし、

かつその貨財を奪い取れと命じた。

3:14 この文書の写しを詔として各州に伝え、すべての民に公示して、その日のために備えさせようとした。

 3:15 急使は王の命令により急いで出ていった。この詔は首都スサで

発布された。時に王とハマンは座して酒を飲んでいたが、スサの都はあわて惑った。

 

エステルは王の侍従の一人である人を、王がエステルに与えたので

その人ハタクを召して、モルデガイの所へ行き、なぜこのようなことが起きたのか、伝えさせるのです。4:5-8

そして、モルデガイが自分の身に起きたことを全て告げて、

ハマンがユダヤ人殲滅を企んで、王の金庫に金を入れ、その額を伝えさせます。

 

4:8 また彼らを滅ぼさせるために、スサで発布された詔書の写しを彼にわたし、それをエステルに見せ、かつ説きあかし、彼女が王のもとへ行ってその民のために王のあわれみを請い、王の前に願い求めるように彼女に言い伝えよと言った。

 

王妃でも、王が呼び出さない限り、勝手に王のみ前に出ることは

できないのですが、そのルールをエステルが命懸けで破り、王の前に

直訴に行きます。もし王がこの時のエステルの行動を拒否したら、

処刑なのです。この時には、問題の内容を語らず、王とハマンの為に酒宴を行いたいからと、エステルは王に頼むのです。

そして、その後、神は不思議なことをされました。

 

6章で、王はどうしても眠れない夜、侍従に王宮日記をもって来させて、日々の記録を読むのです。

その中で、モルデガイが、王の侍従で王の部屋の戸を守る侍従二人

ビグタナとテレシが、王を殺害しようと企んでいることを、モルデガイが知って、それをモルデガイが侍従に伝え、その二人は処刑され、

王は難を逃れた記録を初めて読むのです。

そして、王はモルデガイを多大に表彰したのです。

面白いことに、ハマンに王が栄誉を与えようとする人に、何を贈り物したら良いか、ハマンにアイデイアを言わせるのです。笑

自分が欲しいものを、言ったのでしょうね。

そうすると、ハマンは答えます。

 

6:7 ハマンは王に言った、「王が栄誉を与えようと思われる人のためには、

 6:8 王の着られた衣服を持ってこさせ、また王の乗られた馬、

すなわちその頭に王冠をいただいた馬をひいてこさせ、

6:9 その衣服と馬とを王の最も尊い大臣のひとりの手にわたして、

王が栄誉を与えようと思われる人にその衣服を着させ、またその人を

馬に乗せ、町の広場を導いて通らせ、『王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ』とその前に呼ばわらせなさい」。

 

この王の多大なる表彰〜ハマンが提案した全てを、ハマン自身が、

憎きモルデガイに与え、宣言することになってしまうのです。笑

そして、ハマンは屈辱をたっぷりと味わい、落ち込みへこんだのです。

そして、ハマンは妻にも、このような事態を話すと、ユダヤ人モルデガイに勝つ余地などないと、妻から諭されます。

そして妻たちと話している間に、エステルが計画的に準備した祝宴にハマンは呼ばれて行くのです。

そこで、王は、エステルに何が欲しいか?と要求します。

ここで、神の裏技が登場するのです。

 

7:3 王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがって

わたしの民をわたしに与えてください。

7:4 わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。もしわたしたちが男女の奴隷として売られただけなら、わたしは黙っていたでしょう。わたしたちの難儀は王の損失とは比較にならないからです」。

7:5 アハシュエロス王は王妃エステルに言った、「そんな事をしようと心にたくらんでいる者はだれか。またどこにいるのか」。

7:6 エステルは言った、「そのあだ、その敵はこの悪いハマンです」。そこでハマンは王と王妃の前に恐れおののいた。

7:7 王は怒って酒宴の席を立ち、宮殿の園へ行ったが、ハマンは

残って王妃エステルに命ごいをした。彼は王が自分に害を加えようと定めたのを見たからである。

 7:8 王が宮殿の園から酒宴の場所に帰ってみると、エステルのいた

長いすの上にハマンが伏していたので、王は言った、「彼はまたわたしの家で、しかもわたしの前で王妃をはずかしめようとするのか」。この言葉が王の口から出たとき、人々は、ハマンの顔をおおった。

7:9 その時、王に付き添っていたひとりの侍従ハルボナが「王のためによい事を告げたあのモルデカイのためにハマンが用意した高さ五十キュビトの木がハマンの家に立っています」と言ったので、王は

「彼をそれに掛けよ」と言った。

7:10 そこで人々はハマンをモルデカイのために備えてあったその木に掛けた。こうして王の怒りは和らいだ。

 

8:2 王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、モルデカイに与えた。エステルはモルデカイにハマンの家を管理させた。 

8:3 エステルは再び王の前に奏し、その足もとにひれ伏して、

アガグびとハマンの陰謀すなわち彼がユダヤ人に対して企てたその

計画を除くことを涙ながらに請い求めた。

8:4 王はエステルにむかって金の笏を伸べたので、エステルは身を起して王の前に立ち、

8:5 そして言った、「もし王がよしとされ、わたしが王の前に恵みを得、またこの事が王の前に正しいと見え、かつわたしが王の目にかなうならば、アガグびとハンメダタの子ハマンが王の諸州にいるユダヤ人を滅ぼそうとはかって書き送った書を取り消す旨を書かせてください。

8:6 どうしてわたしは、わたしの民に臨もうとする災を、だまって

見ていることができましょうか。どうしてわたしの同族の滅びるのを、だまって見ていることができましょうか」。

8:7 アハシュエロス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った、「ハマンがユダヤ人を殺そうとしたので、わたしはハマンの家をエステルに与え、またハマンを木に掛けさせた。

 8:8 あなたがたは自分たちの思うままに王の名をもってユダヤ人についての書をつくり、王の指輪をもってそれに印を押すがよい。王の名をもって書き、王の指輪をもって印を押した書はだれも取り消すことができない」

 

<神が許さない事は、決して起こらない。神は人の策略を覆す事が

できるからです。>

 

8:11 その中で、王はすべての町にいるユダヤ人に、彼らが相集まって自分たちの生命を保護し、自分たちを襲おうとする諸国、諸州のすべての武装した民を、その妻子もろともに滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取ることを許した。

 

8:12 ただしこの事をアハシュエロス王の諸州において、十二月すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うことを命じた。

<アダルの月〜グレゴリオ暦の2月〜3月になります。

2025年のプリムは、今日3月13日、日没からです。>

 

8:17 いずれの州でも、いずれの町でも、すべて王の命令と詔の伝達された所では、ユダヤ人は喜び楽しみ、酒宴を開いてこの日を祝日とした。そしてこの国の民のうち多くの者がユダヤ人となった。

これはユダヤ人を恐れる心が彼らのうちに起ったからである。