ローマ2章 選民意識で神の教えを生きないユダヤ人への警告 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

パウロの手紙が、クリスチャンの間では多大に誤解され、パウロが

モーセの五書に反する教えをして、新しい教えをしているという、

モーセの五書が廃れた根拠が書いてある証拠だとして、クリスチャンの世界では一般的に、間違った解説がされてしまっています。

 

このような誤解されたパウロの手紙の内容を、パウロが書いた意味

通りに戻して、読み直さないとならないのです。

 

パウロ自身が、パウロは100%モーセの五書=トラーに忠実に

生きている、トラーに反した教えなど人にしない、割礼を禁じてなどいない!と証明しているのです。使徒21:21ー24

パウロがモーセの五書と違う教えをしているという、当時大問題になった噂が流れて、その噂は嘘であることを、公にパウロが大々的に

証明したのに、クリスチャンの世界では、パウロ自身がパウロが何者なのか知らないまま、パウロが100%モーセの五書に忠実に生きている!と言っているのに、そのパウロの言葉を無視しているのです。

 

嘘の上塗りは、嘘を嘘で塗り固めて行くことです。聖書とはズレた

聖書解説は、結局人間が編み出した教えで塗り替えた解説をしているから、聖書ではない人間が作った宗教の思想〜モーセの五書廃れた!

という土台、砂の土台にして、岩=イエシュア=父の言葉、教えだけを語って教えたイエシュアの教えの方を曲げているのです。

神の伝える真実は、神の伝える真実だけにしか繋がらないのです。

人の作った教えと、神の教えは繋がらない、マッチしない、臓器移植で、体が異物臓器拒絶反応を起こす事と、同じことが起きるのです。

私達は、嘘を食べて生きるようには造られていないからです。

神がデザインした通り、それは体も、食も、霊的なことも、神の言葉教えも、人間の教えという有害添加物を混ぜられた教えは、自分の

腹に書かれたDANが拒否します。又は、肉の罪に支配された要素は

罪を受け入れます。それは、楽だからです。

 

イエシュアを愛する人は、イエシュアの教えられたトラーを愛しガードして生きる!神を愛する人は、神の言葉を生きる!とある通り、

聖霊=言葉の真実に目覚めた人は、ぜひ自分で聖書を読み直して、

モーセの五書が廃れたと根拠にされてしまっている「臭い箇所」を

再検証して読み直して頂きたいと思います。

パウロの手紙の中には、パウロがモーセの五書は終了!又は自分の

意見、考えで、神の言葉を仕分け、教えを生きても、生きなくても

良い!など、そんな異教徒、異邦人が考えるようなことを、パウロは微塵にも考えてもない、言ってもいません。

神と人間は違う!人間が神になり変わるというのは、バベルの塔を

建てた人のように、人間が神より上になろうとする、神に自分で到達する、神の教えを退けて、自分の考えで何でもやるのだという、

反メシア思想が根底にあることを、忘れないでください。

神に敵対するものとは、サタンとヘブライ語で呼ばれるのです。

神は神であり、人間は神の前に、聞く!聞いた通りを生きる!

これが、一番健全、安全、神の意図通り、デザイン通りなのです。

 

ローマの群れは、ユダヤ人が主体で、異邦人が混じった混合の群れです。1世紀は、イエシュア信者はほとんどがユダヤ人、諸外国に住む

人もユダヤ人、そしてそのユダヤ人の中に異邦人が加わっていたということを忘れないで下さい。

ユダヤ人の中にあった意識は、選民意識です。

選ばれた民だから何をしてもOK、神の国で安全な場所が確保されているという意識です。
そして、異邦人は契約の民ではないから、2等クラスの劣った人で
あるという、意識です。
これ、クリスチャンの中にもある同じ意識なのです。
救われているから、安全。だから、何をしても許されるし、神の言葉も今は生きなくて良いのです、信じるだけで良いと教えられているのです。それは、生まれ変わることは、信じるだけ!でしょう。
生まれた人は、その後、神の教え通りを生きる!と教えられているのに、その部分を、好き勝手に人の考えで、神の言葉を仕分けて生きて良いなどと、聖書と真逆の教えをしているのです。
神の教え、意味を、様々に混同しているのです。
でも一方キリスト教の教えは死守せよ!と教えられるでしょう。
日曜礼拝死守。献金死守、集会出席、奉仕必須など。それは、宗教の教えであり、神の教えではないのに、そのグループに属するから、
そのグループの教えに服従するという決まりがあるだけなのです。
 
ユダヤ人という血統、イコールそれだから、そのまま神の聖なる民と
なるのではありません。これは異邦人もユダヤ人も同じです。
誰もイエシュアを通して以外、父の元に来ることができないと
イエシュアは、ユダヤ人に語られていること、忘れないでください。
トラーを知る、トラー=婚姻契約を受け取った代表者、失われた
イスラエルの羊へだけ、イエシュアは父から遣わされたと言っているでしょう。
神の教え、契約を知らない、異邦人のところに行っても、イエシュアが語る教えの意味など分からない。タナックを知る、タナックに記された、約束のメシアを待っているユダヤ人の元に最初来られたからです。
復習ですが、ローマ人の群れのユダヤ人の意識と、異邦人の使徒15章にあるような異教徒的なおぞましい生き方、それらが混ざって
そして、二つ別の民族が、イエシュアにあり、1つになるという
課題があったのです。
どういうことかというと、ユダヤ人は、もともと契約=トラーを代々生きている生活があり、生きる上でのあらゆる側面を管理する、
ユダヤ人の伝統の教え〜人が作った規則や規制もあったのです。
神の教えの周りに柵が建ててられている、伝統の教えがある背景で
生まれて、生活してきました。

何かというと、捕囚から帰った後、神の教え、契約に違反して、イスラエルの国から神により追放されないために、厳重に人が決めた教えで、神の教えに囲いを更に作ってていたのです。それが、伝統の教え、戒めの律法人の言い伝えなどと、福音書以降で言われている、

口伝律法、口頭トラー=モーセの五書ではない、人間が編み出した神の教えをどう生きるかの、様々に複雑なルールがあったのです。

 

一方、1章でも記されている通り、21−32節を読めば分かる通り、

使徒15章に記されたエルサレムに居た異邦人イエシュア信者同様、神を信じながら、神の性質に反する生き方、考えられる限りの不品行、LGBTQまでやっていた異邦人のことが書いてあります。

異邦人は、自分のしたいことをし、自分の好きなものを崇拝し、

神の教えを区別できず、自分の好きなもの〜神の禁じるものを食べ、自分の好きなように生きてきたという背景を持っているのです。

詰まり、異邦人は異教徒の生き方、おぞましい生き方が普通の背景、

その人たちと、神の教えに生きてきたユダヤ人という、これら 2 つのグループが一緒に押しつけられ、どちらのグループも自分たちが他方よりも優れていると考える、論争があったのです。

 

パウロの手紙は、彼らが信仰共同体で仲良くやっていくのを助けるために書かれているのです。

ローマの信心深いユダヤ人と、神の教えを知らない異邦人の間の分裂を理解することは、このパウロの手紙全体を理解する上で重要な役割を果たすでしょう。

まさにこのことが、パウロのローマ人への手紙の核心だからです。

各グループは、自分たちの行いに基づいて、自分たちが唯一正しい

正義であると考えていました。

この背景を念頭に置いて、パウロの手紙を読み続けて下さい。

そして、パウロは、パウロが証言している通り、100%モーセの

五書=トラー=婚姻契約に記された神の教えは支持し、教え、生きている!この事実を、人の思想=人造宗教神学の教えで、塗り替えて

パウロがモーセの五書に違反している、違う新しい教えを唱えているなどという、人の創作の教えは全部捨てて下さい。

それらは、聖書ではなく、ローマ帝国、皇帝、西洋教父の教え、

そして、ダービーのような思想を持つ人の、反トラー思想であり、

聖書、神の言葉に真っ向から違反、敵対する思想であることを

聖書から知って読み続けて下さい。

 

ローマ2:13 なぜなら、トラーを聞く者が、神の前に義なるものではなく、トラーを行う者が、義とされるからである。

<パウロははっきり言っているでしょう。聞くだけの者、トラーを
持っていながら、神の教えを生きない人〜死んだ信仰です。
イエシュアの贖いの血を受けて新しくされた人は、イエシュアの性質通りのトラーに記された人間の生き方をする!その人たちが、義と
されたことを、行動、生き様で信仰の事実を証明する人であると
言っているのです。>
 

 2:14 すなわち、トラーを持たない異邦人が、自然のままで、トラーの命じる事を行うなら、たといトラーを持たなくても、彼らにとっては自分自身がトラーなのである。

2:15 彼らトラーの要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。

<人は、神の似姿そっくり〜イエシュアの性質通りに造られているのです。神が造られた通りの人の性質を生きる。だから、たとえトラーを知らない人でも、腹に書かれたDNA、人の性質に刻まれた人間本来の生き方、それを、意識、良心、本能と言っていますが、人として、

生きる性質は、DNAに刻まれているのです。

だから、誰でも、子供でも悪いことをする、嘘をつく、騙す、人を傷つける無視する、本来の人間とは違う行動をする時、考える時、罪悪感を持ち、嫌悪感を持つのです。それは本来の人間の性質ではないから、罪の性質にひっぱられて行動したら、後で後悔する、悲しくなる

でしょう。もし罪の性質そのものが本来の人ならば、性質通りに行動したら、自分の行動に対するズレの認識、後悔や、悲しみなど感じるわけがないからです。神を知らない人でも、よっぽど神を知る人より、トラー、本来の性質を生きている人がいるのです。>

 

 2:16 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、

明らかにされるであろう。

<何でもやってもよい、今は何でも自由〜免罪符持っているから何でも許されるし天国にも行けるしねという、ズレた意識を多くのクリスチャンは持っています。これが、ここに書かれた選民意識を持つ、

自動的に何でもOKと考えていたユダヤ人への警告をパウロがしているのです。>

2:17 もしあなたが、自らユダヤ人と称し、トラーに安んじ、神を誇とし、

 2:18 御旨を知り、トラーに教えられて、なすべきことをわきまえて

おり、

2:19 さらに、知識と真理とがトラーの中に形をとっているとして、

自ら盲人の手引き、やみにおる者の光、愚かな者の導き手、幼な子の教師をもって任じているのなら、

2:21 なぜ、人を教えて自分を教えないのか。

盗むなと人に説いて、自らは盗むのか。

 2:22 姦淫するなと言って、自らは姦淫するのか。

偶像を忌みきらいながら、自らは宮の物をかすめるのか。

2:23 トラーを誇としながら、自らはトラーに違反して、神を侮っているのか。

<この群れのユダヤ人は、神の教え=トラーを知りながら、実際には

トラーを実践しない生き方にずれている!とパウロが警告しているのです。口先だけの生き方。これは、イエシュアが警告していた

当時のある一部のユダヤ人同じ思考回路、生き様です。>

 

マルコ 7:6 イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、『この民は、

口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。

7:7 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。

7:8 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。

7:9 また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。

<自分たちの教え=人間が編み出した教え口伝律法、口頭トラーに

固執して、神の教え=トラーを捨てているとあります。

これクリスチャンもしているでしょう。神の教えや神の記念日を捨てて、人間ローマが作った宗教の教え、モーセの五書を捨てよ!終了!

神の記念日を捨てよ!そして、人間が作った教え〜神の言葉を自由に選んで生きる、神の創造された記念日を捨てて、ローマ帝国皇帝が

作った記念日に乗り換えて、祝っている。同じことをしているのです。神は、今は何でもいつでも良い。それぞれが考えることをしなさい気持ちが大事!などパウロに言わせてなどいません!

何でも良い、後から変わる教えなら、死に匹敵するという厳重警告をするなど、おろかしい神がすることなのです。>

 

続く