異教の神々に仕える人たちの慣わしに魅了されたクリスチャン達 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

まず、異教徒とはどういう意味でしょうか? この包括的な用語は、

聖書には、カナン人、モアブ人、ヘテ人など、イスラエルの神とは

別の神々を拝む人を指して、異教徒と呼んでいます。

 

欧米では、ローマ人からスカンジナビアのノルウェー人まで、

あらゆる人々を包含します。紀元初期に西洋人が作った西洋主教、

カトリック.キリスト教がヨーロッパ中に広まると、カトリック修道士の宣教師達は、様々な宗教体系や信仰を持つさまざまなグループの人々に出会いました。

 

これらすべての人々と宗教は、「異教徒」という包括的な用語にまとめられました。

キリスト教徒はヨーロッパ中にキリスト教を広めることを目指して

いましたが、それでも異教徒の祭りの習慣ややり方に、非常にクリスチャン、カトリック信者は大変魅了されてしまいました。

これらの習慣の多くは、古代ローマの冬至のお祝いや、その他の異教の儀式など、キリスト教以前の伝統に根ざしています。

たとえば、ドルイド教やケルトの伝統は、初期のキリスト教徒が取り入れた異教の神々を礼拝する習慣の一部でした。

キリスト教徒は、キリスト教のお祝いの一部として、それらの異教徒の信仰や伝統のいくつかを取り入れるほど魅了され、最終的には、

それらが、様々なクリスマスの伝統に発展しました。

 

読み進めていくと、クリスマスはローマ人、ケルト人、北欧人、

ドルイド教など(すべて異教)の伝統に触発されていることが分かります。当時、これらの様々な異教徒のグループは、クリスマスの時期に丁度あった「 1 つの大きな祝祭、冬至」を共有していました。

北半球に住む人々は、12 月の真ん中に冬至(または 1 年で最も日が

短い日)を祝います。その為、クリスマスは、既存の多くの異教の

祝日と丁度同じ時期に当たるのです。

 

冬至は異教徒の生活の大きな部分を占めていました。彼らは主に農耕民族であったため、冬は 1 年の収穫の終わりであり、愛する人たちと一緒に過ごし、畑仕事から休む機会でした。異教徒は冬の間、農業をやめ、代わりにさまざまな神々を崇拝し、周囲の人々と祝うことに

専念することができました。

 

ローマのサトゥルナリア祭やゲルマンのユール祭などの冬至の祝祭は、希望と再生の象徴でした。彼らは、宴会、贈り物、そして日が

長くなることを喜ぶ、様々な儀式などの習慣を取り入れました。

北半球の冬は暗く、寒く、空腹になりがちなので、冬至は太陽が再び昇るまで人々を楽しませ、楽しませるために祝われました。

 

<人気のクリスマスの伝統>

背景を理解した上で、クリスマスと関連づけられるようになった

ユールやサトゥルナリア祭などの異教の伝統をいくつか調べてみましょう。

 

1. 贈り物とサトゥルナリア祭

 

12 月は冬至を祝う時期であるだけでなく、17 日から 24 日の間に

ローマ人はサトゥルナリア祭も祝いました。これは、農業の神サトゥルヌスを称える異教の祭日でした。古代ローマでは、ローマ人は

サトゥルナリア祭の 1 週間を、今日のクリスマス休暇のように、

ごちそうを食べ、お酒を飲み、贈り物を交換し、喜びに浸るという

過ごし方をしていました。

 

<クリスマスツリーの下に置かれたクリスマスプレゼント>

 

クリスマスイブは、イタリアの七魚祭 (シーフード料理が特徴) や

メキシコのラス ポサダス (独特の料理の伝統を通して家族やコミュニティーを重視) など、世界各地で文化的に重要な意味を持っています。

 

今日では、クリスマスプレゼントに大金を費やしますが、当時の

ローマ人は幸運を祈って小さな贈り物を交換していました。贈り物をすることで、翌年の豊作を願うという考えでした。もう一つの祭りであるユールも、これらの贈り物の伝統に影響を与え、繁栄を祈願する贈り物の交換を強調しました。

 

ローマ人は、贈り物の膨大なリストを用意するのではなく、1 つの

贈り物を 1 人の相手にだけ贈りました。いつの間にか、幸運と繁栄を祈願する贈り物が数百万ドル規模のビジネスになりました。

面白いと思いませんか?全部商売、金儲けのマーケテイング。

 

2. サンタのイメージとクリスマスの靴下

 

赤い毛皮に身を包み、大きな白いひげを生やした現代のサンタクロースのイメージは、1930 年代にコカコーラによって大部分が作り出されました。しかし、老人が子供たちにプレゼントをあげるという考えは、それよりずっと古く、異教徒の時代にまで遡ります。

 

サンタクロース、又は聖ニコラスは、子供たち、貧しい人々、売春婦の守護聖人でした。西暦 4 世紀頃に生きていた聖ニコラスは、貧しい人々にプレゼントをあげることで知られる寛大な司教で、大きなひげと長いマントを身にまとい、私たちがよく知っていて愛している

サンタクロースとよく似ています。

 

しかし、聖ニコラスより前にも、オーディンと呼ばれるひげを生やした老人がいました。この神は、古代ゲルマン異教徒の部族によって

崇拝され、伝統的に長い白いひげと、8本足の馬スレイプニルに乗って空を飛ぶ(サンタのトナカイのように)老人として描かれました。

 

冬の間、子供たちはブーツにニンジンと麦わらを詰めて煙突のそばに置き、スレイプニルに食べさせます。オーディンが飛んできて、

子供たちにブーツの中に小さなプレゼントを入れてご褒美を与えます。

この裏には、もっと恐ろしい話があるのですが、酷すぎるので、割愛します。「今年一年いい子にしてた?」というセリフがあるでしょう。悪い子にはプレゼントはあげませんが、良い子には、又プレゼントをあげますというセリフがあります。オーデインは悪魔です。

子供達を生贄にして、食べるのです。

赤いクリスマスブーツ、これは、今日のクリスマスの靴下と同じです。

<暖炉に掛かっているクリスマスの靴下>

今日私たちが想像するサンタクロースは、寛大な聖ニコラウス、

神オーディンとスレイプニル、そしてコカコーラの象徴的な赤い服を着たキャラクターが混ざり合ったものです。ユールとサトゥルナリアの伝統も、現代のサンタクロースのイメージとクリスマスの靴下の伝統に影響を与えました。元の話が色々付け加えられ、変えられていく

イメージやシンボルなのです。

 

3. クリスマスキャロル

 

クリスマスキャロルはキリスト教の信条です。クリスマスに歌う

キャロルは紛れもなくキリスト教的ですが、近所の家を訪ねて歌う

伝統は、ワッセリングと呼ばれる別の異教の伝統に由来しています。

 

クリスマスキャロルを歌う人々のグループ

このかなり面白い言葉は、アングロサクソン語の「waes hael」というフレーズから来ており、「健康」と訳されます。毎年、ワッセリングをする人たちは小さなグループで村を歩き回り、大声で歌って悪霊を追い払い、周囲の人々の健康を祈りました。

 

ワッセリングのグループは、伝統的な飲み物を手元に置いていなければ完成しません。この飲み物は、ホットエール、凝乳、ロースト

アップル、卵、スパイス、砂糖で作られています。13世紀の聖フランチェスコは、ワッセリングをする人たちからインスピレーションを

得て、クリスマスの伝統である家々を訪ねてキャロルを歌うことを

始めました。共同で歌い祝うという根深い慣習を持つもう一つのお祭りであるユールも、お祭りの歌の伝統に影響を与えました。

 

これで思い出すのは、ドイツのワイン、甘くて温めて飲むものなのですが、クリスマスに飲んだのを覚えています。

ドイツの街では、クリスマスマーケットが開かれて、そこでもこの

ワインが売られています。

 

4. ヤドリギの下でキス

 

ヤドリギとキスの関連性について考えたことはありますか? ヒイラギとヤドリギの意味 ヒイラギ ヒイラギとヤドリギは異教徒にとって神聖な植物でした。

面白いことに、この伝統は異教徒にまで遡ります。ローマ人やケルト人からドルイド僧やノルウェー人まで、誰もがヤドリギについて知っていました。ヤドリギは非常に神聖な植物と考えられており、いくつかの異教の儀式に関係していました。

 

ローマ世界では、ヤドリギはサトゥルヌス神を称えるものでした。

彼を幸せにするために、彼らはヤドリギの小枝の下で豊穣の儀式を行っていました。そう、まさにそのように聞こえます! ヤドリギに関しては、私たちはそれを控えめにして、単純なキスだけにしました。

家族はいつもそばにいるため、おそらく良いアイデアでしょう。

ヤドリギとは、寄生虫と同じで、地面ではなく木の上に降りて、

そこに枝をつけるのです。その枝は白い実があり、それが男性の体液と同じであると言われているのです。

この儀式は実は卑猥な意味があるのです。

異教の神々の神殿で、神殿娼婦と交わる〜それが異教徒の多産を

祈る儀式であることを知っていれば、分かります。

太陽神と、多産の女神。だから、聖母と子の偶像があるのです。

どの宗教も。

古代は、出産は命がけ、そして生まれてくる子も長く生きれるのかどうかも分からないのです。だから、多産の女神に儀式を通して

請い願い祈る儀式があるのです。

その宿り木の下に行き、関係を持つことをするという意味の儀式なのです。実に異教徒的です。

聖書にも、木の根本で、不品行が行われていたこと、神が警告して

いることが書かれているでしょう。

それと同じです。このやどり木の下の儀式には、そのような意味が

あるのです。

私達イエシュアに属するものが、宗教の教えで継承されている数々の

教えや、儀式や記念日、シンボルなど、実は異教の神々、異教徒達が

行っていたものを取り入れている!という、ルーツ知らないまま

やっているのです。

イスラエルの神は、異邦人が言うように、なんでもOk、気持ちさえあれば、そんなのは聖書に書いてあるイエシュア=神=聖霊ではないのです。

 

申命記 12:28 あなたはわたしが命じるこれらの事を、ことごとく聞いて守らなければならない。こうしてあなたの神、主が見て良いとし、正しいとされる事を行うならば、あなたにも後の子孫にも、長くさいわいがあるであろう。

12:29 あなたの神、主が、あなたの行って追い払おうとする国々の民を、あなたの前から断ち滅ぼされ、あなたがついにその国々を獲て、その地に住むようになる時、

12:30 あなたはみずから慎み、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らにならって、わなにかかってはならない。また彼らの神々を尋ね求めて、『これらの国々の民はどのようにその神々に仕えたのか、

わたしもそのようにしよう』と言ってはならない。

 12:31 あなたの神、主に対しては、そのようにしてはならない。

彼らは主の憎まれるもろもろの忌むべき事を、その神々にむかって

行い、むすこ、娘をさえ火に焼いて、神々にささげたからである。

12:32 あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って行わなければならない。これにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。

 

続く