聖書に書かれたことを聖書が伝える通りに生きる それがイエシュアが教えらえた道 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書に書いてある通り〜神が言う通りに、聖書に記された通り

神が人に伝えて命じて伝えている通りを生きる!

これが全てです。人は神に創造され、神が全てを創造したからです。

神がデザイナーであり、創造主であるから、神だけが、人はどう生きるように神が造られているのかを伝えられる、教えられる、唯一の

お方だからです。

 

この原則を大幅にはずしてしまったのが、人間の作り出した教え〜

宗教の教えとその実践です。

 

クリスチャンの中では、聖書とは異なる異邦人が神の言葉に付け足し、差し引きして作った宗教の教え、人が作った宗教の産物の

記念日、それが伝統で継承、実践されている、しかも、宗教の教えには、異教の神々の礼拝〜高きところの礼拝、教えが、混ぜられています。

 

よく考えてみてください。プロテスタントの前身はローマ教であり

カトリックでしょう?カトリックやプロテスタントは聖書に書いてない。それが出現したのは、昇天以降、プロテスタントに至っては、

16世紀です。どちらも同じ思想を土台としている〜モーセの五書

終わりありきを土台とし、そしてちょっとある箇所を変えただけで、

礼拝も祭りも聖書とは違う、宗教が決めた同じ日。

一方、イエシュアや弟子たち、聖書に登場した人はモーセの五書を

変わらずに生きて、そしてレビ記23章を祝っていた事実にはっきり目を、意識を向けてください。

どうしてクリスチャンは、1世紀の人々の信仰〜モーセの五書を尊重し、学び、生きて

祝ったものとは、似ても似つかない、西洋宗教の実践、聖書に登場する人誰も知らない思想〜神の言葉は廃れた、終了、破棄、無用と

言う思想を信じて生きていると思いますか?

聖書に、神の言葉は廃れ、食規定は破棄され、割礼も禁じられ、

神の記念日も廃れて、今はいつでも礼拝日と書いてあると、完全に

聖書、得にパウロの書簡に書かれたことを、勘違いした読み込みをして、そんな解説だけを聞いているから、神の言葉が変化したという

嘘を信じ込んで、神の永遠普遍の言葉は変化しないという神の言葉が

聞こえなくなっている状態なのです。

神が神の言葉が廃れたと言った?そんなこと、聖書に書いてなどありません!!!!

異邦人とイスラエルは別の群れとデイスペンセーション神学は唱え、イエシュアが隔ての壁〜異邦人とイスラエルの間にずっとあった民族的な敵対心、先祖の伝統の教え、言い伝え、人の作った戒めの律法でユダヤ人は、異邦人を汚れた野生動物、豚、犬と呼び、隔ての壁が

あり関わり、交わり、関係をもたなかった、その壁をイエシュアが

壊しに来たとパウロも説明しているのに、エペソ2章、どうして、

その聖書の記述とは違うような思想〜デイスペンセーション思想、

聖書、神の言葉とは反する教えを信じているのか?

正しく聖書を教えられ、理解していない。人の思想で塗り替えられた

神の言葉を曲げる解説、思想、教えだけをされてしまっているからです。

それは、全て1世紀後半以降、ハヌカの事件の裏にあった、ギリシャ帝国がイスラエルをヘレニズム化しようと、エルサレムの神殿を

乗っ取り、ゼウスの神を神殿に建て、そして神の祭壇を豚を屠り

その血と肉汁で汚したことと同じです。ギリシャ帝国が、反キリスト

神に敵対し、そして、ユダヤ人までをも、ヘレニズム化し、ゼウスの神、異教神の教えに同化させることをしたからです。

モーセの五書の教えを生きること、祭り、シャバットを祝うこと、

割礼をすること、禁じたのです。

イスラエル全体、どの町でもイスラエルをゼウス神に伏ませ、豚の肉を食べさせた、それをしない人は、皆処刑されたのです。

だから、命乞いをするために、同調したユダヤ人もいるのです。

神が人間の食べ物ではないと教えているその教えを、神の教えを知らない普通の異邦人は、当然知りません。そして、クリスチャンも、

人の思想で塗り替えられた教えを聞いているので、都合の悪いその

部分は、今は終わり、なんでも祈って感謝すれば清められて、今は

なんでも食べれる時代さと、聖書に書いてある意味を、完全に誤解して、なんでも食べるのが美徳、神の恵みを受けることと、本当に神の言葉を知らない異教徒思想を教えられているのに、気がつけないのです。聖別は、神のモアデイム、食べ物を通して教えられていることに

聖書から気がつけないのです。

その豚やけがれた動物を食べることは、異邦人にはピンと来ない

普通に今も食べるものですから、感覚的に理解できないのです。

でも、神の教えを知るユダヤ人、契約の民として選ばれた人には、

屈辱、侮辱、神への冒涜であることをはっきりと理解しています。

でも、それでも、命ごいをするために、ゼウスの神像に拝む人もいた、豚を食べる人もいた、抵抗する人もいた、様々です。

抵抗した人は全て処刑されました。

日本語訳で、新共同訳の聖書の最後にマカバイ記1巻2巻が付いているものがあるそうです。又は単独で売っているのかもしれませんが、

4巻ある中の、最初の1、2巻に正確な記録が記されているそうですので、ぜひ読んで見てください。

反キリストの行うことには、共通点があります。神の言葉に敵対するように人に強要すること。神の言葉=トラーを生きることを禁じること。これが、マカバイ戦争の裏にあったギリシャ帝国のヘレニズム化

イスラエルを彼らの思想、宗教、神々の教えに同化させることであり、それに抵抗する人たちを、皆処刑したのです。

1世紀のローマ帝国の迫害も全く同じです!だから、異邦人イエシュア信者は、紀元前160年代のギリシャ帝国の迫害と同じく、

ローマ帝国の勅令、カトリックの勅令に同調し、神の言葉=トラー

はじめの愛から離れた!忘れて、西洋宗教の教えの路線へ、

完全移行し、ユダヤ人の群れとは完全決裂して今に至っているのです。

今の世界も着々とそのようになっているでしょう。全て神の創造の

デザインに反する生き方を人にさせること、善を悪、悪を善と言わせて、それに反対する人を、罰していく世界です。

そして、勅令、命令、法律で人の権利と自由を奪う統一された政府の

下に管理しようとしていること。

 

神の伝えた真理を変えることは、罪に扉を開く最初です。

人を神の言葉、教えではなく、別の教え、誤りの教えへ導きます。

だから、異邦人が作った宗教文化が編み出した教えが、聖書=神の教えであると誤解しているのです。聖書に記されてもいないことを

聖書=神の教え、言葉と信じているのが、その誤りです。

 

日曜礼拝=主日礼拝、主の日、聖日と呼び、疑いなくそれが昇天以降のイエシュアを信じる人の礼拝の日〜神が呼び出している日と信じているでしょう?

そして、クリスマスやイースターが、昇天以降の神が呼び出している祭り、記念日であると同じように、それらが神の教え、仰せであるとクリスチャンは信じています。

神の言葉や教えは廃れたので、同じように古い神の創造された記念日も廃れたから、今は祝わない、又は記念日はいつでも良い、その人が決めて確信した日に勝手に祝うのを神が受け取り喜ぶと信じているのでしょう?

でも、それは全て神の言葉、教えの真逆であり、神は今も神の創造されたモアデイム〜呼出日=アポイントメントの日、祭りの日を変えてなどいません!永遠に祝われるから、イエシュアが再臨したら、

全世界が最初に一緒に祝うのは、仮庵の祭りと預言されているでしょう。

神は、人の生きることの全て、そして神との関わり、近づき方を

はっきり教えています。そして、どのような事をして、神に近づくことをしてはいけないかも、教えています。

異教の神々を拝む人のやり方に、習ってやってはならない!

人間がそれを、勝手に自分流に、神の伝える神との関わり方、近づき方を変えた、それが人間が作った宗教の教えとその実践です。

神の伝えることではなく、神が重要と考えていることではなく、

全て人間の考えが中心。

人がどうやって神に近づきたいのか、その方法を人間が勝手に決めて人間が編み出したやり方で、考えで、神を定義し、神への近づきかたも人間が決めて、人間のやり方で神を礼拝する。

この警告がずっと記されています。

でも、それは人間が人間のためにやっているだけであり、人間中心であり、神は神が伝える通りにして!と言われ、神が中心なのに、人間が勝手に色々ってしまっているのです。神はそっちのけ!自分の手で

作った金の子牛を通して、イスラエルの神を拝んでいる。

人ではなくて、神がどう考えているか、神に取って何が重要なのか

人に取り何が重要なのかを、神が伝えている通りに生きて、実践することが、神に創造された人間の本来の生き方、本来の性質の全てで

あり、人間に取って、人間の考えで、自分には何が大事なのかが、

問題、中心ではないのです。

これが本当に分かれば、神の伝えていることが、全てであり、真実であり、本来の生き方であり、神に造られた人は、神が伝える通り〜

神が創造されたデザイン通りを生きるのが、最善と理解できます。

 

よくよく考えてみてください。聖書に書いてある全ては、私達が

生きる上で必要な全てです。エデンの園の警告は嘘に騙される事。

神が言ったことをなし崩しにし、うまい具合に騙した蛇の声。

「神は本当にそう言ったの?もしかして、そう言う意味じゃないよ。

食べても死なない!」そうですね。すぐには死にませんでした。

半分嘘、半分本当。「これを食べたら神のようになってしまうから、

食べるなと言ったんだよ。」そう言われたらどうですか?

「ええ〜神は秘密を隠してたのか。そうか。これを食べたら、神の

ようになるのか〜!じゃ、今の自分には、足りてない何かがあったということか!」

納得いきますよね。でも、神は人を、神の性質そっくりに造られたと

言われました。イエシュアの性質通りに造られた。

欠けのない完全な状態だった。神の言った通りをガードして生きていれば、それで完全何も欠けがない。人のために造られた環境にも、

何も欠けがない状態であったのに、バカですよね〜騙されたんですよ。いや、自分も同じ事繰り返しやっています。

どうやって?神の言われた事を疑う事!神の言ったことを曲げる、

神に敵対するものが、どうしてか、エデン=喜びの園の中にちゃっかり忍び込んでいました。

人の頭脳に、思想に、蛇はコンスタントに嘘を放り込み続けて、

囁いていること、気がついていますか?

それは、人に神の言われる事とは違うことを、囁き続ける、

それは自分自身の思考回路〜嘘に騙されて肉の目からしか見えない

自分の思考回路で自分に神の言葉を疑う事を言い続けていること。

もうダメかも〜ろくなことしかない。これらからも、大して良いこともないだろう、お先真っ暗。神を信じてて、何になるの?

神を知らない人は、直に肉の目からだけ見ているから、だから、

こんなに、絶望があり自殺者が日本にもいるのでしょう。

神の声が聞こえない状態で、困難な現状になると、蛇は大声で語り

かけてきますから、希望などゼロになるからです。エデンの園から、

外側へ意識が飛び出してしまう、嘘を語り続けるのです。

 

エデンの園を飛び出し、神の内側の外側に出たアダムとハヴァ。

その息子らの、カインとアベルの記録。エデンの園を飛び出た人類の最初の罪は、兄弟間殺人。家族の崩壊と、殺人という一番重い罪。

その罪は、妬み〜罪〜ズレ、エデンにはなかった事を学習してしまった事から来たものです。

何の説明もなく、カインとアベルは神にコルバンを捧げていることが

記されています。

そして、カインの捧げたコルバンを神が拒否し、アベルのコルバンを

神が受け取った理由は何でしょう?

よく気をつけて読んで下さい。福音は最初から、エデンの中から、

永遠の中から同じである事実に立って読んで下さい。

神の家〜天の家を地上で反映した、ミシュカン〜移動式神殿、

そしてエルサレムの固定式神殿。その中に日々朝夕捧げられたコルバン〜全焼の生贄と訳されているオラー(立ち上る火、煙が見えるから)のコルバンは、子羊でした。

アベルは羊飼いです。羊の群れをガードしていたのです。

繋がるでしょう。そして、神の前に捧げたのは、子羊のコルバンで

あり、脂肪、アベルはコルバンを神が言う通りに捧げたのです。

そして、一方カインは、穀物を持ってきて、それを受け入れられなかったのです。

 

創世記4:7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。

 

ここで、正しい事と書いてありますが、これは良いという言葉と同じです。神の意図通りであると言う意味です。神の言う通りではない事をしたカインは、神が伝えた通りのコルバンを捧げなかった。

人間が編み出した宗教の教えと同じ問題が、記されているのです。

人は神の言われた事ではないやり方、自分の考えで神に近づく事を

する〜それを、神は受け取らないと書いてあるのです。

 

金の子牛の過ちも、同じであり、ヤラべアムの罪と神が伝えているのも、同じ罪を指して話しているのです。

人は、神のデザイン通りに生きるのが、本来の生き方、人として神の

創造された通りに機能できて、生きられるのに、人は最初から、神の言われた通りとは違う事をする!これが、問題の根であり、諸悪の

根源であり、人を破壊するものである事を、神が教えているのに、

人間はそれを聞こうとしないのです。

 

続く