神の言葉と人の考えついた思想神学とは異なる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

異邦人の世界の主流の聖書解説は、この人間思想=ダービーが考えた思想=その思想は1世紀後半から出現した異邦人西洋教父の反モーセの五書、反ユダヤ思想に根付いているものなのです。

 

だから、一般に聞く教え、聖書は創世記〜マラキと、マタイ〜

黙示録と聖書を2つに分断させて、2つ別物の種類の教えであるが如くに解説し、旧約新訳聖書と言うその思想を刷り込み続けられてしまうタイトルページまで入れています。そして、人格が違う2つの神、聖書には2種類の教え神の言葉と、神の言葉を終了させた新しい教えがあると思い込まされているのです。

恵と律法、怒りの神=怒りの時代vs恵の神=恵の時代などと

対比させて、解説しているのを聞くでしょう?それは聖書ではなく人の思想です!律法時代と、聖霊=恵の時代、こんな思想は

聖書には記されてなどいないのに、教師達はダービー思想を学んだ人達に教えられて、それが聖書だと思い込んで他の人にも人間思想を通して聖書を解説しているのです。

その時代ももう終わりが来る事でしょう。人は神の言葉に反逆する行為を許されていないからです。神は神が伝える永遠普遍の神の言葉の真実に人を目覚めさせているからです。

 

1  デイスペンセーション神学では、恵はキリストの死とそして復活と共に始まったと教えます。その聖書箇所の引用がローマ章からされています。

下にダービー思想が記された聖書と言う名の本当はデイスペンセーション神学思想注解書の一ページを画像で載せています。

そのピンクの枠の中に書かれた、ダービー思想を今書いているので、英語で読める方は読んで見て下さい。

ダービーが2000年以降に初めて、恵の時代が開始したと言う

根拠とする箇所、ローマ3:24-25,4:24-25と書いていますが、

それ以前に前の記事で書いた通り、私達人間は、この今地上に

居て、時間と空間の制限があります。

一方、創造主である神は、時間も空間も何の制限もない、永遠の

中に存在していると、神は何をするのも自由自在、神の思う通りに行動する!と言う摩訶不思議理解不可能な次元におられるのです。

そして、これをずっと考えて下さい。神は永遠から永遠に同じ。

ダービーの思想=異邦人教父達が考えている様に、変身する神

ではありません!そんな事聖書に書いてないでしょう???

聖書には、神は永遠から永遠に同じ、最初から、憐れみ深く、

赦しに富、恵豊かで、永遠に変わらない神!神の言葉も永遠に変わらない!と書いてあるでしょう?どうして、その事実を人間である人々、クリスチャンが曲げて解説しているのか、真面目に

考えた方が良いのです。聖書の記述とは違う思想を人が語っている!と言う事に先ず気が付いて下さい。

マルコ7やマタイ5、使徒10、使徒25、ローマ8、10:4

14章、1コリント16:1-2など、神の教えが変わったとする根拠としてクリスチャンが取り上げて解説している箇所は全て、神の言葉が変わった事など1つも書かれていません!その様に誤解

パウロの1000%生涯、モーセの五書に忠実に生きた証明を

使徒21:21でしているのに、その箇所などは丸無視で、

パウロが1000%トラーに忠実に生きて教えている事など

クリスチャンの世界では全く語られないどころか、パウロは

モーセの五書を否定した教えをしているなどと解説しています。

本当に聖書に戻って、正しく読む学ぶ事を教師はしないとならないのです。人に聖書ではない事を解説し続けても気がつかない

偽情報が拡散され続けてしまうのです。が一方で聖書を聖霊が

教える通りに読めば、それらの思想が聖書ではないと気がつけ

ます。

それらの例に挙げられている箇所は全て1000%誤解の読み込みの間違った解説がされている箇所であり、神が神の言葉を否定、削除、終了などしないと言う事が分からない人は、ダービー思想を主張するために勝手に文章を入れたり神の言葉が終了した様な解説をしているだけ、誤りの間違いの解説なのです。全て。

冒頭に書いた様に、異邦人は、2000年前のイエシュアの死と

復活で初めて本物の贖い救いが実現したのだと考えていますが

聖書は最初から、”まだ見ぬ”同じイエシュアの贖い救い=子羊の血=世の罪を取り除く子羊は、永遠の中から既に屠られている事が、モーセの五書に書かれているでしょう。

黙示録13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、

その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。

 And all who dwell upon the earth shall worship him, even those whose names are not written in the BOOK OF LIFE OF THE LAMB SLAIN FROM THE FOUNDATION OF THE WORLD” 
アラム語では、この世の土台が出来る前から屠られた子羊は、
この世の礎が出来る前から、屠られた子羊と書いてあるのです。
私達もこの世の礎が出来る前から、神により選ばれていたと書いてあるでしょう。それと同じです。
エペソ1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
 
ここではっきり気が付いて、識別しなくてはならない事があります。異邦人の世界で語られる聖書解釈は、ヘブライ思想、ヘブライ語、ヘブライ概念ではなく、西洋グレコローマ哲学思想で
歴史線上の時系列で考えるから、ギャップがあるのです。
聖書を読んでも分かる通り、異邦人の概念の様に、起きた出来事
の順番には書かれていません。あちらこちらに飛び、永遠に飛びその様な書き方がされています。
神は永遠の中から語っている!!!と言う事実をはっきり捉えて下さい。時空を超えて、最初から最後が書いてあり、最後に最初の事が書いてあるでしょう。エデンから出てエデンに戻る。
 
事実は、屠られた子羊の贖いの血はこの世の礎が造られる以前
から完結し全ての時代のどの人種にも用意されているのです。
2000年前にイエシュアが実際に地上に来られてから、処刑、復活で初めて贖い、赦しが可能になったと言う思想、思考回路は、聖書とはズレている!とはっきり理解、認識しないとならないのです。
イエシュアが処刑される以前、復活される以前、永遠の中から
同じ贖い=救い=イエシュアがいて、そして福音も1つ、救いの方法も1つしかないのです。
太古の人も、同じ贖い=新しく生まれかわり聖霊を受け取る事実は信仰により受け取れた!今も未来も同じ方法!それ以外にない。道は1つ。イエシュアを通して以外誰も父の元に戻る事は
出来ないと言う意味、ちゃんと考えたら分かります。
もし2000年前まで救い=イエシュアの贖いの血の代価が
ないならば、過去の人は誰一人として神は助け、贖い、救い出さなかったとでも言うのですか?聖書を読めば分かります。これは、いつ人の思想に遮られたら、ただでさえ異邦人には理解するのに難しい聖書の内容が見えなくなります。
同じ、永遠!!!!この2つの事実をはっきり捉えて下さい。
エデンの園で、神がアダムとハワに何をしましたか?彼らがズレた後、動物の毛皮を与えて、彼らの裸を覆ったと書いてあるでしょう。その中に福音、イエシュアの子羊の血の代価が記されている事、異邦人は翻訳聖書で2000年から救が有効と考えているから、読み取れないのです。
毛皮〜神が動物屠られた。彼らの罪を動物の血が流されて、罪が
覆われた事、ちゃんと書かれているでしょう。イエシュアの贖いをちゃんと最初から教えているのです。アダムとハワも同じ福音を神から口頭で聞いていたのです。
しかも、彼ら自身で動物を屠ったのではない、神がそうされた
その意味は、神ご自身が”贖いの血の代価”を既に最初から用意していた事を教えているのです。
モーセの五書、預言書、諸書を読めば、そこの中に登場する人達は皆神と対話し、神と親しい関係、新しくされた人を生きていたことがはっきり記されているのに気が付かないとならないのです。
2000年前に初めて許し、救が可能になったならば、聖書の最初に書いてある記述が丸で辻褄が合わない事になってしまいます。アヴラハムなど、”イエシュアの日を遠い未来に見て喜んだ”とある意味はイエシュアの贖いの血の代価で救だされて神との関係を生きて、未来にそのイエシュアが贖いの血の代価を
地上で表して人々に知らせる日が来る、皆が神の大家族として
生きる日が来る幻を神から見せられたからでしょう。
 
異邦人は時系列上にしか聖書を読んでいないから、大事な記述に丸で気が付かないまま、聖書の事実を通り過ぎて理解しない事が
起きているのです。
もしも、神が過去の人は放置していると言うならば、それは聖書に書かれたイスラエルの神とは全く違う神を想像しているのです。私は過去の人はみんな地獄に落ちたと教えられました。
それってどんな神?を想像しているのですか?聖書に記された
永遠から永遠に憐れみ深く、約束に忠実で、愛、許し、恵に
富むと言われた神とは全く異なる人が考えるイスラエルの神像。
 
神は異邦人、世界の四隅に散った人達にも、アプローチしてくださる方お方である証拠がちゃんと歴史の文献の中にあるのです。
中国語の漢字の中にはトラーのメッセージが入っているのです。これは面白いトピックなのでいつか書きたいと思います。
びっくりするほど詳細に漢字で表されているのです。レビ記の
コルバンの意味も、全部漢字の中に収められているのです。
 
ローマ3:24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・

イエスによるあがないによって義とされるのである。

3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

 

この箇所を取り上げてダービーは2000年以降初めて神が恵の神になり、恵を与えて人を義としたと言うのですが、それは聖書とは真逆の人間思想です。エデンの園から、神は永遠の中に屠られている子羊の血の代価で人を義とされたのです。

読めば分かるでしょう。どうして、アダム、ハワ、カイン、アベルは神と対話しているのですか?どうしてカインとアベルは

神の前に動物、収穫物のコルバンを捧げる事を知っていたのですか?説明がないだけで、同じ神の教えを口頭で神が伝えていたから、彼らは知っていたのです。

どうして、ノアは神の義を生きていたのですか?どうしてノアは

神の教え=トラーを知っていたのですか?神が同じトラーを口頭でエデンの園と同じくノアに教え続けて、ノアと直接対話していたからです。

箱舟に入る時、どうしてノアは、きよい動物ときよくない動物を

知っていたのですか?レビ記11章に書いてある内容を神から

口頭で教えられていたからです。神の教えは同じだからです。

しかも、きよい動物7つがい、完全なる数字7、人が食せて、

祭壇に捧げる事の出来る動物7つがい、きよくない動物2つがいを箱舟に入れたでしょう。神の教えを知っていたからです。

ノアの箱舟なんて知ってる知ってるとスラ〜と読んでも、中身に

深い真実が書かれている事を捉えられないのです。知らない!と

思ってよく考えながら何が書いてあるのか発見しないとなりません。全ての動物が2つがいずつ入ったと思っていませんか?

 

ローマ4:24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、

義と認められるのである。

4:25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。

 

この箇所も同じです。2000年前に初めて人が義とされて

新しく生まれ変わることが始まった〜聖霊時代、恵時代などと解説していますが、それは聖書の神が伝える事実とは真逆です。

神は、永遠の中から同じ救い、贖いを与えて、義とする事を

しているのです。アダムとハワは神の屠られた動物の毛皮で覆われた。義とされる!同じです。神が罪を恥を覆って下さった事実を読み逃しているのです。しかもどの時代の人も聖書を読めば

神の贖い、救い、義とされる事実を生きていることが書いてあるでしょう!?ダビデの詩篇の中での告白は、彼が子羊の血で

贖い出され、新しくされ、神の前に顔を背けないで堂々とすすがれたまっさらにされた状態で再び出る、関係を持つ事が出来る

喜びを書いているでしょう。

彼ら太古の人々の方がよっぽどイエシュアの贖いの血で救い出された現実を深く知っていたのです。目に見えない(私達も同じでしょう。イエシュアに会った人など現代はいない。古代の1世紀でも限られた人しか直接イエシュアと会っていないのです。

私達は影=神の言葉=目に見えない神を、神の言葉を通して

教えられ、伝えられ、DNA、設計図の様に、それを再現すると

神の性質が現れ出る事を教えられているのです。

 

神=言葉と書いてあるでしょう!設計図、楽譜、文字、又は

料理レシピ、人に伝える実態をその通りに再現したら、実態が

現れ出るでしょう。神は言葉で全てを造られた。それが設計図

DNA、よく考えて行くと見えて来ます。

楽譜を渡されて、そこに記された作曲者が書いた音楽をそのまま

楽器で奏でたら、その作曲者の曲が現れ出て、美しい音を奏でてそれを耳で聴く事が出来るしょう!?生き物になる。

分かりますか?洋服を作るのに型紙があり、その通りに布を裁断して縫製したら、デザインナーの意図通りの洋服が物理的に

現れ出るでしょう。神の言葉を破壊するとは、元のオリジナルのデザインが現れ出る生き方が何か分からなくなり、創造主のデザインではない、別物、混ぜ物の生き方、姿を生きると言う変形に

なってしまう事をよく考えてみると良いのです。

 

 

続く