神が伝える永遠の真実を発掘する旅路 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

異邦人クリスチャンの世界に浸透する、神の言葉が変化した、

置換神学やデイスペンセーション神学の根、源となる人間創作の教えは聖書とは異なるものです。それらは1世紀後半から既に

出現し始め、反ユダヤ思想、反モーセの五書思想を持つ異邦人

西洋教父達により、考えられ、創作され、ローマカトリック教の土台となる教理が作られて言ったと言う事実を知らないと思います。

もっと聖書に基づき言及すれば、神の言葉を否定する悪の力は、

エデンの園から健在なのです。それがずっと続いて現在に至るのです。

神の言葉に代わり、異邦人クリスチャンの世界で信じられている教えは、神の言葉は昇天以降徐々に変化し、使徒2章以降さらに変わり、初めて人の内側に聖霊が住まう様になった、聖霊に導かれる恵みの時代に入ったと言うものですが、神の恵み=無償の代価で新しく創造された人の命=イエシュア=聖霊を内側に受けて同じ福音、同じ救いがどの時代のどの人種にも与えられていた事が聖書に記されている事実なのです。

 

永遠の中に存在する神の完了の業である事が聖書の最初から最後まで同じ教えで伝えられているのです。

 

ルターの発言、思想、提案、命令がキリストに反する政治家ヒットラーの様な人に影響を与えた様に、神の教えとは違う教えをクリスチャンの教師やリーダー達が主張し人に教え続ければ、それはルターと同じ様に神の言葉の知識の無い人達の間に定着してしまい、人々を神の教えとは違う方向へ導いて行ってしまうのです。だから神の純粋な人を生かす言葉では無い、宗教臭い人の教えの中に閉じ込められてしまい、本当の自分に出会えない、人の教えに潰されて喜び封鎖されて生きると言う事が起きてしまうのです。

 

使徒15章に出てくる、当時イスラエル、エルサレムに住んでいた異邦人のイエシュアを信じた人達でさえも、神の教え=トラー=聖書を全く知らなかった事が明らかに記されています。異邦人はユダヤ人の様に先祖代々神の言葉に根付いて生きる家庭教育、地域教育が無い環境で育った民族だからです。

 

考えてみれば分かりますが、1世紀後半以降、ローマの政治的

弾圧、迫害、処刑を理由にモーセの五書を生きる事を禁じられて

異邦人は、ローマ帝国の勅令に従って行ったのです。

神殿崩壊までは、ローマ帝国はユダヤ人に対しては、モーセの五書を生きる事に寛容な法律を施していたのですが、それも第一

ユダヤ戦争の後崩れて行ったのです。

 

政治的弾圧理由から、異邦人はユダヤ人と見なされないために、ユダヤ人とは決裂し、ローマ帝国からユダヤ人と同じことをしてるからユダヤ人である、だから処刑すると言う、それらの刑罰を免れるために徐々にユダヤ人と神の教え=トラーを生きると言う事をやめ、神の言葉から距離を置いて行ったのです。

 

始めはその様な政治的理由で始まり、下地にあった異邦人の反

ユダヤ思想が、反モーセの五書思想を生み出し、そしてその聖書とは異なる教えが現在に至るまで異邦人クリスチャンの中に浸透

してしまったのです。

そして、その様な政治的理由プラス、元々異邦人はユダヤ人とは

交流が薄い、異邦人は神の教え=トラーに馴染みがない、そして考えてみれば分かりますが、西洋教父達は完全にヘレニズム思想の異教徒哲学を土台に朝飯前のごとく、いとも簡単に神の言葉を曲げて聖書に記された教えを自分たち流にアレンジし変えて行ったのです。

だから、彼らは神の創作した記念日、シャバットを日曜日に変更することに決め、神の教えに記された異邦人には馴染みのない様々な教えを排除して、自分達に合う新しいアレンジの教えで

別の宗教を作り出して行ったのです。神が神の言葉を昇天以降

人間の自由で選択し、変更して良いなどと言ったからではない

人間が勝手に神の言葉を軽視し、変え続けて行ったのです。

16世紀以降まで、印刷技術はありませんし、書物は全ては手書き、書き写しです。数が極少。一般の人は文字を読む事など出来ません。聖書など普通の人は読めない、聖書の完全版と言うものを個人個人所有もしていないのです。よくよく考えると事情が見えてきます。

 

神の言葉を1世紀後半以降異邦人が変えて行った理由

下矢印

1 元から聖書を知らない異邦人が、パウロの様に聖書=神の言葉を知らない異邦人教父達が、ユダヤ人たちから見聞きしたトラーの教えの片鱗を、反ユダヤ思想、反モーセの五書と言う考えに沿った自分の教えに変形し、新しい教えを編み出してしまった。それらを口頭で一般の異邦人に伝えて行った。

 

2 自分達異邦人流にアレンジした新しい教えは、ローマ帝国=異教徒=地場宗教=太陽神信仰に馴染みがある教えに作り変え、福音を異教徒でも受け入れやすくしようと試みた。

 

3 シャバットを第七日目ではなく、第一日目に変更しようとする動きはすでにこの頃に発生し、それがローマ帝国宗教として

4世紀に正式にシャバット変更が制定され、ローマ政府が、ローマ・カトリック教では、シャバットは日曜日礼拝にすると、

ニカイア会議決議で決めた。

そして、レビ記23章にある神の創造した記念日を異邦人は

祝うのを止めた。神がやめよと言ったのではなく、異邦人が

”神様の言う事を聞きません”と言う人の教えに従って行った。

”神様の言う通り”と言う事を認めなくなって行った。

 

4 一般の異邦人信者達は、個人個人で聖書を読めない、聖書を知らない、手元に聖書を持っていない事実に注目。だから宗教の教師達から何を教えられたとしても、それが聖書=神の言うことであると言われれば、そうかと考えてしまった。その様な負の

スパイラルが最初から存在していた。それが様々な非聖書的宗教の教えを編み出して、西洋宗教の暗黒時代を生み出す土台を作って行った。

 

今でさえ、ネットで、そして手元に誰もが聖書を所有し読むことが出来るのに、神の教えとは違う事を、神の教えを熟知し、知識がなければ、自分で聖書を持っていて翻訳を読めたとしても、

その非聖書的教えに対して反論する事など出来ないのです。

 

5 反モーセの五書、反ユダヤ思想は1世紀後半から出現し、

中世のルターの時代を経ても反ユダヤ、反モーセの五書は

尚いっそう強く健在で、その思想は様々な異邦人学者や教師に

影響を与え続け、受け継がれた。そして19世紀には、

デイスペンセーション神学=時代ごとに変化する神の教え、神の人相と言う思想神学が生まれた。ダービーもマルキオン、イグナチウス、クリソストムの様に神の言葉=トラーを学ぶ必要、生きる必要など無いと言う教えを人に広めた。

 

6 その様な教えが異邦人の世界で浸透し続けて行ったため、

聖書では無い教えが拡散し続け定着し恒久的に反モーセの五書

思想の教えが、異邦人クリスチャンの教えの首位の座を占める

結果になり、その様に、神の教えは終わりありきと言う教えが

される続けて、神が神の言葉を変えたと聖書とは違う教えを

疑いもなく神の教えだと信じ教えられ続けている。

 

7 神の教えを生きる事があたかも恵みを捨てた生き方である

悪い事であると考えてしまうのは、救われた人は、神の言葉=

行いをすることは悪いこと、神の言葉を捨てて、霊に導かれる

生き方を恵みの生き方であると神が教えていると、教師達、信仰の先輩達に教えられるからである。異邦人クリスチャンの間では信じたらユダヤ的な事を全て捨てないとそれは悪い事であると言う教えが定着している。

 

全部人の教えに神の言葉が、覆われてしまった結果です。ルターが言った様に、神の書を言葉を人が泥で覆ってしまった。神の言葉の真実=永遠不変で人が生きる事が出来る様になった=新しく

創造された人は新しい契約=頭脳に神の言葉が記される=聖霊が内側に住まうので神の性質を生きられる罪の支配の下に戻る事をしないと理解出来ると書いてあるのに全く違う教えをされてしまっているのです。

 

神の言葉のどの箇所でも否定する、終了したと言う教えは、イスラエルの神=聖霊から出たものではない!と言う事を聖書から確認、認識する必要があります。神に敵対するものは、サタンです。イエシュアを荒野でサタンが試みられた時、サタンは何をしましたか?

モーセの五書に記された神の言葉をサタンが否定する言葉を発しし、それをイエシュアにする様に促して試みました。

そしてイエシュアはサタンのチャレンジに対して何をしましたか?サタンの試みに全て、モーセの五書から神の言葉で答えている!その事実が見えますか?

 

誰でも知っている箇所ですが、ここで実際の聖書箇所を見てみたいと思います。

 

ルカ4:1 さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、

4:2 荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。

4:3 そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。

4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」<申命記8:3>

4:5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて

4:6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。<サタンはエデンの園のスポークスマンと同じく、嘘を言っています。世界の全ては主が造られ主が所有しているのです。>

4:7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。

4:8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、

ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」<申命記6:13、10:20、詩篇83:18>

4:9 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。

 4:10 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、<詩篇91:11ー12>

4:11 また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。

4:12 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。<申命記6:16>

4:13 悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。

 

イエシュアは悪魔の試みに、全てモーセの五書=申命記の中の父の言葉でサタンを退けています。それならば私達イエシュアに付くものはイエシュアがされた事と同じ様にする、神の言葉を捨てるなどと言う愚かな教えを奨励するのは、サタンの策略である事は、神の言葉から分かるのです。

 

神の言葉は永遠であり、絶対的権威があり、サタンが退くものなのです。そして神の言葉を捨てる時、鎧兜を脱ぎ捨てる危険な行為をしている!と気が付いて下さい。今の世界を見ても分かる通り、神のデザインとは違う事を推奨するのが一般的当然普通の事となって来て、それに異議申し立てする人は人を批判していると言われる世界になってしまったのを、半分眠っていても感じると思います。

なんでも受け入れることが愛と考えたら、自分も、自分の家族

子供達も危険にさらされ汚染される時代になってしまいました。

ローマ帝国が滅びた理由は内部崩壊です。ローマが同性愛に汚染された結果滅びたのです。全く同じ事が今起きています。

世界は神の教え=トラーを捨てて、人を破壊する独自の混ぜ物の悪質な教えに走り法律まで変えようとしているのです。

イスラエルの神に属する者達がどうして神の言葉を否定しながら

地の塩、世の光の役割が出来るのでしょうか?

私たちの生きる基準、指針、闇を照らす光は、イエシュア=神の

言葉なのです。

 

続く