反ユダヤ思想反モーセの五書に暴走したマルチン ルターの大罪  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1世紀後半から、異邦人クリスチャンの世界では、神学的、社会的、歴史的理由から、神の言葉=トラーから離れて行き、そして反ユダヤ思想を持つ教師達に教えられてしまったと言うのが

本当の事実であり、神は何も変えてなどいないのです。

 

重複しますがとてもとても大事な事なのです。神が神の言葉を

変えたと言う異邦人クリスチャンの世界で語られる思想は聖書とは異なる!と言う事が見えない限り、神の言葉=聖霊=イエシュアを知らないままに拒絶している事になるからです。

神の言葉を拒絶、否定、無視、破棄するなどと言う冒涜の教えに

ユダヤ人は(神に属する人は)付いて行ってはならない、なぜ?神がその様に教えているからと言うことに気が付かないとならないのです。

今の私自身が、他のクリスチャンからユダヤ人的な事やるのやめなさい!と言われたら、シャバット、祭りなど祝うな、今は恵みの時代だからなんでも感謝して食べなさい、神の教えなど実践することは律法主義であるからやめなさいと言われたら、ユダヤ人と同じ様にその様な非聖書的、神の言葉とは異なる冒涜教えは

拒絶しないとならない理由を神の言葉に基づき知っています。

 

聖別された人の生き方は神の言葉で伝えられているのです。その詳細はモーセの五書に記されていて、福音書以降には詳しく書かれていません。神の教えは永遠不変であり、神の言葉を破り、神が忌み嫌う、姦淫の罪と言われている汚れた行為、汚れた教え=異教の神々の教えと混ざり合い、神の教えや記念日を捨てることなど、神の教えをはっきり理解し、神の伝える意味真実に目覚めたら二度と嘘の教え=聖書を否定する教えには誰一人戻れなくなるからです。

神が世界を創造されたと言う事実を知った後、あなたは尚も進化論、ビッグバン、偶然の産物として自分は存在すると信じられますか?それと全く同じことなのです。真実が見えたら嘘は消えるからです。光が現れたら闇は消えるからです。

 

だから、その様な神の言葉=聖霊を否定する教えをユダヤ人に

強要すると言う盲目的な異邦人哲学思考回路は、なぜ彼らユダヤ人が異邦人が作った教えに従わないのか理解しないとならないのです。当時はカトリックで偶像満載で、神の教えを捨てて違う教えを作り、神の創造された記念日を祝う事を捨て、宗教が作った人間の発案の記念日を祝い、汚れた食べ物を無差別に取り入れ、その他諸々の神の教えを聞かない、神が禁じている事をし、神が仰せになる事を無視してしない生き方をする人間の宗教を受け入れよと命令する方が無理なのです。パウロがもし同じ様にルターにカトリック西洋宗教に改宗せよ!と言われたとしたら、10000%絶対に拒絶します。なぜ?パウロは死ぬまでヘブライの子、パリサイの子であり、モーセの五書を生きた人で、使徒21章にある様に、完全にモーセの五書に忠実に生きている証拠、証の請願を神殿で公に証明しているからです。パウロがモーセの五書を捨てて別の宗教の教えを受け入らたら、パウロは神の教えを

伝える人とはなりませんし、彼の書簡は聖書ではなくなります。

 

聖書の事実、歴史の事実=神の言葉を曲げた異邦人の歴史の事実だけを考えなくては、真相は見えてきません。

 

異邦人が別の宗教を作り出した1つの大きな原因、理由は、

ローマ帝国からの迫害、弾圧で、モーセの五書を生きる事を禁じられ、異邦人はローマ帝国の勅令に従う路線に乗って行ったと言うものなのです。

その時に、神の言葉を捨てて否定することに関して、どんな理由付けをすれば、自分を納得させられるのでしょう?キリストの

十字架の贖いで罪赦された、その事実だけ残す。それだけ知っていれば後の神の言葉をどうでも良いと言う思考回路があったのです。

しかも、普通の異邦人は聖書を聞いたことも読んだこともない、手元に聖書もない、神の教えを聞いたことが無い人達が聖書とは違う教えを教えられてしまっても、それが聖書では無いと識別する知識が無いのです。元々ユダヤ人の様にタナックに記された教えなども知らないのです。使徒15章に記された異邦人イエシュア信者は神の教えなど知らないので、信じた後も異教の神々の

寺院で汚れた行為を繰り返していた記録がある通りです。

 

西洋人の世界の哲学思想に基づく教師達が考え出した非聖書的

教えが聖書であると疑いなく信じ、鵜呑みにしても仕方がない土台が最初からあったのです。そこにパウロの様な教師がいて、非聖書的教えを正す事をされれば別ですが2世紀以降は異邦人は

ユダヤ人、そしてパウロの様なトラー教師と完全決裂し、自分達の新宗教を作ってしまったのです。神がイエシュア昇天以降

新しい宗教を作ったのではない、異邦人が新宗教を作ったと言う事実をはっきり認識して下さい。だからそれを西洋宗教と呼ぶのです。

異邦人は自分で聖書から確認する術がゼロ!照らし合わせる聖書も知識の土台も無い異邦人の世界。自分の頭で神の言葉の事実に基づき考える機会がゼロ。その結果中世の、み言葉を聞けない

暗黒時代に突入して行ったのです。

 

異邦人達は、反モーセの五書を元に考えられた教えを教えられ

異邦人が創作した新宗教の教えに付いて行き、ユダヤ人と完全決裂をして行ったと言うのが本当の歴史の事実であるのです。

 

一方ユダヤ人達には、イエシュア信者であってもなくても、同じ永遠不変の神の言葉、タナックがあり先祖代々神の言葉を日々聞く、シャバットで聞く、その様な教育システムがあったのです。

イスラエルから追い出されても世界のどこに散っていても今も同じくそれは変わらないのです。

そして、ユダヤ人イエシュア信者達が神殿無き後、神の教えを

ガードして行った形跡があるのです。それは過越の祭の儀式の中にもあって、一般のイエシュア信者ではないユダヤ人も気がつかない事ですが、イエシュア信者ならはっきり分かる!それが残されている、証拠もあるのです。これは過越の祭の時に又解説します。

周りにはパウロの様な偉大なトラー教師が与えられている。

異邦人の神の言葉の教育環境は劣悪であるけれど、契約の民であるユダヤ人とは全く違う、神の言葉をどこでも教えられる環境が整っていたその違いは大きいものです。

 

異邦人プロテスタントの中で大いに崇められヒーローと祀り上げられているルターですが、ユダヤ人の中ではとんでもない存在として写っている人物です。なぜ?反ユダヤ思想、反モーセの五書思想で数多くの書物を書き、実際にユダヤ人に対して様々にルターが彼の著書の中で提案した事をヒットラーが実際に実行して

しまったからです。

1523年にルターが”イエスキリストはユダヤ人として生まれた”と言うエッセイの中で、ユダヤ人に対して寛容であるべき、

そして、カトリックのユダヤ人攻撃に対して反発する内容を

書いています。しかし、ルターの中には元々反ユダヤ思想は深く根付いていて、ただそれを隠していただけであったことは後に

記された数多くの彼の書の中で確認出来ます。

 

ルターが記した内容を書く前に、この事実を知らないとならないと思います。

ユダヤ人、そしてユダヤ人イエシュア信者、又はトラーを生きる

異邦人達には、異邦人クリスチャンの神の言葉を捨て去り拒絶し無視する行為は、ユダヤ人がキリストを受け入れない行為と

同等のものであると考えられるのです。

神=言葉=聖霊=イエシュアだからです。

 

よくよく神の言葉だけに基づき考えてください。福音書以降には

モーセの五書に基づいた教えしか記されていません。預言書

諸書の抜粋も記されていますが、それらは100%モーセの五書の解説なのです。だから聖書の最初の教えが終わると言う神話を

信じたら、福音書以降に語られているイエシュアの教えや、

パウロの書簡の内容を完全に誤解して勝手な読み込みをしているのです。

さて、神の言葉に対して何を神が言ったのでしょうか?

神の言葉から離れると言うことは、神ご自身が伝える実態=キリストの実態=聖霊から遠ざかると言うことであることに気がついていますか?

イエシュアが語った教えは、モーセの五書から語られ解説されている事を当時の人達は理解していたのに、今の時代の異邦人は

トラーを学ばないで人の教えを学ぶのでイエシュアがモーセの五書を否定する教えをしているなどと、とんでもない勘違いをして

聖書を読んでいるのです。

 

申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである。

申命記 6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

 6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、

6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。6:17 あなたがたの神、主があなたがたに命じられた命令と、あかしと、定めとを、努めて守らなければならない。30:14 この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。30:15 見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災をあなたの前に置いた。30:16 すなわちわたしは、きょうあなたにあなたの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は多くなるであろう。またあなたの神、主はあなたが行って取る地であなたを祝福されるであろう。

 

ルターは最初単純にユダヤ人を改宗する対象として見ていたのです。でも彼らユダヤ人が西洋宗教が語る様な、モーセの五書の教えを捨てよなどと言う冒涜的な教えを受け入れるわけがないと言う事をルターには理解出来ない。詰まり、ルターは神の教えを

神が意図する通りには理解していなかった!と言う証拠でもあります。神の言葉を理解する人が、神の言葉を捨てて神の言葉とは異なる人が編み出した宗教の教えを生きよなどと教える訳がないからです。神の言葉を本当に理解しない場合、その様な教えが

真理であると考えて平気で人に伝えてしまうのです。

 

いつ神が神の言葉が終了になり、破棄せよ、生きるな、律法主義的教えに戻るな!などと言いましたか?そんな教えは人の教え

思想です。イエシュアが教えられた父の教え=トラーとは異なる教えです。神の言葉の一点一画でも否定する危険が聖書にはずっと記されているのです。

 

ルターの支持者の中で最大のサポーターであったザクセン選帝侯ヨハネス・フレデリックは、すべてのユダヤ人を彼の有権者から追放することを布告しました。 当時ユダヤ人の代弁者として考えられていたジョセフ ヴォン ロゼンハイムは、ルターに助けを求めるのですが、拒絶されました。この頃既にルターはユダヤ人がなかなか改宗しないのでイライラしていたのです。

ルターよ!神の言葉を捨てて違う宗教に乗り換えよ!などと言う

伝え方は、本物の福音を伝えているのではない!と言いたいです。彼らユダヤ人の方がよっぽど神の言葉を知っているからです。中には、イエシュアを信じるユダヤ人も居たでしょう。

でもルターが考える様な神の言葉を捨てて別の教えを生きろなどと言う人間の教えの方がよっぽど危ない、神の前にしてはならない事であると彼らは知っていたのです。

パウロはイエシュアを信じた後、モーセの五書を捨てて生きたと言う伝説神話を信じるなら見えませんが、聖書を見ればパウロは変わらずに100%モーセの五書を生きて、シャバット、過越

仮庵を祝い、汚れた食べ物なども食べない、西洋宗教が考え出した教えや記念日、日曜礼拝やイースター、クリスマスも祝ってないのです。そう言う事実から考えたら、真実が浮かび上がって

来るのです。

 

続く