反ユダヤ 反モーセの五書思想は異邦人が1世紀後半から作り出したもの | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の言葉に対する最大級の誤解は、神が昇天以降に神の言葉を変えたと主張する、異邦人クリスチャンの世界に定着する思想教えです。

 

この様な思想、神学、教理が生み出されたのは1世紀後半以降!

異邦人=人間の手により編み出された教え!!!それが永遠の

真実なのです。彼らの中に巣食う反ユダヤ思想=反モーセの五書

思想、元々先祖代々異教神に仕える事がDNAに染み付いて育った

人々には、ローマ政府による迫害により、神の言葉を捨てることは簡単な事だったのです。ユダヤ人でさえ様々な同調圧力の中で神の教え=トラーを捨てて行ったのですから、尚更異邦人など

何も下地がない民族は簡単に神の言葉を否定して捨てることなど簡単にするのです。プラス、彼らヘレニズム思想に根付いた新し教えをアレンジすることも朝飯前だったのです。

神の言葉は絶対である!と言う考えが元々無い民族=異邦人

だったからです。

 

反ユダヤ思想、Anti-semitismとは1879年位ドイツのウインヘルム マアによりヨーロッパで反ユダヤキャンペーンが大々的に起こされました。この様な思想は既に1世紀後半からあったものです。

ユダヤ的(トラーに記された生き方)生き方は、歴史の中で

ずっと敵意を持って明らかにされていることなのです。

早い時期から異邦人クリスチャンの中で反ユダヤ思想があった

事実を認める事は難しいかもしれませんが、否めない事実です。

 

反ユダヤ思想に関しては、いくつかの層があるのです。

 

ある部分は神学的、そしてある部分は歴史、社会的要素です。

反ユダヤ思想は、明らかに西洋宗教神学=異邦人の考えに基づく思想であり、神に選ばれた民族が、明らかに神に対する嫌悪を示したと言うのです。”ザカリヤ2:8

”あなたがたにさわる者は、彼の目の玉にさわるのであるから、あなたがたを捕えていった国々の民に、その栄光にしたがって、わたしをつかわされた万軍の主は、こう仰せられる”

彼の民にさわる者とは、目玉をさすほど近くとあると言う意味です。

これは同時に、異邦人の支配者達(エジプトの王、ヘロデなど)の動機として簡単に考えられていますが、異邦人クリスチャン教会が反ユダヤ主義の神学的根拠を見つける必要があったと言う事と関連づける事とはすぐには理解出来ないと思います。

反モーセの五書、反ユダヤ(イエシュアはユダヤ人です)をするには、聖書に反する事をするので、その理由付けを考えないと

ならない、そうしなければ、その行為自体直にイスラエルの神に敵対する行為であることは明らかであるから、認知的不協和を

解消するために、あれこれ独自の理由付けを編み出さないと

ならなかったのです。

 

 歴史と社会的発展の要素融合する中で、異邦人教会は神学的根拠を見つけて、ユダヤ人を激しく非難している自分達の良心を落ち着かせて来たのです。

しかしそれ以上に、イエシュアへの愛とイエシュアの処刑人達=ユダヤ人への憎しみが自然に結びつくという感覚がありました。 初期のギリシャ教会はアイデンティティを求めていました。 

異邦人クリスチャンはユダヤ人国家によって生まれましたが、

彼ら異邦人とユダヤ人の共通点はほとんどありませんでした。

先祖代々、イスラエルの神の教えを知らない異邦人、神の教えに

根付いて生きて来たのではない異邦人達だからです。最初から異邦人には、神のトラー=教えは異物だったからです。

しかも異邦人は神との直結した”代表”イスラエルの様に直接神から語られ契約を受け取った代表の民族ではないからです。

 

このアイデンティティの危機は、オリゲネス (西暦 185 ~ 254 年) などの初期の教会の教父によって解決されました。オリゲネスは、比喩的な解釈学 (解釈の規則) を通じて教会に”置き換え”

の教義を与えました。これが置換神学の元です。

異邦人クリスチャンが、肉的イスラエルと代替えされ、契約を

受け取る代表となったと言う思想ですが、これ変全くもって変な思想です。

大体、異邦人は”契約”=アヴラハムとモーセの契約特にモーセを

通して与えられた契約の中に記された生き方の殆どを拒否しているのに、その様な人達が契約を受け取る代表とはなり得ません。

しかも、この契約実際にシナイ山で受け取った時、イスラエルと少数の異邦人は神の前で、”この契約を生きます!”その内容の全てを理解していないけれど、神がそう言うからそれに聞いて生きると宣言しているのです。

契約を受け取る新しい代表者=異邦人は同時に神の契約を捨て去る様に宣言し、人にそう教える人達?聖書に基づき変だと気がつかないとなりません。しかもモーセの五書を塗り替える新しい教え、約束が付け足され、以前の契約が帳消しになる様な契約は、神は人類の誰にも与えてなどいないしその様な書=別のトラー=聖書はこの世に存在しないのです。有ると言うならぜひその書物を教えてほしいものです。

存在しないのに、新しい契約を受け取ったと言い続けるのは、

裸の王様の洋服と同じ事を主張しているのです。

比喩的なレンズを通して聖書の物語を読むことによって、オリゲネスは神が定期的に年長の息子よりも年下の息子(アブラハム、イサク、ヤコブなど)を選んだことを示すことができました。

長子=イスラエル、年下の息子=異邦人。

 

この様な発想をしています。

”ユダヤ人は霊的、異邦人は実際に物理的肉体的存在であり教会=異邦人が肉的イスラエル国民と入れ替わったのである、そして

ユダヤ人が持っていなかった信仰の心を異邦人教会が得たのである。”

私達は、肉的ユダヤ民族が存在し、内的ユダヤ人と言う民族=

霊、魂=不思議な理由でこれを獲得しているのだ。”

 .

霊的約束は目に見えるサインにより告知され、それらを告知された人達は肉的上のユダヤ人達ではない。

(OrienDPrinciis. P 712  反ニカイア教父達より)

 

一旦異邦人教会がイスラエルと置き換えられ、彼ら異邦人が真の

イスラエルであると主張して、神の救い主を信じない不信仰な

イスラエル国民を神の鞭が懲らしめるのだと言いました。

 

この考えにより、異邦人信者達は、1世紀〜2世紀のイスラエルはイスラエルの不信仰ゆえ神が異邦人と代替えとしたと言う信仰

考えを持ち始めたのです。よくよく考えて事実だけを突き止めれば良いのです。反ユダヤ思想、反モーセの五書思想、神の言葉が廃れた!と言う思想は、人間=異邦人が編み出したものです!

 

3世紀の”三位一体議論”の主な文書を書いたトウトリアンは、

置換神学と同じ思想を強制、執行しています。

異邦人と放蕩息子の対比して、ユダヤ人は父の元に物理的にいたけれど、その心は遠く離れていた、放蕩息子が異邦人クリスチャンである。放蕩息子のたとえ話になぞらえて、神は異邦人を選んだと結論づけています。

「あなたはいつもわたしとともにおられ、わたしのものはすべてあなたのものです」という言葉は、父のユダヤ人に対する言葉ではありません。 ユダヤ人は「背教した息子言われているからです。 . . . (著作、第8章、165ページ[反ニカイア教父]

 

この様な西洋教父達の思想は止まることなく拍車をかけ、雪だるま式にその思想は膨らみ、広がって行ったのです。

 

そして反ユダヤ思想は、ローマ皇帝コンスタンチンが”ユダヤ人の教え”は犯罪であるとしたのです。10月18日 315BC.

そして、ユダヤ人達と交わる人達は、処罰される法が通ったのです。

 

教父グレゴリー(335ー394AD)はユダヤ人に対してこの様に表現、発言しました。

”主の殺害者、預言者の殺人者、神の敵対者、神を憎む者、律法を軽視する者、恵みの敵、父祖の信仰の敵、宗教の擁護者 悪魔、マムシの群れ、中傷者、あざける者、心の闇の中にいる者、パリサイ人のパン種、悪霊の集まり、罪人、邪悪な者、石打ちをする者、義を憎む者。”(Aroon 1991)

 

” 黄金の口”偉大なる説教者として奉り上げられている、ジョン

クリソストム(344ー407)は同様に、反ユダヤ思想で知られる人です。超毒舌。でもこの人は、西洋クリスチャン教理の

最初の創設者でもあるのです。この様な人がどんな事を書いたのでしょう?

”クリスチャンは、すべての人の中で最も惨めなユダヤ人と、どうすればわずかな会話をすることができようか?”(Homily4:1)

 

”彼らは好色で、貪欲で、強欲で、裏切り者。 . . . 根っからの殺人者、破壊者、放蕩と酩酊が彼らに豚と好色なヤギのマナーを与えた悪魔に取り憑かれた男たち。 彼らが知っていることはただ一つ、食道を満足させること、酔うこと、殺し合うこと、お互いを傷つけることだ。 . . . 彼らは不純で不敬虔。” (1:4)

彼らは野獣の獰猛さを凌駕し、子孫を殺し、悪魔に生贄として捧げる。 (1:6). 

”シナゴグは恥辱と、嘲笑の場。”(1:3)

ユダヤ人の魂と同様に、悪魔の住居(1:4, 6);

彼らの礼拝所、犯罪者の集まり、 泥棒の巣窟。 悪魔の洞窟、

破滅の深淵(1:2, 6:6) 

相続人の儀式は犯罪的で不純。 彼らの宗教は病気(3:1). 

 

ユダヤ人はキリストの嫌悪すべき暗殺のために堕落している”

(6:4)<ユダヤ人はキリスト殺しと言ったのはこう言うリーダーを通して拡散されたのです。>

”償いの可能性なし、耽溺なし、許しなし”(6:2). 

”クリスチャンがユダヤ人を憎まなければならない理由: キリストを十分に愛することができない人は、キリストを憎む人々=ユダヤ人と戦うことは決してないだろう。”(7:1). 

それから、彼らの会衆、彼らの家から逃げ出し、そこにある本のためにシナゴーグを崇拝するどころか、同じ理由で憎しみと嫌悪の中にそれを保持する。(1:5). 

”律法と預言者がいるという理由だけでシナゴーグが嫌いだ。 . . . 私はユダヤ人も嫌いだ。 

 ( Gould, Ibid., 24-5) 

 

初期の教会の教父たちと彼らの反ユダヤ主義のこれらのいくつかの例は、初期の教父たちの著作でしばしば繰り返されていることを示しているにすぎません。

確かに、他の人よりも憎しみが強い人もいますが、ユダヤ人、

特にシナゴーグに対する明らかな憎しみは、全体を通して明らかです。

異邦人クリスチャン教会が非常に早くからユダヤ人のルーツ=

イエシュアが教えた父の言葉=モーセの五書、パウロや使徒達

1世紀の信者達、聖書に書いてある教えを失い、『ルーツに対して傲慢になってはならない」という使徒的命令に違反したことは、なんと残念なことでしょう。

分裂とそれに続く憎しみは、異邦人教会とユダヤ人シナゴーグを永遠に分裂させました。

 

 

続く