神の永遠の言葉を改ざんし解説することは神に対する違法行為 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1世紀後半70年AD神殿崩壊後からローマ帝国がユダヤ人に

重税、投獄と言う迫害をした歴史の事実。

 

その理由は、神殿崩壊後ドル箱=打ち出の小槌であった神殿から

吸い上げられていた様々な資金、祭りでの両替料、祭りで神殿に来るユダヤ人男子一人一人から銀で払われるシェケル、神殿に

捧げる動物の売り上げを、ローマ帝国がユダヤ人達を通して

得ていたのにそれが無くなってしまった。

 

それなので神殿崩壊後はユダヤ人達から4000ドル相当の純金で支払うを課税をしたのです。1つ1つ事実だけを見て真実と真実の点と点を繋げば真相を見えるのです。そして、異邦人も

ユダヤ人と同様に同じ生き方=モーセの五書を生きていたら、

同様にユダヤ人と見なされ同じく課税されてしまったのです。

4000ドル相当の純金が収められないのなら、その一家の中の一人を投獄!そして餓死して死ぬのです。

事実上の死刑です。支払うまで牢獄生活。

ユダヤ人は何としてもトラーを死守。でも異邦人は元々神の教え

など知らない、根付かない異教徒なのです。イエシュアを信じる

けれど、トラーを生きてユダヤ人と見なされてはたまらない。

それで異邦人はモーセの五書から離れた生き方をして、

ローマ帝国に自分達はユダヤ人とは違います、トラーを生きてませんと行動で示した、それが異邦人がモーセの五書から決裂して行った大きな原因の1つでもあるのです。

神が神の言葉を破棄した!などと言う聖書に書かれてもいない

教え=異邦人創作の作り話を信じては真実など見えなくなります。

 

事実1世紀当時の異邦人信者は、現代の様な西洋風に作り変えられた教えなど生きていませんでした。

その様な教えが存在していなかったからです。

100%全ての人はモーセの五書に書かれた事を実践し、

生きていたのです。

イエシュア、使徒、パウロ、1世紀当時の信者達、全ての人が

モーセの五書を生きていたのです。

それが福音書〜黙示録にもはっきりと書かれているのです。

 

この事実を塗り替える解説が出現したのが顕著になったのが

このローマ帝国の異邦人への迫害後です。

2世紀のマルキオン、4世紀には”黄金の口”と讃えられた西洋教父

極端な反ユダヤ、反モーセの五書を叩き出した教え。

クリソストム。この説教者のシリーズは最悪の内容です。

反ユダヤ、反モーセの五書、新しい教えが出現したと言う神話を

信じるのはこの様なトラーを知らない反モーセの五書、

聖書に書かれている内容が見えない時の有名な弁の立つ説教者から教えられた人達=異邦人は当時聖書など読まない、手元にない

オリジナルのヘブライの聖書、パウロの様な教師に教えられないで違う教えに塗り替えられた教えだけを聞き続けたら、

確認のしようがない。現代でも書いてある通りに読まない、

手元に聖書があっても福音書以降には別の新しい教えが書いてあると信じてやまない思想で読めば、そして前に書いてある内容を

書いてある通りに知らなければ、著名な教師が語る言葉=神の

教えであると信じてしまうのです。

 

様々な異邦人教父達により、神の言葉=モーセの五書に書かれた教えが否定された教えが編み出され続けそれが中世に続くのです。

どうして福音書以降がモーセの五書であるのか確認出来ない理由は、福音書以降にはほんの短いモーセの五書の抜粋しか書いてないからです。そして、最初の箇所=モーセの五書、預言書などを

ちゃんと学んでいないからです。

終末に関してもすでに最初からモーセの五書で語られているのです。全ては最初の部分に完全なる形で書いてあるのです。

福音書以降は抜粋です。

だから福音書以降には人間の生きる全ての内容、詳細は書いて

ない。罪=ズレが何であるのかの詳細も書いてないのです。

最初に全てが書かれていて、モーセの五書以降は全てモーセの

五書の解説だからです。聖書の最後の部分は後書きと同じです。最初の完成された書に書かれた内容を復唱していないで抜粋。

最初の箇所=モーセの五書、預言書を知っている前提で福音書

以降が書かれているからなのです。

 

しかも、4世紀当時でも異邦人の中にもオリジナルの聖書=

神の教え、イエシュアや1世紀の信者達が生きてたい事を慕い

愛し、実践し生きていた人たちもいたのです。

シャバットを祝い、シナゴグでトラーを聞き、都上りの祭りで

エルサレムに行く。トラーに書かれた生き方に忠実に生きていた異邦人。神の教えは慕わしく、神の教えを生きる事が神の創造した人間にぴったりな生き方であると実践する人達は知っていたからです。

その様な異邦人達へ真っ向から誹謗中傷、神の教えなのにそれらを生きる事をクリソストムは批判したのです。

それこそ、”律法の戻るのか〜” ”恵みを捨てた生き方だ〜”と言う

有名なスローガン、フレーズと同じです。

 

この様な神の教えに敵対する事、それは非聖書的、神に対する

冒涜なのに、それらが西洋教父達の口を通して異邦人の世界へ

伝えられ続けてしまったのです。

 

その結果中世暗黒時代は、オリジナルの神の言葉からかけ離れた

ものに変身してしまったのです。

宗教改革後も、中世ローマ・カトリックの様々にずれた教えから

決別したグループ=プロテスタントと呼ばれるものですが、

ルターも、その他グループのリーダーも宗教改革後もオリジナル

の聖書=神の言葉を生きる事には戻らず自分達の信条をアレンジした教えで神の言葉を塗り替え再定義したに過ぎないのです。

 

クリスチャンの世界では神が神の言葉を終わらせに来た、

昇天以降はより優れた教えがキリストがパウロが伝えたなどと

言う教えが一般的にされていますが、それらは全て聖書の真実ではないのです。

聖書を書いてある通りにちゃんと読めば分かるはずです。

神の言葉を否定する、削除する教えは全て人が作った教え。

歴史の中で異邦人が神の言葉を定義し直し異邦人独自の宗教の

教え、定義、解説を編み出しただけなのです。

 

現在も異邦人の世界とは全く別に、オリジナル聖書に書かれた

通りを学び続け、教え、そして生きている人達が世界中に存在するのです。その中心はユダヤ人です。オリジナル聖書を学ぶ世界では、キリスト教で語る様な変化した神の教え、変化する神や

神の義の基準、神が神の言葉を終わらせに来たなどと言う人の

思想を通して聖書を読んだり、解説したりなどしないのです。

神の言葉だけに語らせる。聖書に書いてあるオリジナルの意味

通りを知る。

人の勝手な解釈を入れ神の言葉を作り変え変形してはならない。

 

聖書に書かれている中身は人種によって、読み手によって変化

するものなのでしょうか?

変化するわけなどないのです。人間の書いた書物でも同じです。

著者の書いた意図通りに読まない限り、書いてある事を曲げて

解説してしまうのです。この様な神の言葉に対する違法行為は

やめなくてはならないのです。

神が神の言葉を神の口から直接語ったのです。

神が聖書の著者権を持っているのです。

 

元々、異邦人の世界は反モーセの五書=モーセの五書終わりと

言う人造哲学神学思想を土台とし、しかもモーセの五書に書かれた意味通りを全く学ばない、原典聖書などももちろん学ばない、

ヘブライ語で書かれた言葉の意味を聞いた事もない、知らない、

教えられない人達に改造された聖書の解説を学んでしまったら、それこそ聖書に書かれている真相は迷宮入りで、人の編み出した教え=神学が聖書であると勘違いしたまま行きます。

全て寓話、比喩、たとえ話と異邦人は信じている。そう言う解説をされては聖書に書かれている事実、真実は永遠に見えなくなります。

 

神の仰せは1つでワンセット。エハッド=1つ以上で全く一つと言うコンセプトは異邦人の世界にはありません。

神の仰せと言う言葉を単数で扱い、同時に戒め、命令などなど

複数で書かれているこれらは両方1つとして同義語で表されて

おり、神の教えは数々ある集合体で全く1つと言う事が聖書に

書かれている事実です。

だから神の教えのどれ一つでもないがしろにし、捨てるように

教えるなどと言うそんな事は出来ない!とイエシュアも言われたのです。体を分解出来ないのと同じと考えて下さい。

身体も神の言葉も分解したら正常に機能しなくなるのです。

神の言葉も分解出来ない!全てで1つ=完全に1つ=1つ以上で

完全に1つ=エハッドと神が紹介しているのです。

異邦人の世界では勝手に神の教えを3つのカテゴリーに区分して

仕分けています。そして道徳的教えだけを生きれば良いと言うのですが、一体誰がそんな命令したのですか?神ですか?

しかもそんな風に仕分けられないのは聖書を読めば分かります。

シャバットを汚す、ないがしろにする、それは道徳ですか?

シャバットは儀式的教えと言うカテゴリーに当てはめています。

でもそれならどうしてそう言う行為は死に匹敵すると神が言うのでしょう?意味不明ですよね。

 

異邦人〜勝手に神の言葉を仕分けして、道徳的な教えだけが有効などと言ってるだけなのです。神が言ってもない事を許可なく

勝手に発言している。その様な教え2世紀から伝統的に語り続けて信じている異邦人大衆がいるのです。

人が書いた書に勝手に手を加えて出版し直す様な行為をしては

ならない!こら〜!やめなさい!と言う神の声が聞こえない人が

勝手に言い続けているだけである事実に注目してください。

 

神に創造されただけのただの人間でありながら神に物申す=この思想=異教徒思想=人間が神をコントロールする思想と同じ偶像礼拝の根そのものです。

自分の好きなように神と神の言葉をコントロールしてるのです。

やりたい放題神の言葉をどこまでも変形し続ける。

 

でも事実は神の真実は人間などにコントロールなどされないのです。だから神の言葉は永遠に固く立つ!と書いてあるのです。

神の真実は永遠に固くたち、最後に人から出たもの、神に属さないものは消滅すると書いてあるのです。

本当に注意しないと、知らない間に神に敵対することを日々の

生活の中で語り行動している事をやってしまう。

 

 

異邦人クリスチャンの世界では1つでワンセット=ユニットで

完全であるものを、3つのバラバラなカテゴリーに勝手に仕分けました。どんな内容でしょう?

 

 

続く