聖書に書かれた神の言葉の真理の記述は人が作った神学と異なる事が書いてある | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

前回のローマ6章の箇所の続きです。

 

ローマ6:20 

あなたがたが罪の僕であった時は、義とは縁のない者であった。
 
義と縁が無いとパウロが話している意味は、神の義の性質の
詳細=モーセの五書=トラー=婚姻契約に縁が無い者。
特に異邦人は縁が無かったのです。
救い主に出会う前に神のトラーを知って生きていた家族の中に
生まれない限り、馴染みのない教え=イスラエルの神の教え=
トラーなのです。
これがエペソ2章にぴったり繋がる意味なのです。
 

エペソ2:11 

だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、

肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と

称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、

 

<無割礼=アヴラハムに与えられた義とされた印、

そしてイスラエルの神の子らとしての印が肉体にはなかった。

もちろんイスラエルの神の教えなども全く知らない、

肉にも頭脳にも割礼が無い異邦人。>

 

2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、

この世の中で希望もなく神もない者であった。

 

パウロがここで語っている事1つ1つちゃんと考えるべきです。

異邦人は肉の生まれではイスラエルの神と神の教え、

インストラクション=トラー=モーセの五書を知らない、

知らないから神の教えとは違う生き方をしていた。

イスラエルの国籍=地上での天を表す神の国の国民としても生物学的には生まれなかった。イスラエルの神とは何も関係ない、

蚊帳の外に生まれた。

 

そして、約束された色々な契約とは”婚姻契約”=モーセの五書

の中に書かれた契約の中にある人達のすべての生き方に

全く縁が無い異邦人と書いてあります。

それでイエシュア に繋がれた異邦人はどうなるのか?と

パウロは鮮明に語っています。>

 

2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れて

いたが、今ではキリスト・イエスにあって、

キリストの血によって近いものとなったのである。

 

<地上の神の国の国籍、天の国籍、神の契約契約=トラー=

モーセの五書=父の教え、言葉、インストラクションその全てと

全く縁がなかった異邦人。でもそれら全てから以前は遠く離れていたけれど、イエシュア  ハ マシアに出会い近いものに

された神の只中、神の婚姻契約の只中を生きる状態に引き寄せられた書いてあるのです。異邦人は神のトラーとは別の生き方に招かれたと聖書のどこに書いてありますか?無いです!100%>

 

2:17 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を

宣べ伝えられたのである。

 

<パウロは何を言っていると思いますか?

平和を述べるとは、神の似姿を生きる状態に回復された、

それがシャローム=神が意図した通りを自分も生きる、

そして他者とも神のデザインしたオリジナルの顔と顔を

合わせて生きる状態に引き戻された。

神の似姿を生きる詳細が書かれているのがモーセの五書=

トラー=婚姻契約なのです。

それは近くにいるもの=イスラエルとそして遠く離れた

あなたがた全ての異邦人にも同じであると書いてある事実。

 

聖書の記述によれば、人種により別々の教えや、別々の2つの

グループに分かれると言うダービーの教えの内容が聖書とは

全く関係のない教え、聖書の真理である訳がない事は、

読み取れるはずなのです。

 

聖書をちゃんと始めから正しく読めば、カハール=エクレシアは、同じイスラエルの神の婚姻契約を生きる状態に引き戻された同じ1つの家族とされた人の生き方である!それがシャローム=欠けの無い状態であると聖書には書かれているのです。

 

家族の誰一人も抜けない、ユダヤ人と異邦人、2つのステイックが最後はぴったり1つと合わさると書いてある。

その意味は異邦人とユダヤ人が同じ神の中に同じ婚姻契約の

生き方の中=エデンの園の状態に戻ると書かれているのです。

 

その事実が神殿の構造の詳細でも表されている。

至聖所の前にある垂れ幕でも表されている。

メノーラは7つ、一つの金で7つの枝に分かれている。

ユダヤ人と異邦人丸ごとでシャローム、神の家族を

表しているのです。

 

 2:18 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの

御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからで

ある。

 

父のただ中に近づくとは、両者=ユダヤ人も異邦人も1つで!

それが神の提示する神の家族の絶対条件!

そして御霊の中にあってあります。

 

御霊の中で2つの分裂グループ、二つバラバラな家族に分裂すると言うイギリス人ダービーの思想はオリジナルヘブライ聖書とは全く違う教えである事に聖書の事実を読み取りながら

気が付かないとならない時に来ています。

 

ヘブライ聖書のエハッド=1つ=複数で全く完全に一つの性質の

神、そして神に造られた人はエハッド=一体=分裂状態では

神のデザインのシャロームになれないのです。

1つが人種別に二つに分裂するなんて神の伝える真理では

無いのです。

 

2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。

 

パウロが語る事実をちゃんと読み取る事をすれば分かるはず。

 

そしてローマ書6章の続きです。

 6:21 その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。

それは、今では恥とするようなものであった。

それらのものの終極は、死である。

 

死=セパレーション 神から離れた状態。神の造られた人の性質とはかけ離れた生き方=死。神に繋がる命の実を生み出さない。

呪われたイチジク、御霊の実を実らせる生き方をしない状態。

 

<罪の法則=ノモス=律法の下に居た状態は、死!

セパレーション。命から、本来の姿から切離れされた状態。

それがエデンから飛び出た状態であった。

死=命=神と切り離された状態、死に至る生き様。

神の教えとは違う生き方をしていた事。

それが罪=ハタ=ズレの律法=法則。>

 

 6:22 しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、

きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。

 

6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、

わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

 

古代の人達、エデンの園を飛び出した後も同じイエシュア =救い

により永遠の命を受けて生きていた人達が聖書には書かれているのです。その人達がヘブライ聖書を書いていると言う事実が

あるのです。

 

彼らがモーセの五書、その解説の預言書、諸書に書いているのは

100%同じ福音。トラーが無ければ福音書〜黙示録も無いと言う

基本的な聖書の事実にはっきりと気がついて聖書を読まないならばそれこそ、次から次へと別の福音が昇天以降現れたと言う、

空想の教えが出現し続けるのです。

 

2000年前に突然イエシュアの永遠の命、生き方が与えられた

のでは無い証拠は、神はエデンの園から同じ福音=トラー

命の木=神の教えに繋がる同じ内容を語り続けているからです。

 

続く