神の言葉の事実だけに立って真実の点と点を繋げられば見える | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ラオデキア経典 37

ユダヤ人や異端者の”祭り”を受け取る事は違反です。

<注:これ人間が神の言葉に反逆し、人が勝手に主張している

教えです>ユダヤ人や異端者の祭りとは、シャバット、新月、

過越の祭り種無しパン、シャヴオート<ペンテコステ>

そして秋のヨムテルア=ショーファーを吹く日、大贖罪日、

そして仮庵の祭りの事です。これらの記念日は神が永遠に祝われる”わたしの記念日”と神が神の口から直接人類にイスラエルを

通して=モーセを通して紹介して教えているのです。

今一度考え直さないとならない重大事実があるのです。

誰に何を教えられているのか?です。

 

それは、神の言葉を否定し、人間が神を差し置いて、人間の教え=人の言い伝えを本気で信じ込んでいる事に気が付いていない点が大問題の根なのです。それは、今は恵の時代で古い律法は

終わったと言う教え、2世紀の、マルキオンやユステイナ、

その他諸々歴史のコースの中で同じ思想を語り教え続ける西洋異邦人教父達が聖書に反する教えを勝手に言い出し、言い続けて、別の教えの種まきをし続け、それが現代にまでもっと膨れ上がりその非聖書的教えの種の根、芽、教えの実が語り継がれて嘘が

誠であると信じ込まれてしまった事なのです。

 

預言者、イエシュア、使徒、パウロそして1世紀聖書に登場している全ての信者、そしてユダヤ人が祝っていた記念日はレビ記

23章の神の永遠の祭りであり、ローマ帝国が4世紀に勝手に

作り出した記念日など聖書に登場する人達は誰一人として

知らない記念日、祝ってなどいないものなのです。イスラエルの神の記念日に神が異教の女神の名前など、神の祭りに付ける

訳などないのです。

 

どうして聖書の真髄を知らない西洋人、異邦人が神の教え、神が造られた記念日に対して”止めろ、祝うな!”と神の言葉を否定して人間が命令しているのでしょう??重大な罪!と聖書に基づき考えれば良いのです。誰の教えを信じているの?誰の教え、

誰の声を聞いているの?

イエシュア=イスラエルの神それともイスラエルの神の教えに

反するローマが作った聖書とは違う言い伝えの教え?

私たちは本物の羊飼い=イエシュアの声=教え=言葉を

聞きなさいと教えられているのではないのでしょうか?

イエシュアの声=羊飼いの声を聞き分けるには、トラー=

モーセの五書=父の永遠不変の教えを知らないと分からない!

と言う事に気が付いていますか?

 

ラオデキア経典 38

種無しパンをユダヤ人から受け取る事は違法です。

<過越の祭りから始まる、種無しパンを食べる1週間の祭り>

それら彼らの不信心から受け取るべきではありません。

 

これは完全に”イエシュア”の教えに反逆する発言であり、

神に対する冒涜違反行為の教えです。

”過越の祭り”が何を表しているのか全く理解しない人=

異邦人が言う教えなのです。神の祭りの全ては、

”福音”=イエシュアを表す、預言的祭りなのです。

イエシュアは何と言われましたか?イエシュアが処刑される前に

弟子達と祝った過越の祭り、種無しパンを食べている晩餐で

語られたのがイエシュアの言葉です。

そしてその儀式をカトリックは、”種ありパン”に変えたのです。そして、過越の祭りの晩餐でするのではなく、月一回、

第一日曜日にやる別物の教え、儀式に変身させたのです。

以下は”過越の祭りの晩餐、イエシュアの最後の晩餐の遺言です。

 

神の記念日を変える、教えを曲げることは、1列王記12章に

ある”ヤロベアム王”がやった事と同質の罪、違反なのです。

 

コリント1 11:23 わたしは、主から受けたことを、

また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、

渡される夜、パンをとり、

11:24 感謝してこれをさき、そして言われた、

「これはあなたがたのための、わたしのからだである。

わたしを記念するため、このように行いなさい」。

11:25 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、

「この杯は、わたしの血による新しい契約である。

飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。

11:26 だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を

飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、

主の死を告げ知らせるのである。

 

過越の祭りが来てわたしの記念日を祝うたびに、種無しパンを食べるたびに、思い出して!と言うのがイエシュアの遺言です。

過越=奴隷から贖い出された事実=イエシュアの処刑で表される、贖いの命の事実。種ありパンでは、新しくされた人の事実は表されてはいないのです。イエシュアのメッセージの意味が欠けている、人が変形した教えに変えられてしまっているのです。>

 

新しい契約=新しい=ハダス=新月の新、新しいと言う同じ

意味の言葉です。再更新され続ける同じ婚姻契約=モーセの五書に書かれた契約の事なのです。エレミヤ31章と繋がるものです。別物の教えでも契約でも無い!シナイ山で与えられた同じ

婚姻契約が再更新される。それをイエシュアが弟子たちに語って

再確認させているのです。そして翌日処刑され、昇天され、復活する事実を弟子達は未だ気が付いていない。でもそれら全ての

出来事を体験してそして、シャヴオート=婚姻契約を受け取った祝いの祭りをエルサレムで行う!この一連の出来事の中で、

これから体験する出来事がトラー、預言書に書かれた事と

ぴったり同一である事を弟子達も知るに至ったのです。

 

神の教えと神の記念日を否定して、神の仰せである、

関係の中にある印である記念日を祝う事をなぜ人間が禁じる権威があるのでしょうか?

これこそが聖書に反逆する教え、神への反抗です。

そして神の教えを捨てて、今は人間=ローマが作った違う記念日は生きる。それって聖書では無いでしょう。何をしようとその人の自由選択、自由意志なのですが、神の言葉を否定することは

イスラエルの神の家に属するもの聖書=神の言葉を知る人達の

間では、これは神への重大冒涜であることとを知ってないと

ならないはずです。

 

”人の言い伝えや伝統を取り、神の言葉を退ける”とイエシュアが

言われた通りの事をこの西洋司教達は教え、そしてその教えを

聞いた、聖書を知らない人達が信じて、現在に至るまで

曲げられた神の教えが聖書だと誤解されたままいるのです。

 

キリスト教=ローマが作った宗教。これらの教えが繁栄、

栄え、浸透して、ユダヤ人では無い異邦人信者の頭脳、

心の中にがっちり植え込まれて行ったのです。

 

ここで注意なのです!4世紀の異邦人達=彼らは、司教達が教える教え、イコール聖書だと疑わずに信じたのです。なぜなら本物の聖書を教えるパウロや使徒達の様な本物の教師がもういない!そして、自分の手元に翻訳聖書も無い!嘘か誠か確かめる手段が無い!今は様々に情報があるから探り出そうとする人は発見出来ますが、今でさえ、こんな事を言おうものなら、異端の教え!

律法に戻るのか〜とユステイナみたいに言われるかもしれない。

いや何が異端?聖書では無い教えが外れた教えなのです。

 

イエス様はキリスト教と言う別の新しい宗教を作りに地上に来たのではなく、トラー=モーセの五書=父の言葉を正しく解説し、正しく意図通り生きることを示すためにきた!と

言っているのに異邦人には全然通じていないのです!

コンスタンチヌス皇帝が4世紀に現れるまで多くの迫害に面しました。しかし、コンスタンチヌスがミヴィアン橋の戦いで勝利した後313CEに、ミラノの勅令を発したのです。

この勅令が、キリスト教を正式なローマ帝国の宗教にはなりませんでした。コンスタンチヌス皇帝はクリスチャンもキリスト

信じますと言い、信者に対する迫害を終わらせると言いました。

そしてキリスト教をローマ帝国の他の宗教と同じレベルで考えると言ったのです。でも彼は自分の偶像と自分を讃え祀るバシリカ

異教の神々のシンボルが混じったものを建設した、

イスラエルの神の言葉、教えが分かってないからです。

そしてさらに、コンスタンチヌスは、クリスチャン異邦人教会を

優遇すると約束しました。そしてたくさんの資金を提供する事も約束した。そしてたくさんの教会の建物=バシリカを建てたのです。ベツレヘム、コンスタチンノープル、そして異邦人信者に

沢山の特権、優遇を与えました。

異邦人クリスチャンはキリストを信じることでは迫害されなく

なり、政治的、軍事的に社会的優遇を与えられました。

同時にこの新宗教に、ローマの他の異教の神々の教えの数々、

偶像の数々が同時に持ち込まれてしまったのです。

神の前に姦淫の罪をしてしまったのです。

100%ピュアにヘブライの書=婚姻契約=イエシュアの教えた

教えではなく、異教神の混ぜ物の教えを取り込んだ新宗教を

作ってしまったのです。だから聖書に書いてある1世紀の信者、

イエシュアやパウロや使徒達とは違う教え=神の言葉を終わりとして生きて、記念日を今祝っているのです。

その結果、リーダーシップ=異邦人司教達は腐敗し始め、

異教思想の混ざった新宗教を大歓迎したのです。そしてユダヤ人とヘブライ的要素、トラーをローマ帝国は全面排除!

禁止したのです。だからユダヤ人は全て散って行き、ユダヤ人は異邦人の作った新宗教=混ぜ物の宗教の教えと完全決裂したのです。異邦人だけがローマ帝国宗教に賛同した。これが本当の分裂の原因なのです。神が2つのグループに、二つ別々の違う教え、契約や別々の記念日を作ったのではない、

人がやった事の結末なのです。

 

キリスト教と言う名前の下で行われたのは、異教の神々の教え

儀式、シンボル満載取り込んだ物だったのです。

聖書に反する様々な行為、儀式、=人の教え、人の教理が

取り込まれて行ってしまったのです。

これらの異教神信仰の混ぜ物の教え、教理が混じった教えを、

コンスタンチヌス皇帝がローマ教としてローマ帝国の新宗教の

教え=神学として認定して行ったのです。

でも神はどの時代にも、”残りの民”を保存しています。

人の教え、異教神要素の混ぜられた教えに染まらない人達を

完全保存し、本物の福音を保存し世界へ伝え続けているのです。

でもその残りの民は常に少数派です。狭き門の教え通りに。

そして迫害され、追放されて常に命の危機にさらされて行くのです。神の教え、純粋な神の言葉を生きる人達、ユダヤ人、そして

少数の異邦人は処刑と、重税を課せられ、追放されて行ったのです。さらにパウロ達亡き後、4世紀以降はどの様になって行ったのでしょう?

 

 

 

続く