パン種に警戒とは マタイ16:6 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

マタイ16:6 

そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人との
パン種、よくよく警戒せよ」。
 
警戒=hor-ah'-o 厳密に正しく、はっきり見極める、気づく
注意を払い傾聴する。
 
イエシュアがここで警告をした相手とは、異教徒信仰の人達
では無く直属の弟子達です。その人達が違う教えに騙される
かもしれないので、警告しているのです。
その警告の内容は”不道徳をする”などと言う事では無く、
”偽の教えに対する警戒”と言う点です。
 
パリサイ人、サドカイ人と書いてあるのを見て、即座に
”古い教え=旧約聖書=律法を教える”事への警告だなんて
早合点してはならないのです。それこそ、パン種の教え。
そう言う、解釈の仕方、聖書の読み方を教えられて来て
しまったのです。
ローマ神学、近代に現れた人間製造の神学のおかげで。
 
イエシュアが語っている、教えている、生きている内容は
100%トラーなのです。それ以外のテキスト、教科書は
この世に存在していないからです。
”手洗いの儀式”の例でもあるように、トラーに書かれても
いない、又トラーからずれた意図で解説される様々な
当時の複雑な宗教の儀式、習わし、教えのことを、
パン種=サドカイ人、パリサイ派の教えと書いているのです。
 
でも、パリサイ派の教え100%が、逸脱した教えでは
無いのです。分かると思いますが、同じイスラエルの神を
信じていたとしても、ある人達は、聖書にも無い教えや、
逸脱したルールや教えをどの時代でも作り上げ、それを
生きるように、現代の宗教界の中でも強要します。
それと同じです。
 
偽の教義、教えに対しての厳重警告を、弟子達は受けている。
トラーを知っているのに、パン種=別の教え=人間が
作り出した教えが入り込めば、偽の教えに膨れ上がって
しまうからです。当時は、パリサイ派も、サドカイ派も
もちろん、信仰の土台は、100%トラーのみです。
だけれども、神の言葉を神の意図通り解釈して、生きては
いない部分が在ったのです。
 
伝言ゲームのごとく、人の編み出した教え=神の言葉?と
信じる。神の言葉にプラスアルファ、自分達創作の教えを
混ぜる。なぜなら、彼らの中にもラビの権威は絶対と言う
態度、意識が在ったからです。そこがずれているのです。
イエシュアが警告、指摘、正していたのは、まさに神の
言葉に人間の創作の教えを付け加えて、混ぜる事です。
 
そして、トラー以外の別の教え、契約があるなどと言う人は
誰一人居ない、一世紀の世界、ヘブライの世界の話が聖書に
書いてあるのです。
 
ここの所を誤解しなければ、聖書に書いてあることがその通り
に、見え来ます。現代の様なローマの教えや、歴史の途中で
人間が編み出した、置換神学やら、デスペンセーションの神
などと言う、思想、神学が全く無い世界の話なのです。
 
神の言葉=完全、永遠、絶対、変わらないと言うことは
皆基本中の基本で、頭脳の中に叩き込まれている。
もし一世紀当時、トラーを否定する教えをしたら、即座に
全てのヘブライ人に、”偽教師” ”偽預言者”出現と見なされて
しまいます。そして、そんな教えに誰一人耳を貸さない、
聞かないからです。
 
トラーの教えを、人間の解釈で真意から逸脱した教えへと
変形したもの=パン種が入り込んで居たことを、イエシュアが
警告、忠告しているのです。
 
神の純粋な言葉=トラーを退けて、自分達が編み出した教えや
不要な儀式や、ラビ達が発想したややこしい教え、儀式を
一日中やる足かせを着せている。それをやらなければ、
神に背いていると教えるそのインチキな教えに対しての
警告であり、トラーを否定しているなんて事100%無いのです。
それを、現代の神学では、トラーを生きる事を否定していると
解説する。それも又ここでイエシュアが警告している
危険なパン種なのです。
 
トラーを曲解するどころか、トラーを根こそぎ否定、捨てよ
しかも、トラーを生きる事を禁じる、それらは呪いだなどと
言う教えをもし、この当時にする、何々派と言う新しい宗派=
トラーを捨てよとするローマの教えを土台にする別の教えの
宗派が在ったとしたなら、イエシュアが何と警告するかは、
16:6節を読んでも、はっきりしているのです。
 
もともとイスラエルは、ローマ政府から、トラーを捨てる
ように弾圧され続けていますから、その勢力に対する抵抗、
戦いはずっと、エステル記でのプリムの出来事の様に、
マカバイ戦争=ハヌカ、第一戦争=神殿崩壊、ユダヤ人大量
殺戮、奴隷化、第二ユダヤ戦争=バルコクバの乱=ユダヤ人
大量殺戮、プラス奴隷として諸外国へ売り飛ばして、国外へ
全員追放、散らした事でも明らかな様に。
 
サドカイ、パリサイ派の中に有った問題とは、
サドカイ=自由思想、無神論=懐疑論、合理主義。
パリサイ派の一部に、形だけを保つ=義を行いで得る、
伝統崇拝、自己正当。これらの思索は現代の宗教の
中にもちゃんと入り込んでいます。どの時代も同じパン種
が潜んでいる事への警告です。
 
そしてそのパン種〜人の編み出し続ける教えに対しての
保護手段と、解決法をイエシュアはきちんと弟子達に
教えているのです。
 
続く