あっという間に11月も終わりに差し掛かり、12月を迎えます。
毎日が、新しい体験です。アバ父の言葉を聞く訓練。
自分教〜自分が判断の基準から脱出して、神の言葉=神が
言われることを、学び直す学習の日々。
まさに、荒野での訓練と同じです。それは、神が厳しくて、
ひどいお方だからでは無いのです。私が何も知らないから。
神の言葉を知る、生きる世界は安全だから。
宗教は頑張りの世界です。
自分の努力で天に届く世界。そうは語りませんが、
実際にはそうです。
でも、アバ父が語られる世界は全く違う。
イエシュアが地上に直接来られたことでも分かるでしょう。
神から、向こうから近づいて来てくれた。天の現実が私たち
のもとに舞い降りてきてくれた。私たちの只中に共に住まう
ために。天国に入ろうと頑張る世界では無いのです。
修行の世界でも無い。
天国が私たちの只中に降りて来た!と書かれている通り。
全然違う世界なのです。
エデンの園で手と手を取り合って、アダムと歩いてくださった
神なのです。違うのです。宗教の語る世界とは。
私たちの只中に住まうことを願望しているのは、神御自身で
あることを忘れ去れせるのが人間の作り出した宗教の教えです。
全く逆!全部逆!
今は、春までの”神の祭り”=過越しの祭りが来るまで、
新月とシャバット以外何も、神の記念日が無い時期なのです。
本当の自分を覆う”包皮”を一つ一つ、毎日の出来事の中を通
して教えられて行く、実は刈り込みの時期なのです。
あなたの本当の姿を生きることを阻むものは何か?を
教えてくれる。過去の歪み、気がつかない先祖代々引き継いだ
縛りの教え。。。。自分の責任では無い、傷、歪みに気がつか
させる。どうしてそう反応するの?どうしてそう考えるの?と。
ズレた思索の出どころ、根拠に向き合わせてくださる。
今年は、12月の2日の日没から、8日の間”ハヌカ”の祭りが
やってきます。
このハヌカの祭りは、”レビ記23章”にある”神の造られた
記念日”では無いのです。神の仰せで祝う様に命じられた
記念日では無いのです。でも、イエシュアが祝っていた
記念日だとすると重要な意味がある事が分かります。
この”ハヌカ”の出来事の預言は、ダニエル書にも書かれて
いるのです。
そして、将来来たる、別のハヌカ事件も同様にダニエル書に
書かれています。全ては”異教の神々”の手から、神の言葉
トラーが奪われたことを、奪い返す、元に戻ることなのです。
以前は、クリスチャンはクリスマスを祝い、ユダヤ人は
ハヌカを祝うのかと思っていましたが、ちょっと違いました。
ハヌカの意味、ハヌカと言う言葉はヘブライ語聖書の中の
至る所に書かれています。
これは、語源の意味を探れば、レビ族のレビとも、神の
言葉に忠実である人達、神の言葉をガードする人達、
色々な意味と全部繋がっています。翻訳では見えないのです。
ハヌカの背景にある史実があります。そして12月と言えば、
救い主の誕生日と想像しがちですが、古代のヘブライの世界
には、元々誕生日を祝う風習がないのです。
しかも、12月は、救い主が誕生した時期では無いのです。
聖書に基づけば。そして、神の記念日=秋の祭り=仮庵の祭り
の一連の記念日の中で救い主の初臨、再臨を祝う様にはじめ
から、創造主がザインされています。
ハヌカ=マカバイ戦争の事件の元になる、”異教の神々”=
異教徒ギリシャが異教の神々の汚れたもので、神の宮、
祭壇を汚した、その神々=ニムロイド=タンムズ=サミラミス
=アシュラ=イシュタール=イシス=アシュタロト=
イースター、別の名前で呼ばれようとも、そのルーツの
スピリット=神は同じ異教の”神々”から由来するもの
なのです。
12月の祭りは、異教の神々の記念日=本物のお家元の神々の
”誕生日”の祝いが存在しているのです。お家元に便乗しても
お家元が主役になって世界に浸透するのは免れない。
サンタクロースにハイジャックされたのでは無い。
元々の”主役”が主役の場所に収まっているだけなのです。
異教の神々を信じる異邦人とそして異教徒の教えに染まった
ユダヤ人達の手から、汚された”神の家”と奪われたトラーを
取り戻すことが出来たのは、イスラエルの神が勝利を与えて
下さったからです。
その出来事を祝って”再捧げ直す”、神の家を汚れから救い、
元の状態に戻し再奉献すると言う意味の祭りが
ハヌカなのです。
トラー、そして預言書の警告にある様に、常にイスラエルも
異教の神々の教え、慣わし、風習、儀式を取り入れ、混じり合
って行った記録は、トラー、預言書、諸書に書かれています。
続く