神の言葉が終った、古いトラーは終わり、契約は新しいもの
になり、イスラエルは退けられ、今度は異邦人が新しい
契約を受け取る代表者にすげ替えられたのだと言う教え。
イエシュア昇天以降は、異邦人が代表者になったので、
レビ記23章の神のデザインして造られた神の記念日も、
全部終りで、10の言葉は、口で唱えるだけで、信じて
生きるものではない。
新しい宗教創設者=ローマ皇帝が造った記念日が、
今では有効であると言う。しかも、ローマ皇帝の法令で
トラーは廃止され、トラーを生きる事も禁止した、その教えが
今は有効なのだと賛同する。しかも、トラーを生きるユダヤ
人達も、マルチン ルター含め、西洋教父達、ローマの圧力に
より、迫害され、ホロコーストの様に絶滅目標で殺戮、
大量殺戮され、ヒットラーに至っては、絶滅した人類として、
その博物館まで造られる計画だった。
この教えの根拠は、一体聖書のどこに記されて、書かれて
居るのでしょうか?神は御自身の口から出た御自身の言葉を
否定する、途中で取り消すと言う事を言い、実行したので
しょうか?
古い箇所の聖書を信じるのがユダヤ教と言うもので、
福音書以降だけを信じるのがキリスト教であると言う
概念があると思います。聖書は、創世記から、黙示録まで
一貫して同じ内容しか書かれていないのに、
二つの別々の教え、別々の契約が存在すると言う人の教えが、
人の頭の中にあるのです。
きちんとオリジナルに戻り、ちゃんと読み直せば
明らかに事実は、はっきりと書いてあるので、神の言葉が
真実である、神は、神の言葉は昨日も今日も永遠に
変わらないと言われる、神の言葉が真実である事は
絶対に間違いないのです。
西洋人教父達や、ローマ皇帝が作って決めた教えを、
あたかも神がそう言ったのだと言う事にされている教えを
聞きますが、今現在に至るまで、聖書のどの箇所にも、神の
言葉を、神が変更された事実は、書かれていないし、
書かれている事も発見さえされていないのです。
聖書に書かれていないから、変更された根拠なる、事実が全く
無いのです。それが、事実です。
それらしき事が書かれていると誤解される箇所は、
人の考えにより、100%間違いの読み込みに基づくものです。
変更された言葉や契約や、神の教えは、全く聖書に記載
されいないにも関わらず、進化論と同じく、証拠も無いのに、
長年に渡り、大衆に浸透すると、根強い真実であるが如くに、
信じ込まれ続けてしまうものです。
とにかく神の御口から出て記されたオリジナルの神の
言葉にだけ戻って検証しない限り、書いてない教えを元に
探ってもそこに事実は無いのです。
その様な教えが、聖書とは異なる事、又は聖書の事実である
かの様に誤解されて読み込まれてしまって、大衆の一般解説
として定着してしまった、誤解されて解説され箇所を
元の意味に戻して読んで見る。
神の言葉が永遠不変であると神が言われた言葉通りの
正しい位置に戻して、神の言葉の事実だけに戻り検証すると、
実に自分自身も、相当自分の考えを根拠にし、いい加減に
聖書を、さらさら読んでいたのか、今も毎日気が付きます。
いい加減というか、神の言葉は歴史の途中で終ったと言う
先入観が揺るがずに最初にあるので、翻訳者の、又解説者の
教え、考え、意図に沿って、神の言葉を読んでしまうのです。
それが、置換神学や、デスペンセーション神学や、他に
様々な人間が作り出した教えが始めにありきで、
西洋神学者が作り出した教えを支持し、信じる翻訳者により
手がけられた翻訳なら、その様な傾向の訳し方、注解、
コメントを入れられてしまう事実がある。
又は、聖書には始めから存在しない言葉を付け足し、
挿入されて、誤解されてしまうような言い回しがある事は
以前にも書きました。
世の中のニュースや情報も、聞き手に信じさせたい様に
カモフラージュして情報を流す事は、今や知る人ぞ知る
世界ですが、翻訳や宗教の世界も同じです。
聖書を読む上で様々に欠落している情報の数々。
遥か彼方の古代の書、そして異教の神々の国の人々とは
全く違う異文化の、古代ヘブライの人が、そのまま読んで
理解出来る言葉、内容で書かれた書。
フランス語が分らないのに、フランス語の辞書無しに、
霊感によりすらすら理解出来ます、読めます、意味を完璧に
理解できますと言うのは、本当に無理があるのです。
日本人とて、古代の文学書、古典を読むのは難解です。
それと同じなのです。手引きが必要なのです。
神の言葉を変えた原型は、エデンの園。
神の言葉を、嘘と分らない様にうまい具合に、曲げて、
カモフラージュして、真実を覆い隠し、神の言葉を疑わせた。
このトリックは、原点、人類のスタート地点から今でも、
全く変わっていないのです。蛇は人を騙す、嘘つきと
書いてある通りだからです。騙されないために、神の言葉を
忠実に知る必要があるのです。
ローマ14章、ガラテヤ書や、又は使徒10章のペテロが
見た幻で、食の規定も破棄されたとか、故にトラーが
破棄された証拠であるとか、シャバットが、週の第一日目に
変更された事が書かれている、又は10の言葉も終わりなどの、
様々に誤解されている箇所を引き続き書く前に、1世紀の又は
現代の宗教=ユダヤ教の中にも、人間の造った教えが
付け足されている事を、書いてみたいと思います。
もっと複雑な世界です。そして、人の教えは人を窮屈に
縛り上げて行くのです。
事実を探って行くと、見えてくる事がたくさんあります。
まず、神の言葉は、宗教では無いのです。
何々教と言う名で呼ばれる性質のものでは無いのです。
神の言葉は、神御自身の性質と、そして神の造られた人の
デザインが書かれているのです。
神の言葉により造られた人が生きる糧=命のパン。
そして、神と人と、人と人の関係を結ぶ、そのエッセンスが
書き記されているのです。
進化しない人間、創造物は、始めから同じインストラクション
神により、神の言葉で造られた人間は、神の口から出る
一つ一つの言葉、同じ命のパンを食べて生きる様に始めから
造られているのです。その事実は始めから変わりない。
神の言葉は、神の言葉=そして、聖書も、証の書、
トラーの書と言う神御自身が付けたタイトルがあるのです。
そして、神の言葉は100%、人が生きるためのものです。
そして最初から最後まで、丸ごとで一つの神の証の書なのです。
もちろん、中身は様々な記者により、様々な年代に渡り
書かれていますが、内容は全部一貫して同じ。
神の書全ては、トラーのみを語っているのです。
イエシュアは100%丸ごとトラーを語っているだけ。
パウロもトラーを100%語っている。別種、新種の教えなど
別種の霊の働きなど無い。始めから全て永遠不変、同じ。
そして、創世記から黙示録まで、どの箇所も一点一画も互い
に相反する、異なる内容、別の福音や別の契約など書かれて
居ない事実に戻して読み直せば、翻訳の弊害、壁があれど
真実が見えてくるはずです。
内容が一貫しているのです。語られている内容は途中で
変化していないからです。
始めに出て来た言葉を、同じ意味で使われており、
一貫して同じ内容で聖書の始めから終わりまで、
ヘブライ語では書かれているからです。
続く