真実は常に存在する | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

パウロに関しての続きを書こうとしているのですが、
これだけ世界に”パリサイ派”と言う意味が、誤解されて
いれば、いくらパウロが”パリサイの中のパリサイの子”と
宣言して聖書の中に書かれていても、パウロの宣言の根拠、
意図も全く読者には伝わらないままですし、
”パリサイ派”=パリサイ派拒絶しましょうと言う宣言が
延々と続く事になると思います。

しかし、なんで聖書にパウロが
”パリサイの中のパリサイの子”だとそんな事が書かれて
いるのか?と言う事を見逃さなければ見えて来ます。
書いてある事に注意を払う。

聖書は神の側で選りすぐった、私達へ伝えたい重大な
事柄だけが、記載されているからです。

視点を変える。人の教えや先入観をまず捨てる。
真実とマッチしないものは、全部排除。
聖書に書いてある事だけからまず考える。

パウロの書簡は、気がつかなくてもパリサイ派の教え
そのものです。私達はパリサイ派の教えを読んでいるのだと
気がつかないまま読んでいる。詰まり、”トラー“からの
日常生活に於ける様々な事柄の適用例を、パリサイ派の
教えで学んだパウロ=パリサイの子として、そのパリサイ派の
トラーの実際生活の中でも適用例を伝授、
書いているのですから。


私達はパリサイ派のトラーの実際の適用例の内容を
知らないまま読んでいる。
そしてパリサイ派=諸悪の根源と思い込んでいる。
その人達の教えを読んでいる。
もしパリサイ派=パウロ=パウロの書簡ならば、
それらを読まない方が適切と主張する事と同じ。

それと同じで、人の教え、言い伝え、メデイアや、科学、
政府がそう言うから、全てをそのまま鵜呑みに出来ないと
言う事を今週、新たな事実発見に辿り着き自分に
言い聞かせました。

とにかく自分で調べる、確かめる、吟味する。
一体何が真実なのか?

世間の教え、データを神の言葉と同等に取り扱うべからず。

神の言葉だけが永遠に真実であって、人の仮説や解説、教えは
変わって行くものだし、プラス、意図的にある真実を科学や
医学の世界でも隠している、改ざんしている現実。


一体何が真実なの?どれほど騙されて来ているの?
と思います。

誰の意図? 本当は隠している人達は、真実を知っている。
でもその真実は、やはり神のデザインを証明してしまうもの
であるから隠す。

過去に現れた私達が科学の世界の新発見事実をしたと
され英雄の如くに思っているその科学者達の多くがなんと
”反聖書思想科学者”である事実。が〜んとショック。
なるほどね。

そして人間の教え=神学も神の言葉と同等ではない事は
明らかなのです。

それでは、反聖書的解説教え、物事を人々に伝えて行くのは
当然。
人を誤りに意図的に導く。分らない様に真実ではない事に
先導して行く。
これは極端な例だと思いますが、知らず知らずの間に
もし、真実を語る事からズレれば、結果は同等だと言う事。

神の真実から、神御自身の実態から人々を気がつかないまま
少しずつ、遠くへ遠くへ遠くへ引きはがして行っていると
言う事だと思います。

コバーン=引き寄せられる=引き寄せる。
天の祭司達=神の似姿を生きる事を知った人達、神の家、
神の唯一の契約に入れられた残りの民達は、天の栄光の
現実を世界に正確に映し出す、表す世の光。

神の現実、実態へ、戻ろう。
引き寄せる。遠ざけるではなく、神の中へ内側へ
人々を引き寄せる役割。それには、神の言われる言葉、
神の真実を神の意図通り正確に人々に伝え、そして自分自身も
その架空ではない、画餅ではない、“実態”の中に生きる事を
日々学習、体験して行くのだと言う事が聖書に
書かれている事に気がつきます。