パリサイの子 パウロ  パリサイ派とは何? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

使徒21章でパウロは、”ナジル人”の誓願を果たし、
22、23章で、公の場所、イスラエルの議会、
自分の師匠であるガマリエル大先生の前でも、
”パリサイ派” ”パリサイの子”とまで、
最大限強調で自分の”信仰” ”生き様”をパウロが
宣言している事実。

イエシュアに出会う以前と、出会った以降も、変わらず
”パリサイ派”の子と自分の立場を、宣言しているパウロの
言葉の意味を捉えれば、今までの”パリサイ派”と言う
言葉にまつわり世界の先入観を、もう一度見直さなければ
ならない事がはっきりして行きます。
聖書に基づき、考える。先入観をまず捨てる。

パウロが”パリサイの子、パリサイ派”である事を
理解しないまま、パウロの書簡を読めば、
誤解した解釈が生まれるのは免れないと言う事になります。

プラス、私達は知らないままに、パウロの書簡を読んで
いますが、この書簡自体が、まさにパリサイ派の中の”教え”、
伝達方法なのです。

パウロの書いている書簡の中の様々な問題に対する
回答はまさに、”パリサイ派”の教えのトラーの
適用例なのですから。
私達が”偽善者、律法主義者”と思わされている
学派の教えをなんと!パウロが書いていると言う事実。

この内容に付いては、また追って記事に書きます。

何千年もの間の”誤解”されている。パリサイ派に対する”誤解”。
条件反射の様に、パリサイと聞いただけで、すぐに出るあの
意味、言葉。
パリサイ派=偽善者、律法主義者の偏見と誤った先入観で
造り出された彼らに対するレッテル。批評。

パリサイ派=イエシュアの敵と言う図式がまかり通り、
その教えが主流になり世界が伝達、語り合っている。

その時代にあった、様々な学派、パリサイ、サドカイ、
エッセネ派。

”書記 学者”と書かれている 聖書を書き写す人達。
これはとても訓練の居る専門職ですが、この”書記”と
”パリサイ派”と一緒に連ねて聖書に書かれています。

私達は、見聞きした事を一旦外す、脇に置いて、これらの学派が
一体何であったのか?それを知る必要があります。
誤解を解くために知る必要があると分かります。

パウロが何ものなのか?当時の学派の教えが何なのか?
パウロの書いている事を知るには、これを知る事
必須なのです。

パリサイ、サドカイ、エッセネ派。
それぞれの学派が何をどう信じていたのか?

彼らは、唯一只一つの神を信じている、それぞれが、
偶像礼拝について、シャバットの行い方、モアデイムの祝い方
また来るべき世での事などなど、違う考え方をそれぞれの
グループが持っていて、それらの特長により、
学派が分かれていたと言う事です。

パリサイ派と、サドカイ派では、”復活”に関して、
違う見解を持っていた。
また様々な諸問題に対する、トラーの適用の仕方
解釈も違っている。

では、”パリサイ派”とは何ぞや?と言う事を知らない限り
パリサイ派に関しての偏見を拭えないので、
書いて行きたいと思います。

パウロは100%、このパリサイ派の学閥で学び、
イエシュアを信じた以降も、パウロ自身が宣言している様に
”パリサイ派の中のパリサイの子”そして”ヘブライの中の
ヘブライ人” イスラエルの神の言葉、契約の命の中に
100%生きる者と自分の事を他者にそう宣言している。

続く