さて、あの姦淫の現場で取り押さえられた女性を、
イエスさまが、許し、救出しました。
それを読んで、以前だったらこの人は死刑なのに、現代は
恵みの時代だから許される=何でも許される時代になった、
古代は怒りの神の時代だったから厳しかった。
トラーは終ったと言う図式が世間では
定評なのではないでしょうか?
いいえ、神は変える様な基準を初めから人に伝える事など
なさらない。神の口から出る言葉が一度でも不完全で
ある事など無いからです。
神の基準は永遠不変。なぜそうなのか?
全ては、神のデザイン プラス人の命が守られる保護される
ための、保護ガードだと言う事が分かれば見えて来ます。
殺人鬼が町に溢れたら、テロリストに囲まれて生活したら
どうですか?恐怖の世界ですよね。。。。
プラス 人を惑わす“姦淫”などが普通に蔓延れば
皆が悪影響を受けるのです。
ちょっと、踏み込んでこの事件の意味を見てみたら
分かります。
プラス、イスラエルの神は、始めから変わりなく、永遠不変
許しに富み、憐れみ深く怒るのに遅くアハバ=永遠の愛で
愛する神と書いてありますね。
何も変わりない。
異邦人の頭脳の中には、初めからの先入観=新旧別の
教えと言う概念が存在し、怒りと恵みの二面相の神像が存在し
それが聖書の真理を知る事を、邪魔しているだけなのです。
それを、まず削除。取り払う。主の目から主の言われる通りを
捉えて見るために。
ヨハネ 8:4 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
8:5 モーセはトラーの中で、こういう女を石で打ち殺せと
命じましたが、あなたはどう思いますか」。
8:6 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、
訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身を
かがめて、指で地面に何か書いておられた。
ここに連れて来られたのは、女性だけですね。
男性はどこに居るのでしょうか?
ここに姦淫の女の人を連れて来た人達は、どんな動機で
この事をしていますか?
”イエスさまを試すため” なんとかしてイエスさまの非を
見つけたい、ぎゃふんと言わせたい。
そのためには、人の恥を公衆の面前に平気でさらす
なんと言うああ無情~、無神経さ。
神の似姿を生きて居ない、口先だけの義、ズレた意識。
イエスさまが神であるお方と言う認識が無い人達が居る。
盲目状態と言う事ですね。神であるお方が目の前に居ても
その事実に気がつかない。神に向かって上から目線で
物事を指図、話す。神に挑戦する、挑む。
8:7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して
彼らに言われた、
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に
石を投げつけるがよい」。
彼らは、もう神より上、凄い立場で、
神の立場に成り代わりこの女性を裁こうとしています。
だから、イエスさま、彼らの一番の問題、
あなたの中に”ズレ”が無いならと言われた
=ズレていますよね完全に。
それを、言われたんですね。ズレているから。
ズレ=人を裁いている。ズレを取り込んで生き続けている。
トラー=神の似姿に生きてない、エデン=神=喜びの
外側に飛び出て状態で、それに気がつかないほどズレた
状態の人達。
ズレが無い人=ズレに気がついたでしょう?
そうイエスさまに言われたら。
ズレた事して、ズレてないと思っていたけど、
自分達こそズレていた。その人から初めにこの女性に石を
投げつけよと言われます。
動機がズレていますね。完全に。ズレているでしょう。
色々。だから皆が去った。
そして、イエスさまが何からこの女性を救出したのか?
二つの事があります。
続く