イスラエルより  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ブログ記事のようなスタイルの、短くまとめる記事の中に、
聖書の解説を書くとは、まことに至難の業だなと思います。
パッチワークのように、一つだけ取り出しても、
聖書は一つのものなので、
全て、全部が繋がっているため、その隣のピース、
またその隣と、どんどん説明しないと、絵柄が見えない、
意味が見えて来ないからです。
聖書は創世記から、黙示録まで、全く一つのテーマ、内容
意味でまとまっている、同じ事を、最初から、
最後まで語っている。
どの時代にもどの人にも、永遠から同じ福音、
同じイスラエルの神の言葉なのです。
今丁度、レビ記から、続けて書いていますが、
ちょっと寄り道しながら、旅日記も書いて見ようかなと
思います。
今、イスラエルへ行く途中の上空です。
今日は、上空は雲が多く、白い雲がモクモク。
その雲を陽が照らして、虹が見えたりしています。
辺りが、真っ白。
神の栄光 白い雲 神の義の色 タヘレットブルーに
マッチして、奇麗です。
これから、暫く、イスラエルとそして、近隣国で、
過ごす予定です。
一番の楽しみは!もちろん、仲間、友人に会うこと。
心行くまで聖書、トラー、アバ主の話をする事!
一緒に夕食をしたり、シャバットで集まり、
楽しみ、祝うフェローシップです。
私達は、何故、一緒に集る必要があるのでしょう?
そうです。
家族だからです!一体として、永遠から一つに、
造られているからです。
だから、誰かと共に居たい、ニーズがあるのです。
深い欲求なのです。
だから、仲間と共に居たい、喜び合い、支え合い、励まし合い、
助け合い、慰め合い、悩みを打ち明けたり、話したり、
心にかけて、祈り支えるそのような必要があるからです。
縛り合うために、どこかの、誰かの命令に、
従うためではないのです。普通の事!当然の願望、要求
主がそう私達を、造られたからです。
互いのシャローム=欠けの無い姿を、守り合うため、
ガ-ドするためです。
お互いの益、その姿を最大限、ガ-ドし合って、
支え合うために、共にいるのです。隣組です。
仲間のCommunityを見ていると、上下関係、命令関係、
服従関係ゼロ。
今の様な、上から下への、階級制度は、西洋宗教の
作り出した産物です。全て、横の関係です。
会社や、宗教組織ではないから、当然です。
もちろん、長老は、神のトラー=聖書全部を熟知し、
知恵に満ち、賢い人達 成人、新しい人として、
それに生きる人です。
そして、若い人達、子供たちや、幼い子に、トラーを教え、
指導し、守り導く事が出来るのです。
主の仰せは、朝に夕にいつでも、どこでも、トラーを
思いめぐらし、そして、それを子供たちに教える事です。
長老達は、自分の仲間達を、自分の意志通りコントロールする
なんてことは、ないのです。
私達全て、同等に神に属する者だからです。
そして、互いに結び合わされている存在なのです。
ただただ、互いの麗しい関係が存在するのです。
実に、麗しい、大きな一つの家族です。
そして、もちろん、命令で人を縛りつけるとか、過干渉、
無礼な事などない、健全な集まりです。
いつも集まりに来れない人、または、時間に遅れて来る人は、
神を第一にしてないなど、そんな聖書にはない教を唱えなる
なんて事はしないのです。

そして、ここが重大ポイント。
誰の教えが、真理なのか、当然この全宇宙を作り、司っている
主ご自身です。
永遠からの主の仰せ、シャバットは、金曜日の夕方からです!
ここが、すごい重大、大事なのです。
神が、全ての創造の業を完了し、7日目でその手の業を
止められた様に、その完了の業 救い購いも、もう既に
完了!として、存在していた、用意されていたのです。
私達は、一日の生活の中で、ずれがあれば、仲違いがあれば、
夕暮れまでに修復、神の中に戻る=悔い改めと訳されている
その言葉です。
忙しくて、それを、怠れば、そうです!
この7日目!全ての業を完了された、主が手の業を止めた
シャバットで、修復!!!
ほころびが、自分の思索、行動、態度などが、神の姿=トラーに
当たるヨレーからはみ出てないか、点検、思いめぐらす、
そして修復、悔い改め=神の中に戻る、
トラー=神御自身に当たる、ヨレーの路線に戻る機会を
与えて下さっているのです。
自分自身だけでなく、家族や、仲間、友人との関係の中で
ズレている事を、修復する機会でもあるのです。
お互いの顔を見合わせて、食事をする、交わりです。
仲間と家庭でその時々、持ち回りで金曜日の夕方の
シャバットの、晩餐をするのです。
それぞれ、次の週には、予定があり、忙しく、出来なければ、
家族だけでする。
そして、祝福を祈り、楽しみ 祝うのです。
土曜日も、毎回でなくても、出来る時に
その週のパラシャー、トラーと 預言書、それに関連する
新約の箇所の御言葉の学びをするのです。
しかも、主題説教ではなくて、純粋に、直接聖書の御言葉の
内容の解説です。
そして、皆が色々、意見を言いながら、デスカッション、
それは、それは、楽しいひと時です。

そのような、仲間を得たら、誰がそこから
離れたいと思うでしょう。
自分の親友と離れたいと思わないのと、同じ事です。
生ける水に溢れる同士、仲間が集ればそれは噴水!
喜びは、最大限になるのです。
そして、互いに、励ましを受け、喜び合い、愛されている事
愛している事を、主の中に共にあって確認出来るのです。

さて、レビ記の3番目のコバーン シェラミームの
コバーンの説明に行く前に、2番目のコバーン 
ミンハのコバーンのもう一つの
材料の解説です。
レボナ=フランケンソン=乳香と訳されているものです。
これも、高価なものです。
これは、何のためにあるのでしょう?
レボナの香りを嗅いだ事がありますか?
中には、嫌いな人もいるかもしれませんが、心を鎮める、
落ち着ける作用があるものです。
なぜ、心を落ち着ける必要があるのでしょう?
主の計らいです。
不安や、心配事や、その他もろもろ心騒がせているのを
鎮める!
神の前に、受け入れられてないかなと、思うその気持ち。
しかし、安心して、わたしの元に来なさい!
恐れないで、来なさい、近寄りなさい
わたしが、あなたを、わたしの中に、引き寄せているのだから
と言われる声が聞こえます。
塩=神の契約=トラー=神御自身の実態を、私達は
内に持つ者とされている事。
その実態は、最良の穀物で出来た種無し=罪のない、新しい人。
そして、神の前に、私達は、100%受け入れられているのだと
繰り返し、繰り返し神の御口から、直接こうして、
語って下さっていた事に、感動を覚えます。
しかも、トラーのこのレビ記の重要な箇所に、直接神の御口から
仰せを、教えを、語れ、伝えられているのです。
重要な意味があるのです。
“わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。”
と言われたイエスさま。
人が、本当の羊飼いの声を聞けば、生き返るのです。
命の水を、得て芽吹くのです。
なぜなら、私達は、別の声ではなく、神の声、命に至る
神の中に至る本当の羊飼いの声を、聞いて生きる様に
造られているからです。
だから、それ以外の声を聞き続ける場合は、苦しむ、悲しい、
窮屈、違和感を感じる事になるのです。
一生懸命努力で神に近づくやり方=神の指定した、
方法では、なくなるのです。
神に引き寄せられる=コバーン=神が100%もう支払済の
代価で、私達は、自分では、支払って買う事の出来ない、
新しい人、主の中に存在するその現実を、主ご自身が
取り戻して下さったのです。
祈りの努力、断食の努力、奉仕の努力、伝道の努力
何かやって、主に認められる努力を続ける事は、
主の指定した、近づき方とは、違うのです。
こうしているうちに、イスラエルに到着して、
朝が来ました。
これから朝食を食べて、明日の移動のために
体力温存、特に何もしないで、一日ゆっくり過ごす予定です。
では、良い一週間を。
Shalom from Isarel