御国は近づいた!
この言葉日本語で聞いたら、どんな印象なのでしょう?
遠くにあるけど、だんだん近づいて来るもの。
は~るがきた~ は~るが来た~ ど〜こ〜に〜来た〜の
歌みたいに。
もうすぐ 夏だけど。
夏がく~れば 思い出す~かな。
日本の美しい自然の情景を、思い浮かべる事ができる
懐かしい歌。
もうすぐ 来るよ~ 予告編?
違う。原典では今だ、今すでに来ている到来したと
書かれている。将来の話ではない。現在完了。
この近づくという 言葉は
”カローブ”
”内側 内臓の中”と言う意味だ。
内側に戻っておいで!!!!
何処の内側?
私たちが もともと 居た場所!
主御自身の中。
私達の命の源!
本当の自分の姿に戻っておいで。
永遠の時から,私達存在していた 主の中。
外から来たのではない。
私達は 主の内側から生み出されて来た。
そして、主の中に エデンの園の中に
存在するように造られていた。
カンガルーのポケットみたいかな。
赤ちゃんが ママの胎内に居るのと同じ
主の中。
エデン=喜びの園の中だ!
わたしたちの住まう場所。
ここ以外に存在するようには私達は造られていない。
”わたしの愛にとどまりなさい。”
このエデンの中に、喜び=エデンの園の中。
主の真理の中にはみ出さないで、飛び出さないで。
留まりなさい。
もちろん 信じた人は飛び出さない。
でも、自分が古い人のままだと信じ込まされて
いれば、思索は、意識は神の内側の外側に飛び出てしまう。
真実の言葉の中に居ないなら、不真実の領域に飛び出して
しまう。奴隷の国 エジプトに逆戻り。
自分勝手な定義で、こまねずみのように動かない。
捧げなさい、
奉仕しなさい
仕えなさい
尽くしなさい
自己否定しなさい
犠牲になりなさい
喜びも好きな 食べ物も我慢して?
これらの声は主の声ではない。
主にお返ししなくちゃと思う。
意味が違うことを思い込んで読んでいる。
あなたの造られた状態、TOVであり続けなさい。
わたしの安全な家の中に居続けなさい。
主の教えはシンプル。
愛する我が子に、教えてる。
あなたは私の最高の宝物=セグラー。
あなたは、もう私と同じ聖なるもの。
かみさまは、ふわふわつかめないような
もので、私達に語りかけたり現れたりしない。
神の御言葉=神御自身=実態を与えてくださってる。
だから神の言葉を常に覗き込んで
その主の命=言葉を中身を、体験味わうこと
イコール天の御座を体験してること。
だから私も飛び上がるほど、喜び踊る。
主の言われている本当の意味に出会うと、
主の御顔に出会う事だから。
無味乾燥な、つまらないことじゃない。
一文字一文字の中に特別な意味が詰まっている。
主が思いの全てを込めて、一文字一文字刻んで下さった。
主は賢い。当たり前だけれど。
私達のデザイナーは私達の成り立ち性質をくまなくご存知。
だらだら書いてある、系図もなんで?と思っていたけど
私達の源を思い出すためでもあるんだ。
そして、家族の歴史、記憶、生き様から学ぶ。
彼らの失敗からも学ぶ。
どこから 来たのか。
一人一人の名前の意味を調べてみるだけで
メッセージになってる。
肉眼で今見えないことでも、主の創造物を通して
主の現実、性質を見ているでしょう。
この美しい自然。人間が破壊しているけれど。
私達が、本当にあるべき状態でお互いが向合い、
愛しあってるとき心が真実に触れ合う時
美しい音楽みたい。
美しく調和してエコーし合う、美しいシンフォニーみたい。
天国の片鱗を味わってる。
私達のそのただ中に主がおられる。
家族と向合って美味しいごちそうを頂いて、笑いながら、
たのしく話しながら一緒にいると、幸せ感じるでしょう。
天国を、体験する。
あるべき状態で生きる時に。
一人だけじゃない、皆と。
御国は信じて新しくされた私達の腹の中、只中にある。
今ある!と書いてある。
カローブ=腹の中にかかれた
トラーと同じだ。
申命記 30:14
主の言葉は創世記から黙示録まで
一貫して同じ事を話してる。
つながっている。全部マッチしている。
だから始めの部分はもう終ったと勘違いして、
そこに書かれている事理解してなければ。
決して主の本当の御顔、意図していることが
分らないと言っても過言ではない。
そこが、分らなければ、イエスさまの言われる事も、
たとえ話も教えられている事も、本当に理解出来ない。
自己否定 犠牲 宗教行事、活動ではない。
100% アバからの プレゼント。
生きる事が全て。
すべては、私達のTOvの状態で生きるように
主が、与えてくださっている
インストラクション。