アブラハム | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

99歳、老齢のアブラムに 主が現れて
もう一度ご自分の事紹介した場面。
創世記17章

私は全能の神

と言われたあの言葉は

El Shadai

わたしは 乳房をもつもの

乳は 養う糧があるということだね。
私達の,全てを養い育てる事の出来る主。

もう老齢のアブラムに、何を言われたのか。

”わたしの前に全きものでありなさい”

エルシャダイ。

ヘブライ語で どう言う意味なのか。

乳房を持つもの。。母の姿だね。

主の御腕に抱かれて、顔と顔を見合わせている。
赤ちゃんは、愛されている事、
自分が大事な存在であることを、親の顔を見て、表情を見て
学習する。

そして、赤子が、やっとよちよち歩きをする時
どういう風に歩くか、分る。

たどたどしく、一歩一歩考えながら、転ばないように
注意深く確かめながら歩く。

そういうことなんだ。主が言われたのは。

私達主を信じる者は、十字架でイエス様とともに、
死んだずれた自分と(罪人と訳されている) 
新しく聖なるものとされた人と、同時に自分の中に
存在しているのではない。

聖書にはっきりと、書いてある。
新しくされた人は、もう 新しい。
死んだものは 死んでる。
真っ白、いらないものが 濾されて、奇麗な状態になっている。
もとの状態に戻っている。
それを、主がアブラムに伝えたんだ。

新しくなっても、古い自分の記憶が、自分の行動、思索を、
常に支配し続けるから、自分がどちらの”目”が開かれて
見ているのか、二心で歩まない様に、
考えながら、歩きなさい。主の顔だけをみて。
主の御顔から、生きなさい 歩きなさい。

赤ちゃんが、歩くのを、覚え始めた頃のように、
ママの顔だけを一心にみて、よちよちと 
ママにだけ向かって一心に歩いて行くように。

「ハーラフ」הָלַךְ
Walk Reflectively
吟味しながら、注意深く 歩きなさい。


新しくされた人だということを、忘れないで
一歩を一歩を、たしかめながら 歩いて行くように。

あなたの、行動は 新しい人として、生きてるのか、
古い死んだ人の行動パターン 思考パターンではないのか?

十分に吟味して、考えて 歩きなさい。
もう あなたは 新しくされた人になってるよ!
それに、生きなさい。それを練習しなさいと主は言われたんだ。

あの、割礼も、そういう事だ。
境界線を 作ったと ヘブライ語で 書かれている。
何の 境界線?
死んだ罪まみれずれまみれの自分、破壊されて、ゆがめられて
痛めつけられた自分は、もう本当は存在しないんだよ
十字架で 死んだから。
記憶は、生きてるけどね。人生の始まりから
学習し続けて来た、古い人の、脳の中に。
だから、主が 言われたんだよ。こういう風に。

そして、新しくされた自分。
くっついてるけど、はっきり主が境界線を、つけてくださった。
もう、切り離されて、あなたではない、死んだ人は。
そういう事なんだよ。

あれみたいだ。せみの 抜け殻。
本物の 主が初めに造られた
シミも傷もないTOVのあなたが生まれた。
ぬけがらは、もうあなたじゃないと主が言われる。

凄いね!
主の 教えは 深く 賢く 私達を、生き返らせてくださる。

”真理はあなたがたを自由にする”