この岩の上 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録



$Mi Kedem  私たちは どこから 来たのだろう?


マタイ16章 
ピリポ カエザリア地方に、弟子達を引き連れて、来られた場面である。
この、場所 異教の神のおどろおどろしい、儀式が繰り広げられていた、
忌み嫌われていた場所である。子供を、生け贄に捧げたり、ありとあらゆる
想像にも、上らないような儀式が、行われていた。
この,写真がその跡地である。
不思議な事に、ここは、ヨルダン川の始まる源でもあり、この下を、
川が流れ出ているのである(水が見えるかな)
この、場面は、色々な出来事が混線している,一度に起きている。

弟子達を連れて、旅をしていて、ここにたどり着いたのであるが、
その旅の途中も、ずっと話し合い学び合いながら、ここに、到着した。

イエス様がここに立たれた事を、想像してほしい。
そして、弟子達を前にして、手を振りかざしながら、あの岩の下で行われている、
偶像礼拝の数々を、指しながら、
この質問をしたのである。この人達は、異教の神に従い、身を滅ぼしている、
『人々は 人の子を、何と言っているか』である。
『そして、あなた方は、わたしを、誰だと言うか?』


もちろん、イエス様は、一番弟子のペテロが、これを最初に答える事を、
念頭に置いてしたのである。
「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

8 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。
ハデスの門もそれには打ち勝てません。


この岩の上。人の子=イエス様、と同じように、この『岩』も、
当時のヘブライ人に取って、
『岩』=救いの岩、荒野を着いて来た岩、
民を生かすために、水がほとばしり出た岩 = 『主御自身』 
という事を理解していた。

そうでなければ、つじつまが合わず、議論になっただろう。

ペテロの言われた、告白の(生ける神の子キリスト=岩=神ご自身) 
この岩の上に教会を、建てるとおっしゃったのである。

主ご自身が私達の、永遠の礎、土台、
その上に私達が,一つとして、
建てられたのであることが分る。