Q:なぜ、神は堕天使に悔い改める機会を与えていないのでしょうか。
このビデオでは、様々な視点から見ています。
聖書は、堕天使が悔い改める機会を持つことについて特に言及していませんが、聖書に書かれていることから、私たちは幾つかの洞察を得ることが出来ます。
まず、ルシファーはサタンとも呼ばれ、最高位の天使の一人でした。
彼は、神に仕えようとする意思にも勝った誇りによる威厳のある外見をしていました。
そして、すべての天使は絶えず神様の前にいて、神の栄光の知識を得ていました。
それ故、彼らは神に反抗し、神から遠ざかる言い訳をすることが出来ないのです。
彼らは(人間のように)誘惑されませんでした。
ルシファーと他の天使達は、最高の悪と知りながら神に反抗したのです。
人間について言うとこのような事はなく、神に対しての知識は限られたもので、何が正しくて何が間違っているのかを知る能力を持っていませんでした。
一方、天使は神についての完全な知識を持ち、その行動の結果を全て知っていたにもかかわらず、反抗することを選び、永遠に呪われることになったのです。
第二に、神は人間に対して行ったような贖いの計画を天使には示されませんでした。
人類の堕落は、罪を贖う生贄を必要とし、神はその生贄をイエス・キリストの中に用意されたのです。
神は、その恵みによって人類を贖い、ご自分に栄光をもたらしたのです。
堕天使のための贖いの生贄は予定されていませんでした。
その反抗の結果、彼らは生前に悔い改める機会を与えられる代わりに、神との永遠から遠ざけられるという裁きを受けたのです。
天使は死にません。
選ばれた天使は忠実であり、堕落した天使は不忠実です。
選ばれた天使がいるというのはどういう意味でしょうか。
神は、ご自分に反抗しないと分かっている天使と、反抗すると分かっている天使を選ばれたようです。
最後に、聖書は、たとえ神が天使に機会を与えたとしても、天使が悔い改めると信じる根拠を与えてはいません。
堕落した天使たちは、神に敵対し、神の民を攻撃することに完全に専念しているようです。
第一ペテロ5章8節には、「あなたがたの敵である悪魔が、吠えたける獅子のように、食い尽くすべき者を捜し求めながら、歩き回っています。」と書かれています。
聖書は、神の裁きの厳しさは、その人の持っている知識の量によって異なると言っています。
堕天使は、その知識の豊富さの故に、神の怒りに値するのです。
にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
マタイ24章24節
わたしは、むなしい幻を見、まやかしの占いをしている預言者どもに手を下す。彼らはわたしの民の交わりに加えられない。イスラエルの地にもはいることができない。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。
エゼキエル書13章9節