おはようございます。
今日は、今世間で話題になっている学校教育問題について書いてみようと思っています。
世間では
「学校体罰事件」という風になっているようです
この件に関して国が動き出したそうです。
義務教育を受けられているお子様をお持ちの読者の方々にもそのうち学校からお知らせが来るでしょう。
先日も、お客様で高校の教師をされている方とこのお話をさせていただきました。
どのように動く出したかというと
全国の教育委員会からの親へのアンケートが実施されるようです。
「体罰をされたことがありますか?」
いつ?
どこで?
どんな風に?
どの先生から→その先生の名前を書く
もし、そのアンケートから、名前があがってきた教師は
報告され処罰を受ける。
如何でしょうか・・・・
これが今、教育界で起ころうとしています。
ここで、私の考えを少々述べてみたいと思います。
まず、「人」といううちは、豚や牛、サルや羊と言った動物につけられた呼称に過ぎないと思います。
「人」という動物名です。
それが、親や同居しているお爺ちゃん、お婆ちゃん、又は近所の方々によって躾けられ、人と人とのコミュニケーションを円滑にとれるようになっていく
それは、礼儀だったり、相手を思いやる心、認め、承認していく事だったりします。
そうやって人と人の間で生きていく事が出来るようになって初めて「人間」という存在へと成長して行けるのではないでしょうか。
でも、学校の現場の話を聞いてみると、生徒が間違いを起こしたとき、先生はもちろん口頭で注意をします
しかし、当の生徒は全く聞こうとしない、そればかりか、「殴るなら殴ってみろ!」と先生を挑発する小賢しい子供さえもいるそうです。
自分の優位な立場を知っての行動です
こんな子供が果たして人と人のコミュニケーションが取れていると思いますか?
さて、この子供の将来を本気で憂い、情熱と愛を持ってぶん殴った先生が処罰の対象となるかもしれないのです。
こんなことは親が教えるべき事
言葉で解らないという事は、動物と一緒
親は愛を持ってぶん殴ってでも人の道を示していかなければいけないでしょう
でも、どうでしょう・・・
最近では、子供の機嫌を取り、善悪の判断も付けさすことが出来ないバカ親っぷりが目立ちます。
個性を大事になんて欧米から流れてきた変な思想に翻弄され
個性や自由が相手の事はお構いなしの自分勝手な生き方と混同してしまって、自分の権利の主張ばかりが目立つようになってきたように思います。
人は人によって生かされ、そして見えないところで助け合っているものです。
そんな事も解らない子供に育て上げた親は、自分の事を棚に上げ、相手の人間としての尊厳にさえ唾を吐くような子供に愛を持って手を上げた先生をどうして告発できるのでしょうか。
もちろん、先生の中にも感情的になりやり過ぎる先生もおられるでしょう
我々が学生のころはそんな先生も沢山いました(笑)
でも、悪さをしないのにぶん殴られたことは一度もありません
だから、ぶん殴られても納得してました。悪さをしたのだから当たり前です。
現代の情報が氾濫している中、子供たちは人間としてあるべき姿や教えよりも、自分の権利や優位性を守る情報ばかりがインプットされている子供が多いのではないでしょうか。
きっとそういった小賢しい子供は、親の前では良い子なんでしょう
親からぶん殴られてもどこにも訴えられませんから・・・
今から外に出た時にそういった思考の子供が果たして生きていけるのでしょうか・・・・
先ず、学校教育の現場を見直したり、この度のようなアンケートを実施する前に、親が子供に対する躾を見直していかないといけないのではないでしょうか
もし、親が子供に気を遣い、何も言えないのであれば、ちゃんと教える事の出来る第三者でもある先生に任せてはいかがでしょうか。
もちろん、任せるに値する先生でなくてはならないのは言うまでもありません。
もし、それに値する先生でないのであれば、その時は教育委員会なりがきちんと対処をする!
もちろん対処する教育委員会の方の質も問われます
どちらにしても、子供の未来を本気で考えての行動であるかどうか
そこが大事なような気がします。
色んなものが多様化し、思想、考え方も人それぞれ
宗教観の無い日本人は、柱を持っていないとも言えます
その中で、座標軸になるものの考え方を学ぶべきだと思います。
これは、先生も、また親も、そして周りの大人たちもです。
昔は人生の先輩たちがこの事を教えてくれていたように思います。
戦後、日本人としての価値観が失われ、核家族になることで教えの流れが遮断され、大事なものが疎かになりつつある日本
戦後半世紀をとうに過ぎ、もうそろそろ修正していかない時期に来ているのではないでしょうか。。。
この日本が世界に誇れる国としてあり続けるためには・・・